見出し画像

差別されるのは、性別だけ?

 今日3月8日は、国際女性デー。
国際女性デーとは、世界的に女性の経済的、政治的、そして社会的地位においてジェンダー平等を尊重する日として設定された記念日の1つ。
ちょうど私がアメリカに行こうと真剣に考えていた頃、1980年2月、当時のジミー・カーター大統領は1980年3月2日から8日までを全国女性史週間とするという大統領布告を出した。
 やっぱりアメリカは、やることが半端ないと思ったことを覚えている。
80年代なんて、日本ではドラマではないが、たくさんの不適切がまかり通る時代だった。何をするにしても「女のクセに」とか「まだ未成年のクセに」とか、もっと酷いのは「まとに学校も出てない女のガキが」である。そんな言葉を平気で浴びせられた時代を生きてきたのである。

 でも、そんな夢のような国、アメリカでも、日本よりもっと、もっと酷い差別はあった。今、ここでは書かないけれど……。

 夢破れ、日本に戻れば『不適切』な日常が待っていた。

 でも、そんな『不適切』は、昭和の時代だから横行していた訳ではない。
昭和・平成・令和。ずっと受け継がれてしまった悪い慣習は消えてはいない。
 国際女性デーと、女性差別は徐々に表面上ではあるが消えつつある。その陰で弱者に対する差別は一向に消えようとはしない。
弱者は、目に見える病的弱者だけではない。目に映らない弱者もいることを忘れてはいけない。
 いろんな意味で、アメリカに追随してきた日本は40年以上も遅れを取っている。

 今日、私は年齢差別を受けた。還暦を過ぎたらWorking Womenになれないというのか。年齢が行っているというだけで、使えないのレッテルを貼られるのか。(近場で見つける難しさを実感しただけなんだけど)
 息子は病気を発症し、学校に行けなくなった。中卒のレッテルが付きまとう。片親だからまともな人間に育たたないと言われた。私がいなくなったら、この子はどうやって生きていけばいいんだろう、と、そんな恐怖がずっと付きまとう。

 差別や蔑視を受けてきたのは、女性だけじゃない。
包括的差別禁止法を定義した国際条約は存在しない。
国際女性デーに感じたことを、吐き出すように書いてみた。
 
 あ~、そうだ。ミモザの花を買ってくれば、よかったな。

感謝をこめて、贈ります


サポートしてほしいニャ! 無職で色無し状態だニャ~ン😭