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日記と「名称未設定ファイル」感想(20230421)

100円の豆乳を飲んだ。
豆乳買おうと思ってお店の棚を見てて、賞味期限が8月だったんだけど未開封だとそんなに保つんですね。開封後は2、3日で消費しないといけないみたい。好きなのに豆乳に関する知見が浅い。


名称未設定ファイルを読了。
読みながらちまちま書いていた拙い感想を載せる

『猫を持ち上げるな』


なんでもないことを取り上げ、偏執狂的フィルターをかけられると、ネット社会では瞬く間に矛先を向けられてしまう。匿名の他人たちの限定的な視点に問題視され、飛躍し、日常からかけ離れていく。
ネットは言うまでもなく便利で、面白情報や得する情報がいくらでも簡単に手に入る。しかし、その便利なネット社会は玉石混交。現実社会よりも、匿名故の無責任で信憑性のない記事や主観的な偏った意見、嘘に溢れている。一度取り憑かれてしまうと、日常を侵食して、異常さに心を蝕まれていく。炎上した投稿をくだらないと横目で見ているうちに、目が離せなくなる。他人のなんでもない出来心が、独善的でヒロイックな、正体不明の狂った善意たちにいたぶられているところから。
もし自分が同じ目に遭ったらどうなる?大丈夫でいられるか?いつか自分もやり得る、些末でなんでもない"失敗"。だから配慮に配慮を重ね、己が何者なのかわからなくなる。
ラストはネットに縛られない時代遅れな人間と炎上のことなどつゆほども知らぬ飼い猫が日常を返してくれる。
些細なことが身を滅ぼすから、小さなことに拘り、雁字搦めになる。気付かぬうちに誰もがネット社会の異様さに日常を握られている。人は簡単に影響され、世間への見方は変わる。ネットに見せた出来心が、ネットからも現実からも己の居場所を奪う。

あまりにも他愛無い、誰もが見に覚えのある物語に、無意識を皮肉った彼の視点にハッとさせられた。自分では言葉にできない、心に内在する不安感を全て綴ってくれたから気づくことができた。

『この商品を買っている人が買っている商品を買っている人は』

絶対的な説得力で、絵に描いたようなディストピアを見せられ、ゾッとした。昔から散々言われ続けている「将来人類はテクノロジーに支配される」をしっかり論理立てて描いた作品だった。
服、気候、川、住みやすくていい街だと満足していた主人公。YousiaからWatch-ingが届いた頃からAIに主人公の求めるものや好みを握られていることの不安さを感じ、読者の心情が緩やかに翳る。
例えば、今このiPhoneで読んだ小説の感想を書いているが、こういう些細で何気ないところから学習して情報を集められ、支配は始まっていくんだろうなと思い、不安になる。
そう考えるとキーボードの予測変換やPinterestのおすすめのピンにも恐怖してしまう。こちらの行動を予測されているように思えてくるから。それだけ説得力のある物語だった。
最後とんでもない結末になっちゃうんだろうなと思いながら読み進めたが、終始穏やかな狂気で、結論づけるような終わり方は描かれなかった。絶望的な結末を描かなかったことがなんだか希望的にも感じられたが、楽観的すぎるな。

『天才小説家・北見山修介の秘密』

女子高生がひとつのものに夢中になってのめり込んでいくさまの描き方がリアルだった。
手の届かないと思っていた憧れの人にメールでアプローチしてしまうところ、その返事に驚いて息もできなくなるような感覚に覚えがあるので、自分の経験のように共感して読めた。
先生が女性なのでは、と言う点は予想できたが、個人ではないことには驚いた。関係ないが真っ先に矢立肇を連想した。
今作は一体どこでテクノロジー要素を出してくるのだろう?と思いながら読み進めたが、意外だった。作家が複数の労働力を統括する様で、人間とAIを想起させる。使う者と使われる者。読者の一人だったはずなのに、北見山先生の一部になって、彼女の作品のパーツになる。運命が滑らかに動いて作家に取り込まれる。

