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第十七話 後藤のゲーム。

岸は革のハーフコートを羽織って部屋を出ると目指すべき場所もないままにバスに乗り移動した。

1時間ほどバスを乗り継ぎ移動した後に、伊達眼鏡をかけて薄暗い公園のベンチに座っていた。

このゲームには必勝法など無いということはわかる。人と人が殺し合うのだから必勝法などあるわけがない。もしそんな物があるのならそれは戦いではなくただの殺戮でしか無いだろうし、それを手にするのはビギナーの岸ではないだろう。

つまり必勝法などないし、あっては困るのだ。

しかしそれでも岸は一方的に不利な状況に置かれているのではないかと思う。福田と中井戸の二人はサーチをかけてみたらたまたま岸を見つけたのではなく、最初から岸を探しにきたように思える。岸の顔や背格好は分かっていないようだが、何かしらの情報を得て岸を狙ってきているようにしか思えない。そしてこの3人目も。

3人目はどんな男なのだろうか。

岸はレザーコートのポケットに手を入れスタンガンを握った。

これでまた殺すのか?その次はどうすればいい?4人目は不可能だ。なら、ここで……。

岸は公園のベンチで両手で顔を覆いうつむいて3人目を待った。

コートのポケットの中でスマホに通知が来たことが分かった。

岸は微動だにせずにいた。

深夜のこの公園にいるのはおそらく岸と3人目だけだ。3人目はすぐ近くにいて岸の存在を把握したはずだ。だが岸は動かなかった、顔を上げることもなくただじっと待っていた。

この3人目を真正面から倒せるくらいでなければ4人目は倒せないだろう。そう思った。

真正面から戦って倒す必要がある。それくらいできないとこのイカれたゲームは生き延びることが出来ないと思った。

だが本心は違う。
人と人が真正面から殺しあって一方的に倒せる。そんなことが出来るわけがないのは分かっている。
相対する二人が一撃で相手を倒すことなどできるわけがない。
そんなことはよほどの実力差があるか、信じがたいほどの幸運が無ければ不可能だ。

それは格闘技の試合を見ればわかる。ただの一撃で試合が終わることなどほとんどない。
それに相手が真正面からくることなどないだろう。標的が、殺すべき相手が深夜の公園でベンチに座って俯いていたらどうする?俺なら少なくとも背後から忍び寄るか、少なくとも不意を突こうとするだろう。
だがそれはスタンガンのような武器しか持っていない場合だ、それしかないのならばそっと近づく必要がある。

しかし飛び道具を持っていたら?向こうの茂みの影からクロスボウのようなもので狙いを付けていたら?
サイレンサーを付けた中国製のトカレフを構えていたら?
岸は自分が殺されたことにすら気が付けないかもしれない。
さらに言えばそんなたいそうな武器すら必要が無いかもしれない。
ナイフを投げられたら?投げられたナイフの一撃では致命傷にならないかもしれないが、その刃に何か薬物が塗りこめられていたら?
真正面から勝つなどという事は実に甘い考えだ。

岸は半ば諦めていたのだ。

終わりにしたい。

もしくは・・・岸はまたわずかな可能性に掛けるつもりだったのかもしれない。

「死んでよ」

岸の前に立った誰かが言った。

岸が顔を上げるとそこには一人の女が立ち、その両手には包丁が握られていた。女は震えていた。

「あなた岸って人でしょ?もうあなたを殺さないとダメなの」

「なぜ?」岸は聞いた。

「なぜって・・・。だってもう、どうしようもないのよ!お願い、死んでよ」

この女は岸と似たような状況のようだが、違うのは女が岸の名前を知っていると言う事だ。岸は相手を刺激しないようにゆっくりと立ち上がり敵意が無いこと示すようにポケットから手を出し両の掌を女向けて言った。

