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水族館に恋焦がれ(20230819)

なんか気がついたら日が沈んでいるのですが!ちょっと!誰か教えてくれてもよかっただろう。

はあ、やれやれ。


・ラジオを聞きながら絵を描く
・読書をする
・Twitterを見る
・コップに水を汲みに立つ
・体を冷やすための保冷剤を取り替える
・トイレに行く

これだけを繰り返していたら1日が終わってしまった。とほほ。


龍が如くの最新作のpvが発表されていたので見た。桐生一馬がまたしても大切な人を質に取られて悲しんでいる。なんとかなってくれ、彼を救う方法はないのかとこちらの胸も締め付けられる思いだが、仕方がない。自己犠牲の人間の選ぶ最適解なんて何度やり直したって同じ運命を辿ってしまう。桐生さんの人情深さとカリスマが突き進んだ先は押し並べて波乱の道なのだ。

それにしても、メインストーリーのシリアスさと並べて娯楽(キャバクラ、ビリヤード、ミニ四駆レース等)を楽しむ姿を見せられるとお笑い草だな。しかしメインストーリーで享受する痛みはそんなもので掻き消せる程度のものではないのだろうな…。龍が如くシリーズを舐めてかかってはいけない。クリア後のヒリヒリと痛む胸の傷の苦しみは何度味わっても慣れることはないのだから。



panpanya先生の「足摺り水族館」を読了。前半にもすごく好みの話が収録されていたが、今日読んだ最後の話、「君の魚」がかなり印象に残った。物語の展開に大きな喪失感を与えられたが、ラストは悲しみの波だけでは引かなかった。予想を超えた結果になったが目的は果たせていたものね。
このストーリーを読んで、以前衝撃的だった出来事を思い出した。知人がTwitterに熱帯魚だろうか、小さな魚類を数匹放した自宅の水槽の写真をアップしていた。たったそれだけの出来事で大きな衝撃を受けた。そうか、自分の部屋で熱帯魚って飼育してもいいんだ…。自分で犬猫よりも小さな命を管理し、観察する。そのようなやり方で豊かさを得るという行為が自分の人生において盲点だったので、非常に感動したことをよく覚えている。その記憶がリフレインした。


おやつにおさかなのもなかを半分食べた。頭の方が冷蔵庫に残っている。


最近はnoteでいろんな方をフォローしフォローされている。同世代の方が多いとは思うが、自分とは全く異なる境遇の中で生きている人間の日記を読むのはおもしろい。自分の日記もまた、誰かにとっておもしろいものになっているのかもしれない。そうだったなら嬉しい。

ぼんやりと、日記を書いている人たちでアンソロジーが書けたら良いかもな、とたまに思う。各自で書いたものをネップリに登録、印刷して各々で製本する。もしやるならば、そうするにあたってなにか一貫したテーマのために、離れた場所でもできる同じことをして過ごさなくちゃならない。それは例えば自分だけの散歩道の話であったり、もしくは正月とか夏祭りなど、どこにでもある行事でも良い。…まあ、そういうものができたら嬉しいね、という遊びの妄想…それをひとり考えて楽しんでいた。

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