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第十六話 K/D2.0

岸はこのゲームで初めての殺人を終えた翌朝、会社に連絡を入れ仕事を休んだ。

一睡もできなかった。次の瞬間インターホンが鳴りディスプレイには警官がいる気がしたし、目を瞑っただけで首の後ろにスタンガンの激痛が走りそうだった。

岸は夜通し可能な限り東京サヴァイバーというゲームの情報を探した。
だが当然、ネットにそんなゲームの情報は一つもなかった。

岸はゲームを起動し見れる範囲の全てをチェックした。主にアイテムの情報。それ以外に有益な情報は得られなかった。

ゲームの中で使える「ハック」や「アンチ」「サーチ」というタブからアイテムを一つ一つ見ていった。

「日用品」は全てが売っていた。カップラーメンから拳銃まで。ありとあらゆる「日用品」が買えるようだった。

おそるおそる「銃」をタップした時は警告文がポップした。

『銃。便利だけど、ここは日本だってことを忘れないでね!』

銃の種類も豊富だった。【トカレフ(中国製)】とか【1911(アメリカ製)】などあり数えきれないほどだった。
中には【ルガー(ノルマンディー産)】なんてものもあった。

しばしば訪れるこの陽気なジョークじみた部分は岸の神経を逆なでしたが、おそらくこれらも【購入】をタップすれば寿司と同じように岸の元に届くのだろう。岸の所持クレジットで購入可能なのは【中国製のトカレフ】だけだったが。

朝までこのゲームを調べ尽くしていたが結局、岸のマンションに警察官が押し寄せることもなく、朝のニュースで福田とか言う男が何者かに殺害されていたというニュースが流れることもなかった。

このゲームはリアルだ。それはもう否定できない。岸はこれ以上調べることが出来る事は無いと思えるほどにゲームを操作し続けて気を失う様に寝た。

岸が寝ているところにドアを開け入ってきたのはキャップを被りサングラスをかけ黒いパーカーを着た福田だった。
福田は寝ている岸の横に立った。
福田の手にはあのドライバーがある。

福田はドライバーを握った手を振り上げ寝ている岸のこめかみに突き立てた。

岸は目覚めた。夢だ。時計を見ると二時間も経っていない。血が沸き立つように心臓が震えていた。

このゲームはリアルだ。それは理解した。だが、だからと言って人を殺した恐怖を忘れることはもちろんできなかった。

岸は次の日も会社に連絡を入れた。休みます、と。

気を失うように眠ると福田が部屋に入ってくる。そして岸のこめかみにドライバーを突き立てる。

そんな悪夢を何度も何度も見ていると(これは夢だ)と分かるようになってくる。しかし福田がそんな風に安心した岸の首に両手をかけると夢ではなく死はリアルになる。

止めろ!岸は叫ぶが福田は動けなくなった岸のこめかみにまたドライバーを突き立てる。そして目覚める。

岸は会社を辞めた。とてもじゃないが仕事は仕事、殺しは殺し、仕事の時はいったん忘れて集中しようなんて言えるような状態ではなかった。俺は人を殺した。そしてまだ狙われている。どこの誰かも分からない、何人いるかもわからない。岸は部屋に閉じこもり食事はデリバリーで済ませ(まあこれは今まで通りだったが)部屋から出るのはその食事を受け取りにマンションのロビーにある管理人室に行くときだけになった。

岸はなるべく多くの時間「アンチ」を作動させ、時折「サーチ」を起動させた。

「サーチ」は敵プレイヤーを見字通りサーチ「索敵」するアイテムだ。

まずサーチする範囲を選ぶ。10キロでも10メートルでもいい。サーチを使うとその範囲内にプレイヤーが何人いるかを探ってくれる。しかしそれは何人いるかだけだ。プレイヤーの居場所やそこまでの距離を知らせてくれるわけではなかった。だから10キロの範囲をサーチして「プレイヤーは5人います」と知らせてもらったところであまり意味はない。

しかしそれが10メートルだったら?10メートルの範囲をサーチして「プレイヤーは一人います」と知らされたら?岸は自室で範囲を10メートルに設定して使ってみた。

もし反応があればそれは、左隣は空室だから右隣の母子家庭の母親か(まあクソ生意気な子供の可能性もあるのかもしれないが)岸の部屋の真上の住人か真下の住人がプレイヤーという事になるだろう。