「俺を殺したってそれで終わるわけじゃないだろ?落ち着け、まずはそう、落ち着いてくれ。なあ話をしよう、な?」

「あなたを殺さないとダメなの!どうしようもないの!」女は興奮気味に言った。

「なあ、頼むから落ち着いてくれないか?俺を殺して全てが終わるのか?そうじゃないだろ?俺を殺してもその次はどうするつもりだ?」

「でも、でもあなたを殺さないとダメなの」

「だから、俺を殺してもその次はどうするつもりだ?」

「そんなのわからない!!」女は両手に持った包丁を岸に突き出した。

「なあ、ならその次をどうするか俺と話そう。俺も同じだ、二人で話し合って解決しよう?な?」岸は両の掌を女に見せて女を落ち着かせようとした。

「ほら、包丁は置いて」

「でも・・でも・・」岸は包丁を渡せとは言わなかったし女は唯一の心の支えとでもしているのか包丁を手放さなかった。

「危ないから、包丁は置いて」岸がそう言うと女は包丁から手を離した。包丁は地面に落ちた。

「ほら座って、話し合ってみよう。なにか解決できる道が見つかるはずだよ」岸が促すままに女は力が抜けたようにベンチに座った。

岸は女を刺激しないように少し距離を開けてベンチに座った。

「何があったんだ?」岸が問うと女は感極まったかのように泣き始めたが、数分も泣き続けた後に嗚咽交じりに少しずつ話し始めた。

女は20分ほど泣きながら話を続けたが、要約すればホストクラブに入れ込み過ぎてクレジットがなくなりどうにもならなくなった。それで岸を殺しに来たという事らしかった。このゲームでは何でも買えるようだがホストクラブにまで及んでいるとは思わなかった。そうは言ってもホストクラブにクレジットをつぎ込む?本気か?

岸は女を落ち着かせようと、しかし驚かせないようにそっと背を撫でてやりつつ聞いた。正直に言えば大事なクレジットをホストクラブに使う女に対して岸の方が驚いていたが。

「大丈夫、それくらいなら俺がなんとかできるよ、いくらくらい必要なの?50万?100万?」ホストクラブへの支払いなら現金でも賄えるだろう。

「1200万」女は言った。

「1200!?」岸は思わず声を上げたが、女の視線が地面に落ちた包丁に向かうのを見て言い直した。

「ギリギリ何とかしてあげられると思う、だから馬鹿な事は考えないで、な?」

女は信じられないという気持ちが半分と、そんなわけないという気持ちが半分で岸を睨んだ。

岸には分かった。この女は信じたがっている、どうにもならない自身の境遇を赤の他人に預けたがっているんだ。

「危ないからこれは投げるよ?いいね?」岸は女を見ながらゆっくりと立ち上がり地面に落ちた包丁に近寄った。女が反応したが岸は両手を広げ女に向けた。

「大丈夫、投げるだけだから。向こうに捨てるよ?いいね?」岸は女を刺激しないようにゆっくりと動き、そっと地面の包丁に手を伸ばし摘まむ様に拾うと「投げるよ」そう言って包丁を二人とも手の届かない茂みに放った。
女は少し安心したようだがそれは岸も同じだった。

岸は両手を拡げ女に見せながら「何か飲み物を買ってくるよ」そう言って自動販売機へと歩いた。

時折振り向き女を見たが先ほどの岸を真似するかのようにうなだれたままベンチに座っていた。岸は両手に革手袋をはめてから自販機でジュースを買い求めた。

岸はお茶とコーラを買い再び女の左隣に座った。女はまだすすり泣いていて安心したというほどではなかったが包丁を手にしていた時よりかはだいぶ落ち着いているようだった。
岸の両手にはめられた革手袋を気にすることもなかった。

女が岸の差し出した二本のペットボトルを見比べコーラを指をさすと岸はコーラのキャップを外し女に渡し、自分の分となったお茶のキャップも外し一口飲んだ。

「でも1000万はねえ・・」そう岸が言うと女は話が違うとばかりに岸を睨んだ。

「何とかしてくれるって!」

「いや、うん・・・でもさホストクラブなんてボッタくりみたいなもんでしょ?少しは踏み倒せるんじゃないかなぁ、全額払う事なんてないよ」

「でも、そんなことをしたら優くんに迷惑かけちゃうよ」女はコーラを一口飲んだ。

「優くんって言うのはホストの名前?」

「うん・・ナンバーワンになるんだっていつも言ってるの。だから協力してくれって」

協力?その協力って言うのは俺を殺すことも含まれているのか?
俺を殺すと1200万も手に入るのか?