男性だと思っていたら女性だった。個人だと思ったら分業だった。ガッカリを小分けにして理想から乖離していく心情が、岬と読者でリンクして物語にのめり込んでしまう。すごい。岬の友人、アキが吹奏楽部に所属しているという設定が冒頭とラストで意味が異なって読めるのもニクい。
皮肉の織り交ぜ方がなんか、もう、すごい。隠し包丁みたい。

『紫色の洗面器』

動画サイトでホームメイド動画をなんとなくみている。
他人の生活を想像して覗き見るという行為は、散歩ルートにある一軒家の庭や、他人のカバンから覗くぐちゃぐちゃの折り畳み傘、コンビニの駐車場に停められた車の中など様々な場所で楽しめる。

普通誰も気に留めない画面の向こうの子どもの境遇に気づいてしまう。
身近に潜む闇の存在をインターネットを通して知る。それが誰もに共通する情報ではなく、自分の隣の家だとたまたま気がついたから暴いてしまった闇だから、この男だけが抱えなければならない秘密となる。
結局隣人と少女の真実はわからぬまま、物語は終わる。
コンテンツ作りのために行われている表立って言えないこと、それをここまでイヤな描き方できるのか…とすごく後味の悪い読後感ではあったが強烈に記憶に残る物語だった。

『みちるちゃんの呪い』

幼さからの脱却と、いちいち自分の前に現れてそれを妨害しようとする少女との記憶。
あーそういう子っているよね、と思わせる言葉にできないが"そういう子"としか言えない少し面倒くさい子、みちる。
「地獄に落ちるよ」
母の口癖がうつって発した言葉をみちるに返される。
怒った母の言うものよりも、いつもヘラヘラしてふざけている子の口から出る「地獄」は珠美にとってずっと重い言葉として耳に残ってしまうのだ。
きっとみちるはそこまで考えずに呪いを口にしたのだろう。おそらく同窓会に行ってもみちるはそんなことを覚えていない、と第三者である私はそう思ってしまう。確かにその恐怖は理解できるが、杞憂であってほしいからか、みちるはきっと覚えていないと願いすらしてしまう。

"自炊"をして本を捨てる行為が浄化になる。本の呪いではなくみちるの呪いから遠ざかるために。

『過程の医学』

人間とAIでは同じ結果に繋がるための思考回路が異なる。AIは途中式のない方程式だ。
AIの眼鏡に従っていくと、人間にとっての幸福な社会ではなくAIにとっての最適な世の中になっていく。
赤ん坊を殺せというのはこれからのAIの発達において新世代の人間は排除するべきだと判断したからだと思い、ゾッとした。

『習字の授業』

この作品が中学入試の国語の問題として出たと、確かウロマガで読んだ。だから楽しみな作品だった。
「明日」という文字を均一に並べることで壁一面に貼り出された完成作品として見せるのが「うまい!」と思った。
思っていると、壁に貼られた作品ではなく本当に打ち込まれた「明日」が並んでいた。
フォントをコピーしてくるという謎の授業で、先生がそれに合わせた注意の仕方をしていて狂った世界特有のイヤさがあった。
既存の書体を選んで表現するのは、生産者のいない未来を表しているように感じて仄暗い不気味さがある。
これを読んだ小学生は何を思ったのだろう。大人になっても覚えてる子は覚えてるだろうな。

『ピクニックの日』

冒頭はまるで理想的な生活だ。
好奇心のある無知な少年が主人公で、その家族との休日の話。

しかしどことなく不穏さがあって、今回はどこに何が仕掛けられているんだろうとソワソワしながら読み進めた。
パパとアデルに比べて、ママだけが異様さを放っている。逆でもある。アデルはわかるがなぜパパの知識量が息子とさほど変わらないのか。どうして"彩り"を食べ物だけに使う言葉だと思っているのか。
赤く見えるササキさんはアデルらとの運命が交差しないように表示が違って見える、ということか。
知識を制限し、哲学を妨げて、幸福に生きられることが約束された世界。外界から閉ざされ、最適化された環境で悲しみを忘れて生きていける。所謂ディストピア。
無知である幸せと引き換えに豊かではない生活が与えられる。いや、豊かではあるが豊かではない。
生活の豊かさの認知って、その人の知る上限によるものだ。だからこの最適化アルゴリズムがなされた世界では私たちの現実と比べて幸福度を満たすラインがかなり低く設定されていて、己が幸せであると錯覚されている。無知の知がない世界。