「範囲内にいるプレイヤーは一人です」
まさか!?岸は一時驚いたが、今度は範囲を1メートルに設定し使ってみた。
「範囲内にいるプレイヤーは一人です」
岸は深く安堵の息を吐いた。

岸はマンションの構造を調べ自室から一番離れた部屋でも最長でどれくらいの距離があるのかを調ベた。結果は54メートル。岸はサーチを54メートルに設定し明け方に起動した。マンションの前面の道路を行きかう人が少ない時間を狙ったからだ。

歩行者がいないことを確かめ少し離れた交差点の信号が赤になり車の通りもなくなった瞬間を狙ってサーチした。

「範囲内にプレイヤーは一人います」とは出た。

少なくとも54メートル以内のこのマンションと向かいの居酒屋兼住居、背後の民家には岸以外のプレイヤーはいないという事が分かった。

更にアイテムにはレア度と言う物があり、より高価なサーチはそれだけ効果時間が延びるという事もあるようだったが今の岸にはサーチした瞬間の結果しかわからない。

それなら何度も使い続けていればいい気もするがリスクはもちろんある。まず全てのアイテムはタダではないという事だ。クレジットと言う限りがある。

しかしそれは大した問題ではない。部屋から出なければサーチを使い続ける必要性も薄まるからだ。

「サーチ」の最大のリスク、それは「アンチ」というアイテムの存在だ。

「アンチ」は「サーチ」を検知することが出来る。

「アンチ」を使用している時に「サーチ」されるとそれが通知される。

レア度の一番低いサーチの効果時間は一瞬だがアンチは最低レベルでも1時間は継続してサーチを検知する。

例えば居酒屋で隣の席に男が座った。範囲を1メートルに設定してサーチを使い反応があったらその男がプレイヤーだ。
その男が何らかの方法で岸もプレイヤーであるとあたりを付けやってきたとしよう。しかしこちらはそれを察知出来たのだからこちらが俄然有利になる。
敵は岸が気付いているかは分かっていないだろうが、岸には目の前の男が自分を殺しに来た相手であると分かっているからだ。
岸は知らないふりをして相手を油断させることもできるがもちろん敵にはそれが分からない。

だが「アンチ」がそれを覆してしまう。

「アンチ」は「サーチ」を検知する。
隣の男が「アンチ」を使っていたら岸がサーチを使った瞬間にそれを察知する。
岸の不意をつこうとやってきた男と、サーチでそれを見抜いた岸、さらにアンチで岸に気が付かれたことを悟った男。
そうなればイーブンだ。勝敗は、いや生死はどちらに転ぶか分からない。

レベルの低い「アンチ」は「サーチ」されたことが分かるだけだがレベルの高い「アンチ」は敵がどの程度の「サーチ」を使ったのかが分かる。1メートルの「サーチ」なのか100メートルの「サーチ」なのかまで検知される。そうなると広範囲の「サーチ」は効果が薄いが近距離の「サーチ」は非常に危険でもあるはずだ。

岸は部屋から一歩も出ることが出来なかった。

「誰にも見つかってはならない」というルール。このルールを信じるのならば人気の多い場所にいれば大丈夫だろう。まさか満員電車の中でナイフ片手に襲ってくるヤツはいないだろう。

だがそのルールが本当にナイフを防いでくれるのか?
そのルールがナイフを折ってくれるとでも言うのか?
そのルールが、このイカれたゲームに放り込まれたヤツの一人が更にイカれて白昼堂々襲ってくる可能性をゼロにしてくれるのか?