「でも優くんが俺を殺してこいって言ったわけじゃないでしょ?」

「う、うん・・・」

「え?まさかその、優くんに言われて俺を殺しに来たの?」

「・・・うん」
女は意外とあっさりと衝撃の告白をして、またコーラを口にした。

「そっか・・でもさ人を殺してこいなんて言う男はどうかと思うけどな」

「そうハッキリと言われたわけじゃないけど、でもそれしかできないし・・」またコーラを飲んだ。

それしかできない?本気かこの女。岸はポケットからカプセル剤を二つ取り出し女に差し出した。

「これを飲むと気分が良くなるから」

女は少しばかり驚いた顔で岸を見た。そして言った。

「カプセルって初めて。ダウン系?」

「そう、ダウン系」岸はダウン系が何のことかはすぐには分からなかったが察しは付いた。
そう、ダウン系。究極の。

女はカプセル剤を口にしコーラで流し込みこれから訪れるであろう薬効に期待して岸にニヤ付いた顔を見せた。
だが1分もしないうちに何かおかしいことに気が付いたようだ。
だがもう遅い。岸は右手をポケットから抜き女の肩を強く抱き寄せた。同時に女は激しく痙攣した。スタンガンの電撃のせいなのか青酸カリによる薬効なのかは分からない。
女が岸に顔を向けた。噛みつかんばかりに顔を寄せてきたがその口はダウン系の苦しみからか電撃の痙攣からか強く歯を食いしばっていた。
岸は右手で女を抑えつつスタンガンを当て続け、左手では女の口を抑え岸から少しでも離れさせるように逆を向かせた。

青酸カリはアーモンドの匂いがすると言われているがそれは青酸カリそのものの匂いではなく、青酸カリを飲み込んだ時にそれが胃酸と反応し発生する青酸ガス、シアン化水素の匂いらしい。そしてシアン化水素は人体にとって猛毒だ。

今の女の口臭は匂うと言ったレベルではない可能性が高く、その匂いが本当にアーモンドに似た匂いなのか確かめようとするのは命がけになる可能性がある。

岸が調べた情報ではほぼ即死と言う記述を見たが女は数分間はもだえ苦しんでいた。おそらくは即死と言うのは即座に絶命するという意味ではなく、もはや助からないという意味が含まれているのだろう。例えば人はギロチンで首を斬り落とされたら即死する。絶対に助からない。だが首と胴体が切り離されても10秒くらいはまだ意識があるらしい。

岸がそんなことを考えながら女の身体を抑え込んでいるうちに女は動きを止めた。

岸は女の頭を自身の太腿に乗せ優しく髪を撫でてあげた。小柄でやや痩せた体形の女だった。岸は少しの間、女を撫でていた。胸を触ると小柄な割に意外とふくよかでCカップか、いやDカップくらいかと感じだがその下で拍動しているはずの心臓の動きは感じられなかった。

女は死んだ。岸は深夜の公園にいる普通のカップルを装うように右手で女を撫で、左手は女のバッグを漁っていた。目的の物はすぐに見つかった。レモンイエローのスマホだ。

となるともうこの女に用はない。
岸は深夜の公園のカップルを覗いている奴がいないことを周囲の監視カメラで確認し、女の死体を引きずって公園の茂みに隠すとやや落胆しつつも何事もなかったように中野のマンションに帰宅した。

岸はどこか諦め自暴自棄になっていた。殺されても仕方がないとさえ思っていた。だがまたわずかな可能性に賭けた。
このイカれたゲームを共にする仲間が出来るのではないかと。
しかしあの女は論外だった。だから殺した。

ホストクラブに入れ込み劉だか優だかいうホストの勧めるままに俺を殺しに来るような奴に背中を任せられるわけがない。
だから殺した。
どうしようもないヤク中の阿婆擦れを殺したに過ぎない。

岸はそう思い込みたかったが何かが岸の心を激しくかき混ぜ泡立てた。

それはおそらくは四人目の問題だ。これからは相手を殺しても死体は放置できない、適切に処理する必要がある。このゲームを信用するのならだが、もう信用せざるを得ない、それ以外に選択肢はない。

岸は既に二人の男を殺し更に女を殺した。二人の男の死は少なくとも一般には知られていないようだし女の死もニュースになることはないのだろう。
だが四人目は違う。このゲームのルールを信じるのなら、四人目の敵を無事に殺すことが出来たとしてもその死体を自分で処理しなくてはならないようだ。
四人目を無事に殺せたとしても路上の車の中に、河原の草べりに、公園の茂みに放置したら次の日には誰かがそれを見つけ他殺体を警察が知ることになり、さらに次の日にはそれは岸の行った殺人であると調べあげ、その次の日に岸は警察署の檻の中にいることになるだろう。いや、このゲームを信用するのならば岸は警察の鉄格子の中に納まる前に死ぬことになるのかもしれない。

上手く仕留めた相手の死体を岸の自宅まで持ち込んでここで処理する?そんなことは不可能だ。どうやって死体をここまで運べばいい?自宅に連れ込んで殺すか?もっと不可能だ。女ならまだしも男をどうやってここに引きずり込めばいいんだ。殺しあう相手を自分のテリトリーに誘い込むなど相手がゲイでも不可能だ。

