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どこにあるのだどこにもないのか(20231126)

絵を描いていたがiPadの充電が10%を切ったので、充電する間日記を書く。



今日もJUDGE EYESをやっていたのだが、今日は主観モードを使う場面が多かったので画面酔いをしてしまい、苦しかった。そうだ。私は龍シリーズもGHOST OF TSUSHIMAも、めちゃくちゃ酔っていたことを思い出した。だからゲーム用で部屋に常備している乗り物酔いの薬を飲んで続きをやった。そんなに体を張ってまでやることではない。



バターバトラーのバターガレットを貰ったので食べた。とても美味しい。バターフィナンシェがマジマジのマジに美味いので間違いないと分かっていたが、予想を上回る美味さだ。




昨日リングフィットを頑張ったので今朝起きてから腹筋が筋肉痛になっている。横に倒れたり、笑うと痛い。でも筋肉痛ってあんまり嫌いでもない。ちょっと面白いまである。病気ではない状態変化が外的要因によって肉体にもたらされることってあんまり無いから。





今日練習で描いた絵。
シャニマスのファンアートを描きたいけど、二次元美少女をほとんど描かずに生きてきたので練習で模写をした。あっさりした線画と塗りで見せるのは、キャンバス内に基礎的な技術が顕著に現れるのでなかなか厳しい。自分の絵、下手だ。それでも勉強にはなったのでよかった。実際にゲームで使われているイラストは“本物の絵”なので模写をして研究する資料にもなる。絵が上手くなりたいのでもっと頑張ろうと思う。


練習ではない作品も描きたいので2枚ほど描いたが、やはり明確なコンセプトが軸になってくるので、絵の中でやりたいことをしっかり計画しておくべきだとわかった。それと、自分が好きなものが伝わる絵を描きたいので、そこもしっかり自分の中で明らかにする必要がある。





久しぶりにTOP4の雑談を聞いた。1年ほど前にどハマりしていたが久しく聞いていなかった。この人たち、やっぱり好きだな

この雑談は、4人のうちの1人が3人に対して質問をし、回答をチャットで同時に送信して話をするという形式のものだ。好きなしまじろうのキャラとか。キヨが「何をしている時が一番幸せだと感じるか?」と問うていて動画を見てから私もそれについて考えていた。

私はやりたいことがいっぱいあって、読みたい本、やりたいゲーム、聞きたい音楽、描きたい絵、これらが本当に尽きない。最もやるべきことは絵なんだけど、絵を描いていても何か満たされなさを感じて、下手で悲しくて他のこと…散歩に行ったり映画を観たり、そうして気持ちをリセットしようとしてもどこか違う感じが、これじゃないよな、という気持ちで不安になる。絵を描いてもソワソワするし、絵を描いていなくても不安になって、ここじゃないどこかへ行きたいみたいな。何をやってもどこにいても違う!と思って全部嫌になる。

幸せであるということは満たされているということだ。ずっとなにをするにも何かが足りないような心細さは幸せとは正反対で。
私はきっと誰かと自分を常に比較していて、絵が上手い人と音楽に詳しい人といろんなゲームをやってきた人と自分を同時に並べて、一瞬で完璧になろうとしている。体は一つなのに同時に存在しようとしているみたいな。だから全体的に欠けた部分が埋まらなくて不安になるのだろう。
牛沢さんの回答が「動物のいる部屋で漫画を読む」だったのがとてもよかった。他人と比べることなく自分の一番の幸せを確立できていることって、これが幸せなのだとわかって良い時間だった。

私は誰かと2人だけで話をする時間が割と好きで、陳腐な表現だけど世界に2人だけみたいな感覚に陥るのがなんか良いと思う。それは誰かと比べることのない対話の時間だけが持っている優しさだと感じるのだ。この時間が私の知っている一番幸せな時なのかもしれないな。


iPadの充電が58%になった。
今日は昨日よりあたたかいので夜でも絵が描けて嬉しい。

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