その可能性はゼロどころか100%でも不思議には思えない。
岸がそうなってもおかしくないからだ。
心の何処かに包丁を手に街に躍り出て目についた人間に手当たり次第に襲い掛かり終わらせられればという気持ちもあったかもしれない。
常にどこかの誰かに命を狙われている、そして自分も誰かを殺さなくてはならないというプレッシャーには耐えられなかった。

いっそのこと・・。という思いが湧かなかったとは決して言えない。

だが岸はそうせずに部屋に閉じこもった。
自炊はしないし包丁を持っていなかったから、ではない。
岸はまだどこかでこの最悪のゲームがリアルではないと思い込みたかったのだ。岸はまだそんな無駄な期待を抱いていた。無駄だとは分かってはいたが「え?お前そんなイタズラに引っかかって会社辞めたのか?」と言われたかったのだ。
福田の事は・・・何かの間違いだ。そう思い込みたかった。
勿論、それは無駄だった。
岸のレモンイエローのスマホが振動した。

サーチされた。

五日だ。福田を殺してからたった五日しか経っていない。

この狂ったゲームに於いて次の戦いまでの間が五日と言う間隔が長いのか短いのかは分からない。

五日。また人を殺してあと二日休ませてくれるか?週休二日くらいはお願いしたいところだ。

東京サヴァイバーを開くと岸が二回サーチされたことが表示されていた。

15分前と5分前だった。この二つは別々の二人が偶然にもたった10分の間に立て続けに使ったという可能性もある。だがその可能性は考えない方が良いだろう。
何しろこのゲームではライフは一つしかないのだから。

誰かが岸の居場所のおおよその辺りを付けたのかサーチを使った、更に絞り込むために10分という時間をかけて更に近づいてサーチを使った。
おそらくこのマンションの前で。
岸本人をハッキリと認識しているわけではないはずだが、同じことを岸が行うのは難しく思えた。

サーチを使い反応があったからと言ってそれがどこなのか、どちらの方向なのかは分からない。だからさらに近寄って絞りこむなど難しいことだ。しかもたった十分の間で近寄ってきたという事はハッキリとではないだろうがこちらの存在を分かっているという動きだろう。
もちろん、一度目のサーチは近距離をサーチし、二度目のサーチは岸から離れて行った後に遠距離で行った可能性もある。そうすれば二度とも岸はサーチされるだろう。

しかしそんな行動をする意味は無い。岸と同じようにこの狂ったゲームを始めたばかりで何も知らないプレイヤーが適当にサーチした可能性は?
ゼロではないだろう。
ゼロではないだろうがその可能性だけを見つめて他の可能性(こいつは何らかの方法で大まかであるだろうが岸を見つけている。このゲームにはまだ岸の知らない高度なアイテムがあるのかもしれない)という可能性から目をそらすことは一つしかないライフを失う危険を増大させる愚かな考えだ。

岸はすぐに行動を開始した。すでに日は落ちており殆どの人が帰宅し終えたであろう午後九時だった。マンションの前の中野通りを歩く人も多くは無かった。

当然向こうは岸がアンチを使いサーチされたことを知っている前提で動くだろう。

岸にはこの対処法が思い浮かばなかった。岸が他のプレイヤーを察知出来たところで向こうもそれを察知する。不意を打つことは不可能だろう。

この五日間、部屋から一歩も出ずに引きこもってはいたが何もしなかったというわけではなかった。

岸は度の入っていない伊達眼鏡をかけてニット帽をかぶり真っ白なパーカーを着て部屋を出た。

岸はマンションを出るとまずレモンイエローのスマホを取り出し確認した。
人通りの多い中野通りの目の前で襲われる可能性は低いはずだ。
そして敵は岸本人その者は確認していないのだろう、だからサーチをかけてきたはずだ。
その点に関してはこのゲームを信用するしかない。

敵は岸が手に持っていたレモンイエローのスマホを目にしたはずだ。

岸は福田と同じ行動をとった。これしか思い浮かばなかった。
レモンイエローのスマホを見せつけ自分が標的だと確認させる。敵はこちらを追跡し始めるだろう。

岸は中野駅に向かうバスに乗り駅に着くと電車に乗った。そして何度か乗り換え世田谷区の成城に着いた。
その頃には自分を狙ってきているの人物を見つけていた。岸より年上で、40過ぎと思しき男性だった。こめかみに白髪が交じり始め、短髪で薄茶色のジャケットにグレーのスラックスか?白髪交じりという事はカツラではないだろう、見分けやすい。

岸は成城学園前の駅を降り街並みを西に進んだ。

成城というと高級住宅地と思われるが実はとても広く成城警察署が成城にはないくらいに広い。

その全てが高級住宅地というわけでもないくらいに広い。成城でも高級住宅地と言えるのは野川の東、小田急線の北、六間通りの西の範囲と言ったところだろう。成城四丁目となる場所だ。