岸が頭を抱えているとレモンイエローのスマートフォンに通知が来た。

「あなたは徳井さんをキルしました!ボーナスクレジットをゲットしました!」

それだけだった。岸がゲームにログインし中身を確認すると確かにクレジットが増えているようだった。さらに岸は徳井と言う女が持っていたレモンイエローのスマートフォンを取り出した。岸の持つ物を全く同じものだった。
試しに背面の指紋認証に触れてみたが当然解除はされなかった。スマートフォンのサイドボタンを押してみたがパスワードの認証を求められただけだった。分かるわけがない、せめて女の身分証明書でもあれば生年月日か何かから推測が付けられたかもしれないがスマートフォン以外何も盗んできてはいない。

岸はしばし考えたが何も思い浮かばずに適当にパスワード入力画面を操作した。もちろん解除できるわけがなかった。
もう一度試したが当然無理だった。
さらに試すと女のスマートフォンの画面は真っ暗になりそれ以上何も反応しなくなった。サイドボタンを押しても画面は真っ暗のままだった。
バッテリーが切れたのではなさそうだった。

すると岸のスマートフォンに反応が来た。女のスマートフォンを置き自身のレモンイエローのスマートフォンを確認すると新たな通知が来ていた。

「徳井さんのデバイスはロックされました!徳井さんのクレジットとアイテムの半分をあなたがゲットする権利があります、ゲットしますか?」

岸は自身のスマートフォンを見ると
「ゲットする」
と表示されていた。それををタップしてからゲームを確認してみたがいくつかのアイテムは増えていたようだがクレジットはほとんど増えていなかった。

徳井と言う女の所持するクレジットはホストクラブへと流れほとんど残っていなかったという事なのだろう。

岸は四人目の対策を考え付かないでいた。殺し合いに勝つ方法ではなく、その後の処理についてだ。

誰にも見られずに死体を自宅まで運ぶのは無理だ。そうなると殺した後にレンタカーで運び、どこか人目の付かない場所で処理するしかない。

埋めるか?それも難しいだろう。東京には、少なくとも23区内では死体を安全に埋めることが出来る場所などそうあるとは思えない。
死体を納めるほどの穴は縦2メートル、幅1メートル、深さも2メートルと言ったところか。
そんな大きな穴を誰にも見つからずに掘ることなど不可能だ。なら前もって掘っておくか?
いつ来るか分からない敵に備えてそんな大きな穴を自身の所有する土地でもないところに掘っておいてもすぐに見つかるだろう。
それがある日埋められていたら?誰だって何かあると疑うだろう。
そして警察に通報する。

ダメだ。埋めるのは無理だ。

なら海に捨てるか?やはり人目に付かない場所を探しておく必要があるがこれならば埋めるよりかは簡単そうに思える。
浮いてこないようにおもりを付けて投げ捨てるだけだ。
体内にガスが溜まりにくいように内臓を抜き身体とは別に捨てる必要があるだろう。そんなことが出来る場所があるのか?
水深はどれくらいあればいいのだろうか。
5メートルは必要な気がする。大潮の日でも水深5メートルを維持できる場所、潮が大きく引いた時に「何か沈んでいるぞ」と見つかることが無い場所だ。

東京湾のどこかの埠頭なら船が付くわけだからそれなりの水深が維持されているはずだ。例えば若洲の埠頭。ここは外国から大量の木材を積んできた大型船舶が接岸する場所だ。自衛隊が戦車を海運するために使う場所でもあり、海上自衛隊の護衛艦「いずも」が来たことさえある。水深はかなりの物だろう。

だがそう言った場所は誰でも気軽に立ち入れるというわけではない。外国船籍の船が来る若洲の埠頭など論外だ。入るには通行証の提示、もしくは身分証明書の提示は必須だろう。

若洲以外でも東京港の埠頭は夜間ともなれば港湾局が雇った警備員が巡回しているかもしれないし、そこに至るまでの道路には地方から来たトラックが明日の荷物を待って列をなして夜を明かしているだろう。

船から捨てることが出来ればいいがもちろん船などそう簡単にレンタルできると思えないし夜間の東京港を不審がられずに航行することは難しそうに思える。そもそも岸は船舶免許を持っていない。

切り刻んで川にでも流すか?

