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味のデフォルメ(20230725)

なんか最近みんな草引きしたり除草剤撒いたりしている…と思ったら、梅雨が明けたからか。夏だ。学生も夏休みで羨ましいなあ。来月盆休みがあるけど、学生の夏休みが心底羨ましい。まる1ヶ月以上あるんだぜ。いいよなあ。

今日も寝不足ではあったが割と頭がしっかりしていていい感じだった。日記を書く手も止まらない。睡魔と私のタイピング、どちらが速いか。勝負。

盆休みはやりたいことがあるからそれまでに読みかけの本を読んだり、諸々のことを済ませておきたい。


人に貰った飴を食べた。もも味。かなり概念的な桃の味だった。本物の果物の桃の、汁気や鼻を抜ける空気とは程遠い、バケツツールでピンク色にベタ塗りした、バーミヤンのロゴのようなイラストの味。

果物の味は本物と乖離したデフォルメの味が存在している。イチゴやぶどうもそうだ。特に飴になるときに味の描き方が大きく分かれる。再現した風味を砂糖に閉じ込めるという行為はそれだけ難しいのだろうか。しかし、本物の果物に近い再現度のものも存在する。コスト面を考慮して割り切っているのか、それともデフォルメされた味は本物に近い味とは違う価値があるのだろうか。写実絵画に並ぶイラストレーションのような関係なのか?



音楽の聴き方がわかってきたかもしれない。今まで音楽に集中しようとしても上の空になってしまい、気がついたら曲が終わっているということばかりの人生だった。少し前に音楽の構造がなんとなく理解できてから、リズムや伴奏に意識的に耳を傾けるようになった。ひとつひとつ取り除いていくように注意して聴いてみると同じ曲でも、異なる音の連続として捉えられておもしろい。歌詞のメロディだけでなくそうやって楽しんでみると上の空になることも減った気がする。


みんなこうやって聴いていたのだろうか。

よく、音楽を流しながら作業をすると音楽に集中してしまって手の動きがおろそかになる、という人がいるが私はいまだにそれが理解できない。だからと言って真逆というわけでもなく、私の場合は意識がある一定までフェードアウトして音楽が聞こえなくなり、作業はなにも考えなくても勝手に手が動いてくれる。だから私は上の空で好きなもののことを考えていれば、気づいた時には全部終わっているのだ。手は忙しいのに頭は暇、という時間が多い。これがどういった状態なのかはわからない。私はここ数年までこの状態を「集中している」と勘違いしていたがおそらく違うと思う。真相はわからないけど。

もっと書きたいことがあるけどもう眠いので終わり…

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