岸は福田と同じ作戦を採った。

あの時、福田は闇雲に逃げる岸を追ってきたが今日この場所を決戦の地と選んだのは岸の方だ。

岸はハックを使った。ハックはネットに接続されている物なら全てアクセスできるようだ。監視カメラでも個人のスマホでもだ。
岸はマンションを出た瞬間の周囲のカメラをハックし、移動中も駅や電車のカメラからの情報を集めていた。その全てに映っている男、つまりは追跡者を割り出していた。

高級住宅地というのは基本的に人通りが少ない。高級住宅地と言うと麻布や赤坂と言った水害の受けにくい高台であるという場合が多いが、現代ではそれよりも通り道にならない隔離された場所であるのが基本だ。成城の四丁目というのはまさにそういったロケーションにある。六間通りから西に向かっても野川があるため通り抜けることが出来ない。用事もなくここを通る人は少ないのだ。

そして今時の高級住宅に住まう住人は家に監視カメラを備えている。ほぼ全てと言っていいだろう。そしてそのカメラは一昔前の録画するだけと言った物ではなくネットーワークに接続され、何かあったらすぐに住人のスマホに通知をする物に進化している。

岸はこの五日間で成城のハック可能なカメラの位置とその描写範囲を調べておいた。その上で薄白髪の男が岸を見失わないように誘導した。薄白髪の男がカメラの範囲外へ出そうになると敢えて姿をさらし誘導した。

殺すべきポイントに。

岸は常に周囲の監視カメラをハックし続け薄白髪の男の位置を常に把握していた。薄白髪の男はスマホを出すこともなく必死に岸を目で追っているようだった。

薄白髪の男は岸が狙い定めたポイントに歩みを進めていた。

岸は後ろから近づく。車で。
予めコインパーキングに置かれたレンタカーを予約しておいた。

出来れば福田の様にハイエースクラスのバンが良かったがそれは無かった。レンタル可能な車の中で最適な物を選んだ。
マツダ3のハッチバックタイプだ。薄白髪の男は岸を見失い動揺した様子で周囲を見渡していた。どちらに行くか迷っているようだ。

岸は車で背後から近づいた。そして福田と同じように夜でも目立つ白いパーカーを脱ぎ眼鏡もニット帽も外し、ハーレクインがプリントされた黒いTシャツを着ていた。

岸は薄白髪の男の横で車を止め声をかけた。

「こんなところで何しているんだ?」
薄白髪は声をかけてきた男が自分が追っている標的だとは気が付いていないようだった。

高級住宅地で「何をしている?」なんて声を掛けられたら誰でも多少なりとも動揺するだろう。人を付け狙っているのならなおさらだ。薄白髪は「いや、ちょっと人を探していて・・」という言い訳を岸に見せつけるように周囲を見渡した。

岸はゴムグローブをはめた右手で背を向けた薄白髪の男の首に触れた。当然その手にはスタンガンが握られていた。薄白髪は少しのうめき声を上げながらその場に崩れ落ちた。岸はすぐさま車を降り更に薄白髪の首に更にスタンガンを当てる。薄白髪は手足を伸ばし痙攣し続けた。

これで数分は動けないはずだ。岸は男を車の後部から車内に押し込み車を走らせた。

岸が薄白髪の男を襲った場所は丁度監視カメラの死角になっている場所だった。

岸が福田に襲われたのは交差点の近くだった。監視カメラに映ることを避けるのなら最悪の場所だと思う。しかし福田は構わずに襲ってきた。それは福田が何かしらカメラの監視を防ぐ手立てを持っていたからなのか、カメラを気にしていなかったのかは分からない。分からない以上、常に最悪の事態を想定し可能な限りの対策を施しておく必要があるはずだ。

薄白髪の男がいかにも小金持ちと言った風の二軒の高級住宅の間で止まってくれたのは幸運だった。二軒の家のカメラの死角になる丁度この10メートル弱の範囲で立ち止まってくれた。