どこで切り刻めばいい?ホームレスのブルーシートハウスが無数にある荒川の川べりでバーベキューよろしく死体を解体すればいいのか?
江戸川ならブルーシートハウスは無いが中国人が牡蠣を取りに来るかもしれない。

それとも誰にも見つからないようにレンタカーの中で解体して「血の海にして汚してすいませんでした」と言って返却するか。

なら車を買うか。それはいつ届く?車ってもんはディーラーに行って「これ下さい」と言ってエコバッグに入れて持ち帰れるものではないし、ネットで目当ての車をクリックすれば明日には届くと言った物ではない。
四人目の処理には到底間に合わないだろう。

岸は何か解決策はあるかと思いゲームを起動し確認した。

「三人キルしたので次からは死体の処理は自分で行う事!」

言われなくても分かっている。

「今回のボーナスにはボディボックスが一つあるからまずそれを設置しよう」

ボディボックス?なんだそれは?

岸はアイテム欄を確認し、そこにボディボックスと言うアイテムが追加されていたことに気が付いた。

それをタップするとアイテムの詳細がポップされた。

「これはボディボックス。倒した敵プレイヤーを入れておくと業者が回収してくれるよ!まずは設置してみよう!設置可能な場所は自分が管理可能かつ回収可能な場所だよ」

これは!?こんな便利なアイテムがあるのか、なら先に言え。

岸がもう画面を一度タップするとスマホのカメラ機能が起動し岸の自宅を映し始め、そこには人一人が収められそうな箱がAR表示された。

だがその箱は赤く表示され「設置」と言うボタンもここではダメだよとでもいう風にモノクロ表示だった。岸は試しに「設置」をタップしてみたがブーというビープ音と共に
「ここは回収可能エリアではありません」
と表示された。角度を変えてもう一度押してみたが同じだった。部屋を移動してタップしてみても同じだった。寝室でも玄関でも風呂場でも同じだった。

岸は試しに玄関のドアを開けマンションの廊下で試してみたが今度は
「ここは貴方の管理下にありません」と同じようにビープ音が鳴った。
試しにマンションの一階に降りてロビーで試してみたが同じだった
「ここは貴方の管理下にありません」
と表示されビープ音が鳴った。

自分の管理下にあり、かつ回収業者がアクセスできる場所でないとダメなのか?岸は自室の玄関のドアを開けた状態で自室を表示させてみたがボディボックスとやらが赤から変わることはなかった。

一瞬とはいえ期待しただけに落胆は大きかった。自身の管理下にあり、回収業者とやらが自由に入り込める場所。
という事は自身が所有する一軒家の庭とかなら大丈夫なのだろう。
マンションに住まう岸にはこのアイテムは無用の長物だった。

落胆し切った岸の手の中でスマホが再び振動した。そこには表示されたのは・・・。

「ボーナスステージが始まりました!今回の参入可能人数は二人です!参加したい人は今すぐ【参加】をタップ!お得なボーナスをゲットしよう!」

岸は少し考えてから【参加】をタップした。

「あなたはボーナスステージに参加しました。ボーナスキャラをキルして特別ボーナスをゲットしよう!今回のボーナスキャラは・・・・」
というポップが表示され岸がそれをタップするとさらに別のポップが上がった。

「今回のボーナスはプレイヤーじゃないよ!何も知らない一般人!イージーだから早めに処理してね!特別ボーナスとしてプレイヤーランクを二つ下げてあげるよ!」岸がそのポップをタップして消すと次のポップが表示された。

「ボーナスキャラの確認」と言う物だった。

岸はそれをタップした。

「今回のボーナスキャラ。年齢34身長181センチ体重・・・・」など標的の情報が表示されマップに現在地までが示された。早い者勝ちと言ったところなのだろう。

さらにポップで標的の詳細が表示された。

そこには「後藤直樹」とあった。

後藤直樹。
まさか・・・。
後藤直樹。同姓同名だろう。そう思いたかった。

岸はレジャージャケットを羽織り部屋を出てエレベータのボタンを押したがすぐに階段を駆け下り始めた。

そんなはずはない、何かの間違いだろう。だがそれが間違いでないことを岸は自身が走ることで証明していたようなものだ。

間違いならこんなに焦る必要はないんじゃないか?

違う!他のプレイヤーに先を越されないためだ!

そんなに人を殺したいのか?

