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七つの大罪と私たちの不完全さ(20230430)

朝ごはん

少し前に買ったクルミが美味い。ただ素焼きのクルミ。

袋に「TON’S」と大きく書かれている。
調べてみると1959年に神戸に誕生した日本初のナッツメーカーらしい。なるほど。そりゃあ美味いわけだ。
神戸と書かれている食べ物ってなんでも美味しく感じる。事実美味しいんだけど。神戸〇〇ってハズレがない。

TON’Sのクルミをまた買います。

今月読んだ本。


昼に映画「セブン」を観た。
すごく有名な作品だから数年前から認知はしていた。それでもなかなか観なかったわけは、Twitterの「二度と観たくない映画」みたいなタグでいつも見かける作品だから。

でも実際観てみるとそんなにトラウマ作品というわけでもなかった。
どちらかというとかなり好みだった。

サマセットとミルズの関係や町の雰囲気が少しだけ「DETROIT BECOME HUMAN」を彷彿とさせた。犯人を追いかけるシーンも。

映像的、ストーリー的には静と動が象徴的だったかもしれない。
決定的な証拠が見つからず、穏やかに進んでいく捜査とその静寂を打ち破る大きなアクシデント。
サマセットとミルズの関係も静と動だと言えるだろう。冷静さと感情的というのもある。


私は物語を楽しむときにいつも「このシーン、いる?」という目で見てしまうという悪癖がある。シーンだけでなく人とか回想シーン、アイテム、設定。気になるポイントに対してなぜそれが描かれているのかを考えて、きっと伏線なのだろうと早い段階で察してしまい、自分で自分にネタバレをされるということがよくある。誰も言わないだけでみんなよくあることかもしれない。そうだとしたらちょっと恥ずかしい。

この人死ぬな、というのがわかるから、トラックが荷物を運びに来た、というシーンで箱の中身がわかってしまった。

ストーリーに直接関わってこない人は殺されるために登場している傾向にあるから、脇役ってメインストーリーに頻出させないと怪しまれるな、と思った。

いい物語って最低限で、いらない要素がないから上手いが、先が読めてしまうと悲しいので本当に関係ない描写もある程度入れておく必要があるのかもしれない。
しかしそんなことしなくても本当に上手いストーリーって必要最低限の要素で二転三転させて面白さを作れるからいらない要素なんていらないだろ…とも思う。


登場人物に関して
先述した冷静さと感情的という言葉で二人を端的に表現できる。
サマセットという人間は七つの大罪のどれにも該当していない。独り身でしっかり働いて真面目に生きている。
それに対してミルズは即物的というか猪突猛進でサマセットとはまるで正反対だ。ジョン・ドゥの言葉にも煽られてすぐに苛立ちを表してしまう。
そんなミルズの人間らしさが物語のスパイスになっている。もしも彼がサマセットのように真面目な人間だったらこの映画は成り立たない。主人公サイドの刑事に犯人の提示する七つの大罪に該当している人物がいる、という矛盾点。

ラストでジョン・ドゥの思い通りに行動してしうのも彼の人間性が生み出した結末だ。

ミルズは「セブン」にとって最も重要な人物と言えるのではないか。
多くの人が七つの大罪の少なくとも一つには該当しているだろう。私もそうだ。わかっていても埋められない不完全さを抱えている。
サマセットのように模範的に生きていけないからミルズの衝動性に共感できる。その共感がミルズというキャラクターを魅力的に見せているのだろう。人間を美しく彩る不完全さってある。

話が逸れたが、欠点を呪う必要はないと最近気づいたのでついそういう見方をしてしまった。
なんかもう、真っ直ぐ生きていたらそれが一番最適解だなと思えるようになりました。

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