左の家のカメラには薄白髪の男が周囲を警戒しながら通る姿が映り、右に家のカメラにはレンタカーの黄色いマツダ3がゆっくりと進んで行くのが映っていただろう。

左の家のカメラの範囲から薄白髪の男が通り過ぎ右の家のカメラからマツダ3が通り過ぎる。その後、数分の後マツダ3が走り去るのを左の家のカメラが捉えていただろう。薄白髪の男はこの10メートルに満たない距離の間で消えた。

だがその二つの映像を同時に見ていない限り薄白髪の男が消えたとは誰も気が付かないはずだ。仮に警察か何かがこの薄白髪の男を追っていて、この二つの私的なカメラの映像を入手できたとしても、おそらくこのマツダ3が薄白髪の男を連れ去ったことが分かったとしても、マツダ3をレンタルしていたのが岸だとわかったとしてもだ。
その頃にはこの男はこの世から消え去っているだろう。
このゲームのルールを信用するのならばだが・・。

岸はシートを倒しフラットになった後部座席に倒れる薄白髪の男の首に頻繁に触れた、もちろんスタンガンでだ。このスタンガンはもちろんここ狂ったゲームの中でクレジットを使い購入した。

そして何度も試した。自分の身体でだ。少なくとも岸の身体ではどこに当たっても効果は絶大であることが分かった。胴体はもちろん腕だろうが足だろうが、触れた瞬間に身体の自由は一切効かなくなる。最も効果があったのは首だ。何度も福田にやられたからことから文字通り痛いほどわかる。

スタンガンのパワーにもよるのだろうが手足や胴体に当てた時と回復時間が明らかに違う。
首に当てた時と比べると回復するまでの時間は数秒は増す。
スタンガンを手足や胴体に当てると即座に全身が硬直し棒人形のように倒れ動けなくなるが、倒れた瞬間に振り向く程度には動くことが出来る。

しかしスタンガンを首に受けると倒れた後も数秒は指すら動かせないし、なにより脳が、思考がかき乱されてしまう。

それに中にはテーザー銃に撃たれても倒れずに苦痛をこらえて襲い掛かってくるヤツもいるらしい。
おそらくは体格や脂肪の厚みによるものだろうが、スタンガンの電流が脂肪も体格も関係なく効果を発揮するのは首だ。

首にスタンガンを当てられると叫び声すら出せず息が詰まり全身が硬直し激痛と電撃でまともな思考すらおぼつかなくなる。

岸は薄白髪の男の首にスタンガンを当てるたびに自身が福田に味合わされた激痛を思い出した。

岸は次の予定の場所にたどり着き車を止めた。岸は予備のスタンガンを取り出し薄白髪の男の首に当てた。あの激痛を思い出すと岸も苦しかった。だがもっと苦しいことをしなければならない。

岸が福田を殺したのは、こっちが殺されかけたからだ。
福田が俺の首にかけた手に力を込めたからやるしかなかった。仕方が無かったんだ、そうしなければ殺されていた。

だがこいつは?この薄白髪の男は岸に危害を加えてきたわけではない。岸を尾行してきただけだ。

このゲームはリアルだ。それはもう痛いほどに分かっている。静かな住宅街の一角に放置された福田の死体が見つからないわけはない。だが岸は心の中のどこかでまだ(これは何かの間違いじゃないのか?)というかすかな希望を捨てられないでいた。

福田は一命を取り留めたのではないか?
脳に鉄筋が刺さったにもかかわらず治療を終え問題なく生活していたという男がいるというニュースを見たことがある。

では、福田は問題なく生きていて、さらにこの薄白髪の男が中野の岸の自宅のマンションからこの世田谷の成城という高級住宅地まで追ってくる可能性は何かあるだろうか?

この薄白髪の男は成城の住民でたまたま岸の自宅の前にいて、たまたま岸が成城に向かうタイミングとで帰宅するためにバスや電車を乗り継いできた。
偶然にも岸と付かず離れずに。

無い。そんな可能性は無い。

仮に、この薄白髪の男の自宅が成城にあったとして何故そのまま帰宅せずに住宅地を歩いて岸を追ってきたのか?