違う!違う!岸は雑念を追い払おうと頭を振った。レモンイエローのスマホを取り出し一番近いコインパーキングのレンタカーを予約し、コインパーキングに向けて走った。

久しぶりに全力疾走した気がする。高校時代の50メートル走の記録は6.5秒ほどだった。これは野球部の小田よりわずかに遅くサッカー部の林より早い成績だった。陸上部は・・まあ50メートル走などやらない。

岸の足は思う様に動かなかった。自身が想像している身体の動きと実際の身体の動きに乖離があった。まだ30前半なのだが身体能力の衰えと言う物を今初めて感じた。

なぜこんな時に高校時代の事を思い出したのだろうか。

それはもちろんこの忌まわしいスマホに後藤の名を見たからだ。

岸はコインパーキングに到着すると自身が予約したレンタカーにレモンイエローのスマホをかざしアクティベートした。即座に乗り込み車を走らせた。車はまたもやマツダで車種はデミオだった。岸は車に乗り込み発進させると目的地へと急いだ。

岸は信号で止まるたびに今すぐにも壊したくなるスマホを確認した。

後藤直樹。

間違いなくあの後藤だった。高校以来だが間違いない。表示されたのは年齢に顔、そして現在地までもだ。岸は車を走らせた。

今、後藤は誰かに狙われている。だが助けに行くつもりではない、どうやって助ければいいというのだ。後藤を狙っているやつを殺すのか?また人を殺すのか?その後はどうする?後藤は全ての情報をさらされているんだ、その後藤と行動を共にするというのは、岸まで狙われると言う事になるだろう。二人で襲撃者を殺して殺して、いつまでも殺していくのか?

だが岸は後藤の下へと車を走らせた。

後藤の現在地は江東区だった。江東区の猿江恩賜公園付近。
岸は中野通りを南下し甲州街道を左折し首都高新宿線へと車を乗り入れた。スマホのナビでは猿江公園まで約20分。
岸は前をノロノロと走るトラックを追い抜きいかにも首都高に不慣れな動きをする地方ナンバーのプリウスを追い抜いて車を走らせ10分と少しで首都高7号線の錦糸町で首都高を降りていったん車を止めた。

直ぐに後藤の現在地を確認した。猿江恩賜公園の中を北に向かって歩いているようだ。こんな夜中になぜ?とは思ったが今の後藤の事は何一つ知らない。高校を卒業してから一度も会っていないし、今どんな仕事についているのかすら知らない。

岸と後藤、それに橘京子。三人で過ごした高校時代は岸にとってはこれまでの人生で最も満ち足りた時間だった。それは二年に満たなかったがもっとも濃密な時間だった。

後藤。

「岸くんだよね」そう言って差し出された左手に岸が返した右手を両手で握り奇妙な笑顔を見せた男。

ヨタヨタと自転車すらまともに乗れない鈍い男。

河川敷に嬉しそうに走っていく後ろ姿。 

髪型に気を留めることもなく爪も汚いチビが見せたいと言う物はゴミみたいな昆虫か何かだろうと思っていた岸に高校生には想像もつかないほど高価なバイクを披露してきた男。

安全装備が何一つ備えられていないジェットコースターのようなバイクを乗りこなす男。

だが学校ではチンケな奴らの使い走りでヘラヘラしているような男。

だが俺より、あの高校の誰かと比べても遥かに大人だった男。

捕食者気取りの藤川の馬鹿を持ち上げた時の後藤の姿はどんな映画のどんでん返しより爽快だった。

それが後藤だった。

俺たちは後藤のバイクに乗って東京に行くようになった。

そして橘京子が加わった。

その言葉を口にしたことはなかったが、後藤と京子と俺は親友だった。

だが岸は高校を卒業してからは後藤を避けるようになった。当然京子の事も。

あの三人で過ごした時間はまさに蜜月の時と言った物だった。だからこそ岸はそれに囚われてしまう事に恐れを抱いた。蜜に囚われ抜け出せなくなった一匹の惨めな虫になることを恐れたのだ。

後藤と京子は常に未来を見据えていた。高校生と言うまだまだ未熟な精神性を持っていたのは三人の中で岸一人だった。

だから岸はそこから離れた。蜜月に囚われ続けるのは自分一人だという事を恐れたのだ。

しかし蜜から逃れ言うほど羽ばたけたか?いや、ただ就職までの猶予を四年延ばしただけの大学生活だった。なりたい物も、成し遂げたい物もなく、進める中で一番条件の良い企業に就職しただけの男、それが岸だ。今やそれも失ったわけだが。

今の後藤はどんな男なのだろうか?それは分からない。

だが一つだけ分かることはある。
今の後藤は何もわからず殺されそうになっているという事。

そして俺は既に三人殺している。
岸はスマホで後藤の現在地を確認し、その周辺の監視カメラをハックした。公園という事もありその数は少なかったが全くないというわけでもなかった。

