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小山田壮平ライブツアー2023 広島 感想


パルコに到着。
パルコ前の広場のような場所に所謂パリピな若者がいっぱいいて緊張した。建物の中に入ると多くが有名なブランドの服屋だった。このままここにいるとおしゃれに殺されてしまいそうで、とりあえず店内マップを見てみる。9階に無印があるそうなので、そこに避難しようと思い向かったが、無印があるのは新館で、今私がいるのは本館だったので逃げ場を失ってしまった。
GAME OVER… そう思っているとムーミンマーケットという店があると知り、すぐそちらに飛んでいった。



かわいい〜
店の雰囲気も他のお客さんも穏やかでほっとした。
ムーミン観たことないけど好きだ。いつか観る予定。
何か買おうかと思ったけどライブ行くのに邪魔になっちゃうから何も買わなかった。ただムーミンの癒しを確認しただけの時間だった。


ガチャポンだけ回した。かわいい。




結局、ずっとライブに行くための覚悟はできていなくて、「あ、私今夜ライブに行くのか…」「このあとライブがあるのね…」「このエスカレーターの先か…」とずっとどこか他人事だった。
パルコ10階、clab quattroのあるフロアに到着すると、あ、これ現実なんだ…と少しだけそう思えた。壮平さんの歌がスピーカーから聴こえて、CDや過去のライブDVDが並んでいて。他のファンの人たちが「小山田壮平の〇〇が〜」と口にしているのを聞いて、この場所に集まる人みんな壮平さんの音楽を愛している人なんだ……と改めて気づき、安堵した。今まで生きてきて、ラジオや動画以外で「小山田壮平」という名を耳にしたことがなかったから ここにいたのか、と

CDを買うか迷って、でも荷物になっちゃうからあとでライブ終わってから買おう。と思っていたら、荷物を全てコインロッカーに預けて、チケット以外手ぶらで入場している人が何人かいたのでそれに倣ってコインロッカーを使用、それならCDも買っちゃお!と不慣れゆえにもたついてしまった。
チケットを提示し、ドリンクを頂こうとメニューを見ると、よく見かけるけど普段飲まない飲み物が並んでいた。その中で最も安牌だったオレンジジュースを選び、カップを片手に会場へ足を運ぶ。

オールスタンディングで、前半分は既に埋まっていた。5分くらい何も考えずに出入り口付近に立っていたが、少し見えにくいし気に入らないから少し後方の中央へと移動した。後方も人が並んでいたので、身長はお世辞にも高いとは言えない私だが、やっぱり後ろの人たちの邪魔になるんじゃないかという不安もあった。だがすぐに慣れた。

20分くらい待ったと思う。足の裏が痛い。
せっかくこういう場所に来たんだからノンアルコールのジントニックを飲んでみてもよかったな、と思うなどしていた。
後ろにいたカップルらしき若い男女が会話をしていた。流れているBGMに、女性が「この曲は今日の人の曲?」と男性に問いかけていた。付き合っている人に小山田壮平さんの音楽を教えてもらってライブに誘われるのは情緒があるな。
そうぼんやり思いながらプラスチックのカップに口をつけていると、ふいに照明が消える。

ステージで4人の人影が動いている。シルエットが浮かぶ。画面の中で数え切れないほど見てきた姿。
本当にいたんだ…
自分のいる世界と壮平さんのいる世界って同じ場所だったんだ…と当然のことに気付かされて少し泣いてしまった。
夢が現実かわからない。
拍手が広がる。自分も拍手をしたいのに飲みかけのオレンジジュースを持ってるから、音の出ない拍手しかできなくて、心底煩わしかった。ドリンクはライブ後に頂くべきだった。オレンジジュースを一気に流し込み、服が汚れることも厭わずカップをジャンパーのポケットに捩じ込んで、指が痺れるほど手を叩いた。


以前私は生でドラムの演奏を聴いた際に心臓がバクバクして、ドラムのリズムに鼓動がつられるような感覚に恐怖を覚えた経験がある。だからライブでの爆音に対しての聴力とか脈拍が不安だったが、実際聴いてみると全然うるさくなかった。どうしてだろう。


ライティング。今までライブを映像でしか見たことなかったからわからなかったが、ライブにおいてのライティングってかなり重要だ。音楽の緩急に合わせて光の数や角度、色を変える。視覚情報がどれだけ雰囲気に顕著に影響するのかがよくわかった。

例えば、「恋はマーブルの海へ」では多くの色を使ってマーブルを表現し、「sunrise&sunset」はアップテンポだから多数の色、照明を使い曲の明るさを表現する。

自分の中でライティングが一番印象的だった曲は「光」。最初のサビで逆光になっていた壮平さんがあまりに美しかった。光と出会うこの曲で、聴く者たちにとって壮平さんが光であると等しく思えるような演出に鳥肌が立った。


今回が初ライブで、ずっとライブ会場での自分の在り方がわからなくて心配だった。とりあえず前にいる人のように少し頭を揺らしてみる。慣れるとノることの方が自然になってくる。むしろノっていないと、ノっているのにそれでもなお、気が狂いそうな気分だ。
歌ってくれている人に対してそのとき聴き手にできることは、ただ音楽にノること以外にないから、狂おしいほどの高鳴りをどこにもやれずにパンクしちゃいそうだ。

