甘さに潜む故意《こい》 #シロクマ文芸部
チョコレートを渡そうと思う。彼女が、あの人に渡す前に。彼女はきっと、デパートの高級チョコレートを買って渡すだろう。私は、手作りで攻めるつもり。手作りと言ったところで、市販の板チョコを溶かして丸め直すだけだけど。それでも手間がかかっている分、愛情があると勝手に思う。
世間ではここ数年、バレンタインデーのチョコを配ることを禁止している企業が増えた。我が事務所は法律事務所らしいと言えばらしいのかもしれない。『当人達の意思を尊重する』と事務所代表が、毎年チョコ配布禁止令を発令しない。代表自身、大勢の部下たちから義理チョコを貰える確信があるからだ。法の番人たるもの、率先して義理チョコなる賄賂のような行為は慎むべきだとは思うけれど、そこはやはり同じ人間。アイツはチョコを寄こさなかったと、思われたくないのも事実。男性職員もこぞって渡している。その男性職員たちも、自分にも回ってくることを期待しつつ緊張して待っているのだろう。他の職員からの信頼度と、顧客からの人気度をここで測ることができるからだ。
「今年もトップは、エースの大塚先生かしら」
「意外と、ナンバー2の目黒先生かもしれないわよ」
「あら、あなた目黒先生狙いなの?」
「私は他に本命がいるから、先生たちには感謝チョコよ」
休憩室ではパラリーガルの女性たちが盛り上がっていた。
「大崎先生も本命チョコと、感謝チョコと何個か用事したんですか?」
我が事務所では、義理チョコのことを感謝チョコと呼んでニュアンスを濁している。
「本命チョコを渡す相手なんていないけど、感謝チョコは今年頑張って手作りしようかなって、思っているの」
「それは凄いわね、大崎先生」
私の背後から声がした。事務所ナンバー3の、女性ではトップの田端弁護士だ。彼女は私より1年あとに事務所に入った。私は、決してライバルではない。担当する専門分野も違う。ずっとそう思って働いてきた。でも、恋のライバルにはなりたくない相手だ。
「田端先生は、もう用意してあるんですか?」
田端弁護士付きのパラリーガルが聞いた。
「ええ、代官山で買ってきたわ。みんなの分もあるから待ってて」
「わぁ、さすが田端先生」
今年はどんな作品を用意しているのだろう。彼女の戦法が少しづつわかってきている。
「明日は忙しいわね。チョコの配布と午後からは公判があって。あ、大崎先生は今日から忙しいのね、手作りだから」
田端弁護士は、吐き捨てるように言うとコーヒーカップを持って出ていった。
2月14日、バレンタインデー。昨夜は手作りチョコに時間を費やしてしまった。今月は担当する案件がないことが幸いして、というか、ここ数ヶ月はサブにもつけてもらえないことが多くなってきていた。
事務所に着くと、午後の公判準備のための弁護士が自室で資料を読み込んでいる姿が見える。
「大塚先生も、目黒先生も来ている。今の内に渡してこよう」
「大崎先生早いわね。公判のお手伝い? まさか、チョコレートを配るために早出したって、ことはないわよね」
「その、まさかです」
「あら、初めて一致したわね。私もよ」
彼女が手にしている紙袋は有名ショコラティエがいる店のもの。私のチョコは高級感の欠片もない。それでも、丹精込めてひとつひとつ包装した。そして、あの人は、私のチョコレートから食べてくれると信じている。
「大塚先生が、体調を崩されて病院に行かれました。午後の公判は目黒先生と大崎先生で対応できますか?」
「資料を取ってきます」
私は急いで大塚弁護士の部屋に入った。デスクの上には田端弁護士が渡しであろう高級チョコレートの紙袋とそれに似通った紙袋が数個置かれている。そして、私が渡した手作りチョコレートの包み紙が数枚、デスク横のゴミ箱に入っていた。
「目黒先生、頑張りましょう」
そう言って、私は資料を恋焦がれる人に手渡した。
「大塚先生は、チョコレートアレルギーを起こしたらしい」
「なぜ今頃なんですか? ずっと食べていたんでしょ?」
「どうやら、チョコレートに含まれる『チラミン』という物質に反応したらしい」
「私が作ったチョコレートのせい?」
「大崎先生のせいではありませんよ。アレルギー症状は、突然発症するものですよ。僕だって、同じもの食べたんですから」
目黒弁護士は、優しい声音で私を慰めてくれた。
「アレルギーなんて、故意で起こさせることなんてことできませんよ」
恋? 目黒弁護士が言ったのは、恋愛の方ではなくて、ワザとしたことなのかと問う、故意のこと。
私が大塚弁護士のチョコレートには特段高カカオのものを使ったぐらいで、それ故意と問えるかどうかは、判断が大変。
私が、誰に恋していたのかを、判断する以上にね。頑張ってナンバー2さん。
了
今週も参加させていただきました。
よろしくお願いいたします。
サポートしてほしいニャ! 無職で色無し状態だニャ~ン😭