時折カメラの視界から外れることはあったが黒?いや濃紺の革ジャンを着てジーンズを履いている大柄な男である後藤は目立つし姿を容易に確認できた。

後藤を付け狙っているであろう男も直ぐに見つけることが出来た。もはや人を殺そうとする時の正装なのかと思えるほどに暗い色のパーカーを羽織りフードを被り両手はポケットに入っていた。

岸は車を公園の北側に止め走った。スマホで監視カメラをハックするが後藤の姿を見失ってしまった。パーカー男も見失ってしまった。

クソ!岸は舌打ちして走り続けた。しかし二人の服装は確認できたし、二人は公園を北に向かって歩いていることも確認できている。だがどうする?後藤を助けるのか?それとも・・・。

岸は周囲の監視カメラをハックして二人を探した。パーカー男がカメラの視界から外れる瞬間を見た。

行き過ぎた!いつの間にかにすれ違っていた。岸は中央広場の西側、二人は東側にいたようだった。岸は二人を追うように走った。

二人の姿を確認できた。岸から200メートルほど先で後藤は深夜の公園を散策するようにのんびり歩き、パーカー男は徐々に距離を詰めていた。岸は走るのを止め二人を見た。周りには誰もいない、それは監視カメラで確認できた。パーカー男が何も知らない後藤を殺すのなら絶好のシチュエーションだ。パーカー男が歩みを速め後藤への距離を詰めたが後藤は何も気が付いていない。それはそうだ、あいつは狂った殺し合いゲームに巻き込まれているなんて夢にも思っていないだろうから。

だがパーカー男は後藤の数メートルまで近寄っている。こんな深夜の公園で真後ろから聞こえてくる足音を気にも留めないのか?だが岸はここで後藤に加勢するつもりはなかった。パーカー男が銃を持っている可能性があるからだ。銃を出されたら二人がかりでもどうにもならないだろう。後藤が殺されるの仕方がないが俺まで殺されたらそれはただの犬死にだ。

パーカー男が更に後藤に近寄った。

(後ろだ!後藤!)だが後藤は相も変わらず深夜の静かな散歩をのんびりと楽しんでいるようだった。

パーカー男がポケットから手を出した。銃を持った構えではない、おそらく岸と同じくスタンガンだろう。パーカー男が右手を向け後藤に襲い掛かろうとした瞬間に岸は叫んだ。ナイフのはずはない、スタンガンの方が即効性があるし何よりいくら死体の処理は不要とは言え、ナイフを振り回しそこいら中に血をまき散らせるわけにはいかないだろう。

「後藤!!」

岸の呼びかけに反応した後藤はゆっくりと振り向いた。パーカー男も反応はしたがそれは僅かに一瞬動きを止めただけで後ろを振り返ることもなかった。
パーカー男の右手が後藤に伸びると後藤の叫び声が聞こえた。おそらくパーカー男のスタンガンで触れられたのだろう。
しかし後藤はよろめいたが倒れることはなかった。剥き出しの手かレザージャケットの上から当てられたのか分からなかったが、さらに襲い掛かろうとするパーカー男と後藤の二人はもみ合い倒れ込んだ。
岸は物影にかくれつつゆっくりと二人に近寄って行った。

後藤を助ける気は・・ない。
今、岸が二人の争いを見ている以上、また別の誰かがそれを見ている可能性があるからだ。
参加人数は二人と表示されたが、その二人と言うのが全部で二人なのか岸が見た時点での残りが二人だったのかは分からない。
このボーナスゲームとやらにすでに何人も参加しており岸は残り二人の時点で参加した可能性も否定できないのだ。周囲のカメラを見ただけでは他に人はいないようだったがそれでもうかつに姿をさらすことは出来ない。

後藤が勝つ可能性は限りなく低いだろう。
パーカー男は武器を持っているが後藤はどうだろうか?少なくとも岸が知る高校時代の後藤は粋がってナイフやアイスピックを持ち歩くような男ではなかったし、普通の日本人男性もそういった物を持ち歩い公園を散歩することも少ないだろう。

二人はまだ地面に転がり争っているようだ。意外と後藤の抵抗が功を奏しているのか?岸は高校時代に最後に見た後藤の体躯を想像し、それもまあありうるだろうと思いもっと近づくことにした。パーカー男の顔をハッキリと確かめておきたかったからだが、争う二人は動きを止めたので岸は咄嗟に木陰に隠れ様子を伺った。起き上がったのは意外にも後藤の方だった。地面に横たわり動きを見せないパーカー男を傍らに座った後藤が押すように蹴った。しかしパーカー男の反応は無いようだ。後藤はパーカー男に呼びかけその体を揺さぶっていた。岸は思い切って二人に近づいた。