散歩かもしれない。
仕事を終え帰宅する前に自身が住むこの静かな住宅街で少し散歩していただけかもしれない。

無い!無いんだ!そんな可能性は無い!
殺すしかないんだ、福田と同じように。福田は間違いなく死んでいた。ヤツの脳は岸のドライバーで十分すぎるほどにかき混ぜられていた。
この薄白髪の男もここで殺さなければ、ここで見逃したらこっちが殺されるんだ。

岸は別のかすかな可能性にかけた。この薄白髪の男を殺してもさほど罪悪感に襲われない、ある可能性に。

岸はさらにスタンガンを当て薄白髪の男の動きを止めるとジャケットのポケットから数錠のカプセル剤を取り出し薄白髪の男の口に押し込んだ。

薄白髪の男は電撃で歯を食いしばっていたので口中には入らなかったがおそらく大丈夫だろう。

岸はゴムグローブをはめた右手で薄白髪の男の口を力一杯押した。カプセル剤が薄白髪の男の唇と前歯の間でつぶれる感触があった。

カプセル剤の中身のシアン化カリウムの粉末が薄白髪の男の口中に広がる。

シアン化カリウム。

俗にいう青酸カリだ。岸はスタンガンと共にこの殺人カプセルを買っていた。

青酸カリを飲み込むと胃酸と反応し青酸ガスが発生しほぼ即死と言っていい状態になるらしい。しかし痙攣するこの男にカプセルを飲み込んで貰うことは難しい。

だが大丈夫だろう。薄白髪の男の口中には数グラムの青酸カリが広がったはずだ。
青酸カリは無味らしい。青酸カリを口にしても生き延びた人がいるという事なのだろう。
しかし一般的に青酸カリの致死量は200ミリグラムとされている。青酸カリは無味であるという感想は、おそらく致死量以下の青酸カリを味わっただけだろう。100ミリグラム?50ミリグラム?しかしそんな微量で果たして本当に青酸カリは無味であると言えるだろうか?

この薄白髪の男が口にした青酸カリは有に数グラム。十分すぎるほどに青酸カリを味わっているだろう。だが薄白髪の男が青酸カリの味の感想を口にすることは無いはずだ。

岸は再びスタンガンを薄白髪の男の首に当てた。薄白髪の男は激しく痙攣する。
それがスタンガンによるものなのか青酸カリによるものなのかは分からない。岸はゴムグローブをはめた右手で薄白髪の男の口を押え続けた。
吐き出されては厄介だからだ。

五分か十分かの後に薄白髪の男の動きが止まった。目を見開き口は半開きで青酸カリの粉末が泡立っているように見えた。脈はない。見開いたままの眼球に指で触れても全く反応は無かった。

死んだ。

岸は念のためもう一度スタンガンを当てた。薄白髪の男はやはり痙攣したがその様子は先ほどまでとは全く違っていた。歯を食いしばり全身の筋肉を強張らせるような痙攣ではなく、ただ電撃が全身を震わさせているだけだった。

この男は死んだ。

岸は青酸カリがこぼれ出ないようガムテープで男の口を塞いでから周囲を警戒した。誰もいない。

岸は男の死体を車から引きずり出し野川の緑地公園の茂みの中に隠した。車に戻り念のため中野の自宅マンションから二駅離れたコインパーキングに車を返却し、徒歩で帰宅した。

岸は男を殺した。銃を向けられたわけでもく首に手をかけてきたわけでもない男を殺した。ほんの一言の会話を交わしただけで男を殺した。
岸はわずかな可能性にかけて、かすかな可能性を信じて男を殺した。

自宅に戻った岸は途轍もない疲労感から空腹を覚えたが何かを口にする気分にはなれなかった。
何かを口にしたらそれには青酸カリが振りかけてありそうな気がしたからだ。
あの男が口に出すことが無かった青酸カリの味を岸自身が味わうことになるかもしれないという恐怖があったからだ。
そしてそれを口にしたらあの男と同じようにその感想を口にすることは無いだろう。

岸はコップに水道水を汲んでみたが粉末が振りかけられ溶けていく様子が見えた。

岸は何も口にできなかった。憔悴しきっていた。

そこに二人の男がドアを開けて入ってきた。
一人はドライバーを片手に持ち、もう一人は握った右手をこれ見よがしに突き出していた。
その拳の中に入っている物は分かる。青酸カリだ。