普段音楽を聴いていてもノる習慣がないから、自分が生の音楽を前にどうなるか不安だったが思いの外体を揺らしていた。膝のバウンドを使って、頭を振って。拍手をする手の高さだって胸の前だったのがいつからか頭上にまで上がっていた。恥は無かった。
周りに合わせてやっているというより、勝手にそう動いてしまう。義務じゃなくて反射だ。口の中に食べ物を運んだら何も考えていなくても咀嚼してしまう、みたいな。次々に口の中に詰め込まれていくものを咀嚼して処理していかないとパンクしてしまう。
「音楽にノる」という行為は咀嚼だったのか。


歌うこととノることがまるで対話のようで、一人一人が音楽に集中して、肉体から離れた魂だけが集まっているような感覚だった。すごい。ライブってこんな場所だったんだ。ライブ好きな人の気持ちがよくわかる。
ただ家でひとりでCDを聴くような2次元的なものへの消費とは全く違う。演奏して歌う人の声、音、動き、目の前で起こっていることから目が離せない。
壮平さんの歌い方が、CD音源よりももっと深い、ここまで来た道のりを語ってきかせてくれるような、これまでインプットしてきたものを全部見せてくれるような…そういう優しさだったり愛おしさに溢れていた。それらを掬い上げる行為はライブという場を設けないとできないことだ…。

そして聴き手はこの思いをライブを終えてどう表現すればいいのだろう?みんなどうしているんだろう。音と言葉と気持ちと生の演奏で構成されたものを表す、適切な言葉が見つからない。絵にも描けない。もうこのままこの気持ちを抱えてエネルギーに変えて生きていくしかないのかもしれない。
言葉にできないからその思いを確認するために、またライブに行きたいと思えるということだろうか…



曲が終わって、また演奏が始まって、それが毎日聴いている曲のイントロだったときの高揚感は何にも変え難い。特に「life is party」「OH MY GOT」「恋はマーブルの海へ」「ゆうちゃん」「sunrise&sunset」「16」は本当に毎日、朝と夕方に聴いているから、服薬している音楽だから、嬉しすぎて  助けてくれ〜!という気持ちで狂いそうだった。

その中でも一番思い出深いのが「life is party」だ。私がandy moriと出会って最初に一番大好きだった音楽だから。(一番最初に聴いたのはハッピーエンド。)
この曲と出会ったのは、たまたま点けていた深夜ラジオだ。良いなと思い、聞き取れた歌詞を検索して曲名とアーティスト名を調べる。andy mori。そこからグロリアス軽トラ、クラブナイト、シンガーにハマっていった。
しかしそれは今から5、6年のことで、既にandy moriは解散していた。だけど今までずっと聴いていた。
andy moriを解散しても壮平さんが音楽活動を続けていることをここ数年まで知らなかった。好きなのに、最新情報をチェックできていなかったのだ。ALのCDを買って聴いた。

その後Twitterを見てみると、ライブツアーがあるらしい。どの会場も私の住む地域からは少し離れた場所だったから諦めていた。

今年の1月か2月の夜。深夜ラジオをつけて流しながら作業をしていると、ふいに「小山田壮平さんの〜」という声が聞こえてハッとした。すぐ後に流れる歌が胸に響いて、慌てて聞き取った歌詞の一部を検索して、結果を見る。full of loveの「青い空の幻」。full of loveは簡単にまとめると旅で出会ったひとたちと始めたプロジェクト。full of love、愛でいっぱい…。どの曲も優しくて、民謡的で私の音楽の好みのど真ん中だった。
数日後、なにもかも嫌になっているときに初めて「full of love」を聴いて、何がなんでもライブに行こうという決意が固まった。壮平さんの祈りの音楽に私はずっと救われてきたのだと気付いたから。



色々と思いながら聴いていて、彼らは舞台袖に引っ込んで行ってしまった。
終わった…拍手は鳴り止まず、気が狂いそうな私はせめて最後まで残って手を叩いていた人になりたいという願望を持ってしまい、ずっと手を叩き続けた。だが、一向に鳴り止まない。手が痛くて、腕も疲れて仕方ない。段々拍手のリズムが遅くなってきた。みんな最後まで拍手をしていた人として残りたいんだなと思い、対抗心を燃やして絶対にやめるまいと手の動きを続ける。なんなんだこの謎のチキンレースの空間は…と戸惑いながらリズムに合わせて手を叩く。
すると舞台袖からまた4人が登場した。
私が勝手に勘違いしていたものの正体はアンコールだった。なんだよ誰か教えてくれよ、と勝手に可笑しくなった。



本当にライブが終わった時、照明がついて一気に現実に戻された。ああ、本当に終わっちゃったんだ…。月並みな表現だが夢のような時間だった。2時間なんてあっという間だ。でもあの時間は忘れられない時間だったから、それはもう永遠だと思える。


知らない曲が何曲かあったがソロアルバムの曲だと分かった。今日までに聴いてこなかった自分を悔いた。でも初めて聴いたのが生の演奏だったから、より思い出を持ってこれからその曲たちと付き合っていけるというのは幸せなことだとも感じる。コインロッカーから買ったCDを取り出してそう思った。

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