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悲しい気持ちは(20231120)

会社で昨日のライブの感想を話したりした。歌っていた人に、ステージから見て私たちが死ぬほどガン見していて怖かったと言われた。確かに、“後方腕組み彼氏面”の対義語みたいな感じだったかもしれない。“前方両手お膝舎弟面”だ。


先日あった会社の飲み会に私は不参加だったのだけど、会社のごく稀にしか言葉を交わさない人に「なんで来なかったの?寂しいじゃん」と言われて嬉しかった。本心でないことはわかっているけど、こんな取るに足らない私なんかをちょっとでも気にかけてくれた優しさがとんでもなく嬉しくて、次はきっと行こうと思った。



昨日は上機嫌で、今日も日中楽しくやれたと思っていたがやっぱりちょっとだめだ。すっげ〜情緒が不安定。気持ちの緩急が激しすぎて参ってしまう。
昨日会社の人と少し距離が縮まった気がしたけど、本当に「気がしただけ」かもしれなくて、突然悲しくなってしまったのだ。馬鹿げていると思う。

私に優しい人は誰にでも分け隔てなく優しい人だということは理解していたはずだった。だけどやっぱり私は友達が少なくて、本当に少し、角砂糖ひとかけほどの好意を与えられるとめちゃくちゃに勘違いしてしまう。まだ友達になれると決まったわけでもないのに「今度ご飯行きませんか」なんて誘ってしまって、迷惑だったのではないか。私と仲良くなりたいというのは、他の人とは一通り距離を縮められたのに私だけが遠いから、その凹凸を埋めるためだったとしたら。もし本心で仲良くなりたいのであればこの考えは失礼極まりないのだが、私は背筋がぞわぞわするような不安感があって。どっちが正解なのかなんて、馬鹿だからわかんねえんですよ。もしご本人が読まれていたら…すみません、あなたに対してこんなネガティブな感情を持って、しかもこんなインターネットの掃き溜めにコソコソと吐露してしまって。許していただかなくて構わないので、迷惑だったら迷惑だとその都度教えてくださると幸いです。

だめだな、人間との適切な距離感が測れない。下手すぎるよ。ごめんなさい、すみません。生きていてすみません。もうこんなんじゃ飲み会なんて行けないや。ごめんなさい、せっかく誘っていただいたのに。カスすぎてすみません。

誰かにとっての一番になりたいという傲慢さが存在している。きっと私だけじゃなくて多くの人がそうだとは思うけど。何か、もしくは誰かにとっての替えの効かない人間になって、自身の存在価値を見出すことが人生のゴールとして定められている。その最も単純でありふれた方法が結婚すること、家庭を持つことなんだと思う。でも私はその二つのどちらもそんなに興味がないのだ。自分に似た人を見つけ出してパートナーにすることが最適だと言われているけど、でもやっぱりどんなに自分と似ていても違う人間だ。全部分かり合えるわけがないし、ひとつにはなれない。魂が隣に並ぶだけで、結局永遠に孤独なのだ。そう思うと私はとっても悲しい気持ちになるよ。

私は互いにとって一番の友達と言える相手が欲しい。なかなかいない。もしかしたら、生涯そんな人と出会えない可能性も大きい。私にとっては数少ない友達でも、相手にとっては大勢いるなかの1人でしかない、そんなことばかりだ、私の人生。なぜかというと私に優しい人は誰にでも優しいから…。

誰かにとっての1番になれないのなら、もう何かにおける一番を目指すしかないのだ。一番でなくとも、私はもう絵を描くことしか残されていない。こんなことを言っても絵さえも残っていないのに、必死にしがみついているだけだけでもある。わかっている。下手だ。でもそっちに向かって歩くしか道がない。


だめだ!!!こんな日記で、どうするのだ。
今日は随分前に注文した、愛する人のCDがようやく届いたよ。



魂が救われる音だ。ありがとうございます。

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