『GIF FILE』

gif画像の中に切り離された人間の人生を描くだなんて、誰も考えたことがないような視点に脱帽した。
3.7秒間に起こることを永遠にループし続けるだけの存在。その空虚感はまるで毎日同じことを繰り返し続け、生活する私たちと同じ。皮肉だ。
そこから脱しようともがくジャックと塞ぎ込んでしまうベティ。変わりたいと思い続けても変われるための条件が揃わないと変わることはできない。そういうやるせなさを抱え続けてもやはりなにかアクションが起こせないと生活を変えることはできない。

『有名人』

狂った人に対して、他人に危害など加えないただのエンターテイナーであることを押しつけて、罪を犯すと非難の目で見る。ふざけているのではない。真面目なのだ。真面目に狂っているのに、勝手に楽しんでコンテンツ化して…狂ってることなんて始めから分かってただろ。という主観と想像できない他人。
確かに私たちは他人の失敗を映した知らない人のおもしろ動画を見て笑っている。画面の中のその人の内面など想像しない。ふざけているのか、本気なのか、狂気とオモロを勘違いしてしまうことってあるな…。他人が勝手にコンテンツにすることが何気ないことになっている今はかなり狂っている

『最後の1日』

何もない日々。
どうしようもないやるせなさを抱えながら同じことを繰り返して、なにも変われない自分に対して後ろめたい気持ちで生きていく。
自分がダメなことは自分が一番よく分かっているのに、周りの人間に指摘されて腹を立てたり、他人と比較して悲しんだり、その繰り返しだ。でもそれでもやっぱり動き出せない、やりたいこともないからっぽの自分に気付かされ、現実に打ちのめされる。
SNSで意味のない投稿、顔も知らない他人と浅い付き合いをして、情の薄い家族とスマホを見ながら食事をし、何もない部屋でまたスマホを見る。自分にも思い当たる節があって見ていられなかった。GIF FILEだ。
用水路に落下する事故が多発するのは、同じようなやるせなさを抱えて逃避するためにペダルを漕いでみんな転倒してしまうからだ。

『同窓会』

続きがあった。「みちるちゃんの呪い」の。
会話のどことなく面倒くさい内容から、これみちるだろうな、と思った。案の定だ。
みちるが自炊のバイトをしている、という事実に唖然とした。珠美の送った本をみちるが裁いているのだ。もう彼女とは完全に別の生活を送っている、流れを変えたつもりでいる珠美は、どこにいてもみちるとの縁を切れないのだ。
そして極めつけに、当時と同じ笑顔で口にする。「地獄に落ちるよ」
何も変わっちゃいない。珠美もみちるも。

リアルな他人の人生にゾッとした。こういうもんだよな、と。運命を変えるのって難しい。運命が変わったのか確認する方法などない。
珠美の未来に希望を持ちたかったけど、「みちるちゃんの呪い」の答え合わせをさせられた。自分は楽観的だった。

『クラムゲートの封は切られる』

シュレディンガーの猫のような話だった。いずれ死んでしまうが、好奇心が急所に刃を立てる。
知ることで失われる、奪ってしまう、そういったことは日常に溢れている。例えば、読書だってそうだ。読んでしまえば本も自分の記憶も、もう読む前には戻れない。

残念ながら今回文庫で購入してしまったのだが、単行本では袋綴じになっていて読者が自分の手で切って開く、という体験込みで楽しめるようだ。
開いた袋綴じはもう戻らない。
文庫で読んでしまったことももう戻らないが



いい読書体験になった。この短編集ももちろん良かったが、なによりも毎日朝活で読んで記録して、活字を読む習慣を取り戻せたことが嬉しい。本を買って読むリズムがまるで噛み合わなかったが、これからまた続けていきたい。

月並みで稚拙な感想だと自覚しているが、そう自分で言って「わかってますよ」と保険をかけるのもかっこ悪いと思う。が、そう言わずにいられない。まだそれくらいのレベルだ。もっと堂々と言葉を並べられるようになりたい

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