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神の愛(20230719)

最近目薬を点すのが上達して少し、いやだいぶ調子に乗っていたと思う。今は反省している。さきほど点眼しようと奮闘していたが全て的を外したため、諦めた。しずくを何度落としたか、10滴からはもう数えるのをやめてしまった。頬が濡れている理由は目薬か、涙か…。
目薬のコツ、どこで会得するのだろう。何年経ってもまるで上達しない。私は何度か、目薬の達人の技を学校や会社で目撃したことがある。目にも止まらぬ早業とはあのことをいうのだろう。彼らにも目薬の師と仰いだ者がいたのだろうか。



日本語って難しい。紙の規格のBは、B1(ビーワン)、B2(ビーツー)ときて突然B3(ビーサン)
になる。ビースリーとは絶対に言わない。なんなんだ。
数字もそうだ。十万、百万、一千万、一億。途中から一が登場する。

前に、単位の「本」と「杯」に共通する法則があるという投稿をTwitterで見た。一本二本三本、一杯二杯三杯。ぽんほんぼん、ぱいはいばい。1、2、3、は子音がP、H、Bになるのだ。素晴らしい発見だ。




過去の悲しい記憶を掘り起こして落ち込んでいた。昔のことだ。明瞭な悪意に対して、こんなにまっすぐに悲しくなる気持ちが私にまだ残っていたのか、と少し驚いた。私って生きていても良いのだろうか。どんな人間でも生きる権利はあるからおそらく良いのだろう。

誰かに許されたいという欲がここ最近自分の中で影を濃くしてきている。
ひとりの人間を好きになりたいけど、本当に難しくてぜんぜんできない。恋のことではない。視野狭窄に陥って無我夢中にのめり込むのではなく、しっかりと正気を保ってその人のことをひとつひとつ許していきたい。そういう愛に憧れるけど、手に入らないまま死ぬ可能性の方が大きいだろうと思う。難易度が高すぎるから。
まだ読んでいる途中の本だけど、「贈与論」に書いていたことを思い出した。人は純愛に憧れるが、性欲を伴わないプラトニックで無償の愛は突き詰めると神の愛に行き着くのだ。人間は潜在的に神の愛を求めていて、必ずそこに辿り着くのではないか、という考え。私はいつかうっかり宗教にのめり込んで取り返しがつかなくなるかもしれないような人間なので、本当に気をつけて生きなければならないと常に思っている。自分で自分が心配だ。





創作大賞に応募した小説を紹介された記事を夕方に読んだ。私の小説だ。感想も書いてくださって、たまらなく嬉しかった。本当に読んでくれる人がいるんだ、と救われた気持ちになった。感想ってすごい。こんなにも嬉しいなんて…。ありがとうございます。

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