神秘家エクリチュール

・悪魔はいる

・寝ていた

・幻視状態になったときに身体は女性のものになった/女性器が生成されて、耽っていた/まだ性がトレテいなかった

・そのときの感覚は本物である

・オカシイ、と思うわけである/これほどリアルな感覚や現実の改変が起こること自体が、幻であれ、あってはならないのである

・そして、瞼を開けると、横で寝ている彼女の目が百通りのようにグロテスクな様々なカタチにフラッシュモーションで、変化した/重要なのは、どのカタチひとつとっても、あまりに、いや、完全にリアルである/あまりに、リアルに過ぎる、それぞれひとつひとつの形状で、これほど、知覚上であれ、現実改変が起こることはオカシイと思うほどである

・幻覚、幻視とは、現実以上のリアリティを有してはならないのである

・心のどこにも、それらのデータはない

・こんなことは何度も繰り返して、わかっていたことなのに、わたしはまた、亡失していたのだ

・これが、悪魔の力なのである

・そして、このように、文章にして、人に曝すことが、すでに、ある種、悪魔の罠ではあるのだが(精神疾患的としてレッテリングされる罠)、切実に思う

・悪魔はいる

・何度も見てきた

・それは相応の怖ろしい形相のまさに悪魔の形態、カタチをして、わたしに現れたことも何度かあった

・なぜ、わたしは、そのことを忘れて、その評価を0のようにカウントして、のうのうと生きていたのだろうか。それさえ、悪魔の力を思う

・この文のような手立てが全く無意味かつマイナス効果であることは知っている

・だが、書く

・悪魔はいる

・人類がどれほど、この悪魔というものに、騙しこまれ、日々、延々と悪魔に、現実空間のなかで囚われ、様々な幻想を見せられ、生きているのかをまざまざと、悟った

・はっきりというが、幻覚や幻視より、幻想のほうがたちが悪い。なぜなら、幻想とは、それが異常であると判別できないからだ。常識や通常と呼ばれるもののなかにどれほどこの悪魔のワザが流入しているのか、と思ったときに、人類史が見えた

・悪魔は神さえ偽像する。そして人間の信仰の名のもとに相互破壊を行う

・一瞬で、人類史の全ての戦いを垣間見たような戦慄である

・こんなことは何度もあった

・屋外で、歩いている道が完全に消えて、全くの異世界の路地裏を歩かされたときさえあった

・そのときに、はじめて悪魔を見たことを覚えている

・天から怖ろしい形相で落下していた。サタン。

・そのときに、わたしはキリストに引き取られたことを覚えている

・路地の柵に自らの身体を十字架のように、絡ませ、朽ちるように、頭を垂れた。そして、幻は終わった

・即座、なんで、こんなことをしているのか、なぜ、こんな事が起こったのか、全くわからなくなった

・そのときに、わたしは震え上がり、イエス・キリストにはじめて救済を求めるようになったのではないか

・なぜ、忘れていたのか

・サタンのやらせることは、どこか心身が一致していない

・あまりに出来すぎているのである

・イエス・キリストのやらせることには一切の魔術がない

・自らの限界を知らなければならない

・到底、この、悪魔、サタン、世の支配者というものに、人間程度は打ち勝つことは不可能である

・神を信じなければならない。だが、そこにも悪魔は忍び寄り、様々な偶像を拝ませる

・無に至ることで、ケノーシスにあることで、ただ、神が、悪魔を滅ぼすことを祈る他にない

・わたしは、飛躍したことを言っているのでは、ない

・あらゆるもの、知見、常識、体験からして、悪魔、サタン、というものを、まざまざと名指しして、言うのである

・さらに言う。ある一定以上に、神に近くまでたどり着いた人間は、また、力を有した人間は、必ず、悪魔に会う

・だが、それを見抜くことは、到底不可能に思う

・神のように、誘惑するように、現れるからだ。手を変え品を変え

・真の神は一切の誘惑をしない。苦しみやケノーシス、肉体感覚を伴い、無言で、語りかける

・文明を人間が自らの力で打ち立てた、発展させているなど、馬鹿も大概にしろ、と絶句した

・サタンが、まざまざと自らの王国を造り、その奴隷として、人間は自らが成し遂げたことのように、肉体を動かしているだけである

・現実を見出すためには、痛み、苦しみ、まざまざと知覚することである

・そのときに、何か、安穏と平和に向かうようなこの世界と、現に、痛み、苦しみがあることの落差に、何か途轍もないグロテスクな落差を実感するだろう

・この世界はイエス・キリストとサタンの主戦場であり、人間は、どちらに奪われるかを揺蕩っているだけだ

・極論と言いたくなるだろうが、様々な知見、思考、体験、を経て、完全にそう、としか、わたしには言えない(もともとキリスト信仰は一切ない素地、経歴から、わたしの人生ははじまっている)

・一切の比喩はない

・率直な現実である

・いいだろうか

・一切の比喩ではなく、完全なる現実として、わたしは書いているのである

・他にも、悪魔に出会った体験はあるのだが、ナゼカ、今、全く思い出せはい……

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