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予定調和(20230620)

ここ最近は生活がめちゃめちゃになってきている気がする。夜は22時頃になると気を失うように寝落ちしてしまい、朝3時過ぎに起きて朝活をし、出社時間はギリギリだ。帰ってからリングフィットをして風呂入ったり諸々のことをやったらもうすぐ寝る時間、ウトウトしながら日記を書いて寝る。

今日は帰宅後、リングフィットをやってすぐ風呂入ってうだうだして読書してたら寝落ちしていた。晩飯は20時半頃に食べた。大丈夫なのかな、肉体的にも。4時間半しか寝ていない日もよくあるから、寿命が心配だ。私はもしかすると短命なのかもしれないな、と思うことがたまにあるので気をつけるべきなのに。

でも使える時間をマックスで使わないとやりたいことってできないよね。どうやって折り合いをつけたらいいんだろう。


今日のリングフィットは20分くらいだったけど、ものすごく疲れた。息も切れていた。匿名ラジオを聴きながらやると「ははっ…はあ、はあ、…」と息を切らしながら笑ってしまうので面白い。

なんかさっきから肩と首と足の付け根が痛むけど、これは今日の運動の疲れ?それとも昨日の運動からきた筋肉痛?よくわからない。

筋肉痛がおもしろくなってきた、と先日も書いた。その理由はなぜなのか考えてみると、「自分の身体に制限がかかって、できる動作が下手くそになる」という現象を面白がっているようだ。私は。
おそらく、ハンドシミュレーターの実況動画のような客観的なウケが自分のなかにあるのではないか。


運命について考えていた。
運命ってなんなんだろう。
例えば、仕事をしながら趣味でイラストを描いているAさんがいるとする。そのAさんは数年後、仕事を辞めてイラストレーターとして成功する。それは運命なのか?運命って、どんな行動をとったとしても同じ道を辿ることをそう呼ぶのか?そうだとしたら、Aさんが苦渋の選択の末掴んだ未来もどの道そうであるのなら、運命って恐ろしい。

どんな選択をしても同じ結果が待っているのなら選択って何の意味があるんだろう、と疑問に思う。どうせそうなるなら、その過程必要ないんじゃない?フローチャートは本当に最後まで枝分かれしているの?

どんなに足掻いても周りの環境によって自分がどんな性格になって、どんな姿に憧れて、将来どのようになるのか、今考えていることさえ予定調和だとすると、自分の意志でなにかを決定することなんて絶対にできなくて、ただそこで起こる化学反応のような現象に過ぎないのではないか。「運命を変えること」も運命の中に含まれているのではないか。

今日こういう考え方に至り、これを日記に書くことも運命だとしたら…

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