エクリチュール/非人間的、或いは、超没入による法悦と、宗教なき世界に

・彼のことをよく知っている

・それ以上の定義など、およそ不可能に思う(よく知っているから、彼は彼と呼ばれるのだ)

・彼は、昨晩、3時間ほど、祈り続けた

・両手の合わさった点の感覚に集中し続けて、それ以外の意識をすべて途絶させ続けていたのだ

・秋の清々しい冷たさは、そして、彼に、風邪をひくことを与えた(悪がいつもそうであるように、存在の欠如を、息吹くのだ/トマス・アクィナス)

・彼は悪魔を名指しして、それと闘いをしていた/彼は度々、頭のなかの妄想が幻の感覚器官になり、悪魔の声で語りかける瞬間を嫌っていた(現代という時代において、悪魔祓いを、ヒトリで敢行していたのだ)

・大変、危うい、精神状態であるのだろうが、べつに、彼にとっては、幼少の頃からそういったことはあるのだから、というような日常だった

・彼は、狂っているわけではない

・現に、人並みには、人間歴を有しているようだった/現に精神科でも、病気であるという烙印は貰えなかったようだ

・ああ、憐れなるものよ

・彼は、病気である、という烙印を心のなかで欲していたのだ

・およそ、彼は、自らをどこに位置づけてよいのか、わからぬままだ(その光景をムーサはやさしく、うたい始めていた)

・だが、彼は、また、世界が流転しているのか、自分が流転しているのか、という点を捉えそこねて、苦しんでもいた。そして、歓喜もしていた

・ムーサはうたう。

・「彼は彼になりたい彼。以上も以下もありはしない。嗚呼!! 彼は彼になりたい彼」

・だが、重要なのは、このエクリチュールは、彼のはなしが書かれるものではない、ということだ

・なぜ、彼の話から始まったのか、だれも、わからない(ムーサはただ、うたうだけだ)

・シモーヌ・ヴェイユについて、書かれるのである

・だが、シモーヌ・ヴェイユはそれをゆるさないのである

・だから、彼のはなしからはじめなければならない

・彼はシモーヌ・ヴェイユの脱創造という言葉を知らぬほどに愚かだった

・休むことを創造するということを知らぬまま、ニーチェの陥った悪循環(クロソウスキー)の中にあったのだ

・彼の無重力は、迸る太陽のような、その没入を、超越的な創造への傾斜と、呼んだのだ

・彼にとって、もはや、もう、読むに値する本、というものは、見いだせなかった(それは聖書を最後に読んで以降、もはや、何物も読むことが愚かしくなってしまったほどに、である)

・だから、彼は自ら書き始めなければならなかった

・もはや、彼のなかには、だれもいない

・だれのために書かれたものではなく、だれもいない彼のために、彼は、おお、自作自演のように、書き綴る他に何もなく、何者でもなく、ただ、夕陽がそのことを告げていることを識っているだけであった

・憐れなる、憐れなる、憐れなる、そして、聖なる、聖なる、聖なる

・だれが! おお! だれが、もはや、彼のことなど、慮ることができようか!

・彼は幼少の頃に、宇宙人の誘拐に遭ったのだ

・アメリカでは、そういった、集団的な心理の沸騰が起こっていた頃だった/彼の幼少の精神はどこかアメリカのその何者かになろうとする心象的なヒロイズムのなかに、自らを投射したのかもしれない(何者かに誘拐されるという受動性によるヒロイズムの達成)

・だが、ムーサが告げる

・「だが、それほど、彼の場合、さもしい精神は見受けられない。彼の精神は、嗚呼! 崇高!」

・そして、ムーサがふたたび告げる

・「なぜなら、彼はそのことを押し黙ったのだ」

・なげやりに、ムーサが告げる

・「彼の生まれたはじめから迫害の恐怖に怯えていたのだ」

・ムーサは押し黙った。そして、しばらくの後、優しい声色で告げた

・「彼に帰る家はあるのだろうか」

・そのとき、聖母マリアが、小さく咳払いをして述べた

・「彼はわたしの子」

・そうである。彼は30代のあるときに、自らが、聖母マリアから生まれたことを知ったのだ/そのとき彼は幻視のなかで、幼少の自らが、聖母マリアに抱かれる姿を見て、悟ったのだ

・その後にも、彼は目を覚ます度に、聖母マリアが、現れる幻視をしていた

・彼は、聖母マリアは、思ったよりも、浅黒い肌をしていて、骨格が、それなりにしっかりとしていたことに驚いていた

・ミケランジェロのピエタを見たときに、聖母マリアをイメージしていた彼にとっては、彼女が、中東のあたりの人間であることが抜け落ちていたために、発生した驚きだったようだ

・そういったことで、もっともな問題がある

・この世界には、宗教が、ない、というその一点だ(現代)

・聖なる天蓋としての、あの宗教というものが、消え失せて、小さなトライブの営みに陥落したのだ

・だが、致命的であるのは、聖なるものは、依然として、この世界を襲う

・一体、かつて、あった、その天蓋は陥落し、では、人間をどのように、聖なるものから、護ることができるのだろうか

・彼はもはや目的というものをその意味では喪失しているし、さらに言えば、目的そのものになるという超越的な努力に走っているのだ

・彼にとって、呪いであり祝福であったのは、彼が、神の聖なる血の注がれた杯を、飲んだということにある/ただ、この一点なのだ

・彼の創造における努力はよく知っている

・彼は創造のために、なんでもやってのけた

・それは、英雄的な努力であったと、言っていい

・フィリップ・K・ディック、シモーヌ・ヴェイユ、ニーチェ、そういった彼らがやってのけたことは、彼はすでにやってのけていた

・だが、彼は、物足りなさを実感していた

・そのときに、現代において天蓋の陥落した、ほの天というようなところから、彼に聖なるものが注がれた。彼は神に出逢ってしまったのだ

・神聖なるもの、と彼はそのことを呼ぶ

・彼は全くの正気において、人類を楽園(神の身元)に連れていくのだ、と嬉々として話し、会社さえ辞めてしまった

・聖なるものによる人間の危機

・聖なるものは、およそ、あらゆる人間的なものを彼から取っ払い、非人間的なるものとして彼を釘付けにした

・彼は英雄的な努力を放棄し、ただ、聖なるものの、一点を眺めるということをし始めたのだ

・その日から、彼には、悪魔や神々が、たしかに、襲いくるようになった

・彼はそれまでの人生を想起しながらも、もはや、ひとつのこの世界をひとつとして見出すことの無意味さに苛まれている

・天蓋は破けて、生々しく飛来する聖なるもの。その法悦と歓喜、苦しみと呻きのなかに、彼の人生は没入されたのだ

・肉の棘。そのパウロの頂いたものか、彼にも突き刺さっている

・だが、嗚呼、憐れなる、憐れなる、憐れなる彼

・この世界には、宗教はもう、ない、のだ!

・その破けた天蓋が、彼を人と引きつなぎ、安寧の眠りに誘うことはありえないのだ!

・聖なる、聖なる、聖なる

・だが、これは、彼の話しで終わることを知らない

・なぜなら、それらのことは、壊れた天蓋から、人々に飛来し、人々のその人格的なるものを破壊していく定めだからだ

・現代ということ。そこから失われた聖性は、隠れたる神のように、まさに、隠れてあっただけなのだ

・神は死んだことで、その聖性を存分に発露したのだ(イエスがそうであったように)

・野ざらしにされたものの躯を聖なるものの訪れの序章と、呼んだ(彼はそのことを識っている)

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