一人がドライバーを岸のこめかみに突き刺すともう一人が岸の口にカプセル錠を押し込んだ。青酸カリは熱く口の中は爛れとても苦く舌が腐り歯は全て抜け落ちた。

分かっている、これは夢だ。ここ数日の間に気を失うたびに見てきた夢だ。

岸はこめかみにドライバーを刺され口に青酸カリを押し込まれる自分を見ていた。

同じ夢を何度も見ているとこれは夢だと分かるようになる。だが夢だとわかったからと言ってどうなるわけでもない。

岸の背後で福田がドライバーを構えるのを見て「気を付けろ!後ろだ!」と叫ぼうとしてもため息のようなか細い声しか出てこない。もう一人の男が岸の口にカプセル剤を押し込もうとする。

「ダメだ!それは青酸カリだ!」と男の腕を掴もうとしても岸は一歩も動くことが出来ない。殺される自分をただ見つめているだけだ。

岸は今日も幾度となく殺され続けた。ハイエースの車内で、野川の公園で、どこか分からない室内で。ドライバーを突き刺され劇薬を口に押し込まれ、そして首を絞められて殺された。

寝ている中でそれが夢だとわかるようになると、殺される自分を何とかしようという夢になった。それは夢の中で殺される自分を助けようとする夢を見る自分を見つめる夢にまでなった。

岸は右手でこめかみをさすり穴が開いていないことを確かめ、口の中に命を腐り落とすような物は押し込められていないことを確認した。

首をさすりながら鏡の前に立った。痣も傷もなかった。昨日までと同じ自分がそこにいた。

だが見た目は同じでも中身は違う。一週間前なら鏡には気怠そうに会社をさぼりたいというささやかな願いを持つ男が映っていただろう。

今ここに映っているのは二人の男を殺し死の恐怖に脅える男だ。

岸はレモンイエローのスマホに目を向けたが、洗面所へと向かい顔を洗い始めた。顔を濡らし洗顔フォームを絞り出しよく泡立ててからマッサージするように顔を洗い始めた。ゆっくりと丁寧に洗った。

顔を洗い流しタオルで入念に拭き取ると今度は電動歯ブラシを手に取り歯磨き粉を絞った。

あのレモンイエローのスマホを確認したい気持ちを抑え歯磨きはさらにゆっくりと丁寧に行った。

あのスマホは宝くじの当選確認のようなものだ。僅かな、本当に僅かな可能性だろうが当選しているかもしれない。だがそれは当然の事としてハズレを確認する作業になる。

当選しているかもしれないという僅かな希望と、当たっているわけがないという事実を突きつけられる落胆。

十分すぎるほどに歯を磨いた岸は洗口液を口に含み最後の抵抗かのようにゆっくりとうがいをした。アルコールの刺激を口の隅々まで行きわたらせ歯の間も十分に消毒し終えて洗口液を吐き出した。

岸はリビングへと戻りレモンイエローのスマホを手にした。そして東京サヴァイバーを起動させた。

通知は一件。

岸は通知をタップした。

「あなたは中井戸さんをキルしました!彼のクレジットとアイテムの半分とゲットしました!さらにボーナスクレジットを得ました!」

「余裕があれば相手のデバイスを回収しましょう!ログインできれば全てのクレジットとアイテムを回収できます!」

宝くじは当然ハズレだった。

岸は僅かな可能性、あの薄白髪の男がこのレモンイエローのスマホを送ってきた張本人であるという可能性にかけた。
この中井戸と言う男が岸に殺人を犯させた人物であるなら、福田と言う男に岸を襲わせた人物であるなら、殺されて当然の人間であってくれれば殺人の罪悪感も少しはごまかせるかもしれないと思った。

だがゲームは続いている。この男もまた岸や福田と同じくこの狂ったゲームの1プレイヤーに過ぎなかった。

岸はそれほど落胆しなかった。宝くじが外れたからと言って悔しがる奴はそうはいないだろう、岸も同じだ。

それから三日が過ぎた。岸は三日間考え続けたがこのゲームの攻略法は何も思いつかなかった。パーカーと伊達眼鏡以外は何も思いつかなかった。

何故ほかのプレイヤーは岸が見つけるより先にこちらを察知したかのように近づいてくるのか?それが分からない。こちらがサーチを使っても当然それは相手にも察知される。こちらは常に受け身だ。狙われてから動くしかない。

そしてまたスマホに通知が来た。サーチされた。

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