いのちをいただくこと

こんばんは。
ほとんど独り言みたいな、、、笑笑
多くの人がお盆休みに入っていると思います。
今日はふと、YouTubeを見て思ったことをまとめていきたいと思います(長くなりそう)。
人間が生きていくためには食事、水が必要ですよね。僕の実家は家庭菜園レベルですが、農作物を少量栽培しています。そのこともあり、形が歪な野菜を丸齧りして食べることやそれを調理して食べることは何ら不自然ではない教育、生活を送ってきていました(まぁ父型の祖父母は農家であったのでそこからもらうものもありましたが)。ただ、本当に普通の家庭はスーパーで形が揃った野菜を買っている人が多いと思います。僕も23から一人暮らしをしていますが(修士課程まで進んだので、社会人はまだ2年目)スーパーで買ってた時は何ら不自然なく、形の揃ったものをその中から適当に選んで買っていました。今は無農薬の八百屋さんで買っているので、不揃いのものを買っており、それが逆に自然だなぁと感じます。形が揃っているメリットとしては、運ぶ際にそろっていた方が多く運べる、袋売りやバラ売りしても一袋(一個)いくらで平等に売れます。このデメリットを考えた時に、形が揃っていないものは捨てられる、グラム換算した時に安く売られます。同じ栄養があったものなのに差が出てしまう、もしくは捨てられるというのはいかがなものか?とふと思いました。僕としては、形が揃っていなかったとしても美味しく食べられたらいいと思うのですが、他の人は形まで気にするみたいです。
ふと、このことを教育に置き換えても同じことが言えるのではないかと思いました。人は色んな人がいます。席に座って授業を受けることができる人、理数科目が得意な人、運動が得意な人、読書が好きな人、、、など。一方で今の日本の教育は学校で教わることをたくさん暗記できたり、数学で言ったら受験問題をスラスラ考えずに解けたら上という教育ですよね(偏差値教育)。個性もへったくれもないですよね。これに外れることができるのは、スポーツで言えばプロになれるほんの一握りくらいだと思います。その他はいい大学にいっていい会社に入ることを、言い方を変えたら洗脳されてそれに向かって進んでいます。
僕はそれが正しいものではないと感じていたので、やりたいようにやろうと思い、就活もほとんどしていませんでした。それが正しいかどうかはわかりませんが、後悔はしていません。大学院に進んだのも自分が研究をしたかったから、その研究を応援してくれる教授のもとで研究できたから(まぁ色々大変なことはありましたが)。このように色んな人のいいところ、やりたいことを伸ばしていけることが本当の教育なのでは?と思うようになりました。
ここで食に戻りますが、野菜も形が揃っていなくてもいいのでは?それを気にしすぎる日本人の意識を変えることが1番大切なのではないか?と思います。一つのいのちをいただくには変わりないし、その命を育てるのにすごい時間も労力もかかっているわけだから。参政党が自然栽培をとても推していることは、安全な食べ物をいただくことで病気を減らしていけることはわかります。ただ、自然栽培や有機栽培は形が綺麗なものばかりはできません。虫が沢山つきます。小さいものもできます。これをなんら不思議に思わず同じように(全く同じは無理だと思いますが)買うことができる国民にならないといけないのかな、と思いました。僕個人の意見としては、農薬バンバン使って虫も食わない野菜を食べる方が嫌なので(昔から虫も食うからうまい野菜と洗脳されていたので)、虫も食べるいのちをいただける方が幸せです。今は物で溢れているから形揃ったものを選んで買えますが、そうならなくなった時に初めて形にこだわっていた人がそう感じるのかな?って思います。小学生の時にみんな違ってみんないいって習いましたよね?今一度、人もものもみんな違ってみんないいということを思い出して生活してみませんか?

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