パーカー男は死んでいることは一目でわかった。首が伸びてその上にある頭部がありえない方向に向いていたからだ。

後藤はパーカー男の体をゆすり必死に声をかけていたが返事を期待するのは無理というのは岸にも分かった。

「殺したのか?」岸は言った。

後藤はそこで初めて岸の存在に気が付いたようだ「違うんです!襲われたんです!ビリッてやられて、それでもみ合っているうちに・・・」

「後藤、殺したのか?」岸が呼びかけると後藤はやっと殺人の目撃者が旧友の岸であることに気が付いたようだ。

「岸?お前、岸か?」後藤は少し安堵するような表情を見せたがすぐに現実に戻された。人を殺したかもしれないという現実に。

岸はレザーコートのポケットに手を入れたまま三度同じことを聞いた。

「お前が殺したのか」だがそれは質問と言うより感嘆だった。スタンガンを持つ相手の首を素手でへし折ったのか。

人の首の骨を折る。ハリウッド映画の中でなら見たことはあるが本当にそんなことが出来るのかという驚きだった。

後藤は慌てて両手をパーカー男の胸に当て押し始めた。どうやら心臓マッサージのつもりらしい。

「違うんだ!襲われたんだ!こいつがなんかやってきたんだよ!でオレの腕がバチッとして!!すげえ痛くて!」

岸はスマホを取り出し周囲のカメラを確認し周囲に誰もいないことを確認してから言った。

「それって、首の骨が折れているんだよな?」首が伸びたパーカー男は一滴の血を流すことなく絶命しているようだ。これは便利そうだと岸は思ったがこんな簡単に人の首の骨を折れるものだろうか?後藤を見ると高校時代と変わらぬ羨ましくなるほどの体躯であることは革ジャンの上からでもわかった。

「違う!死んでない!今起きるから!」後藤はパーカー男の心臓を押し続けた。

岸はさらに後藤に近寄りその脇に立って言った。

「無駄だろ」

「違うって言ってるだろ!」後藤はそう言って無意味な心臓マッサージもどきを繰り返していたが岸は言った。

「止めろ、死んでる」

「大丈夫だって!!起きろ!起きてくれ!!」後藤はパーカー男の胸を叩き始めた。

「お前が殺したんだよ」岸が寄り添うように近寄ると後藤はようやく両手の動きを止めた。

「岸?お前何でここにいるんだ?」先ほどまでの怯えとは別の怯えを身にまとい後藤が岸に振り返ろうとした瞬間、岸の右手が後藤の首に触れた。

後藤は岸を見つめたままパーカー男の上にあおむけに倒れた。

「キシ・・・」後藤が声を絞り出す。

そう、スタンガンはこうやって使うんだ。

岸は静かに後藤に語り掛けた。

「後藤、久しぶりだな。高校以来だよな。十・・何年ぶりだ?15か?16年か?お前は京ちゃんとは結婚したのか?俺はお前ら二人が恐かったんだ、お前らに置いていかれる事が恐かった。だから大学進学を気にお前らとは関係を断ったんだ。お前は今何をしている?バイクか?バイクはまだ乗っているのか?それともパソコンか?」

「ナカマ、ナノか?」後藤の身体はまだまともに動けずに絞り出すように言った。

「仲間?こいつが?まさか、そんなわけないだろ。こいつはお前を殺しに来ただけだろ」

「オまエは?」そう答える後藤に岸はポケットからドライバーを取り出し、後藤に見せつけるように目の前でゆっくりと振った。

「これな、普通のドライバーだけどこんなものでも人は殺せるんだよ。こめかみなら簡単に刺せるし、それで三回も回せば人は死ぬんだ」

岸はドライバーを後藤のこめかみに寄せた。

後藤は少し頭を動かし麻痺した身体で今できる最大限の抵抗を見せた。

岸の手にしたドライバーが後藤のこめかみに触れた。後藤は一瞬だけ歯を食いしばったがすぐに力を抜いたように笑顔を見せた。それは岸と後藤が初めて声を交わした時のあの妙な笑顔だった。

岸はいたぶるようにドライバーの先端で後藤のこめかみを撫で続けた。後藤は一瞬も目を閉じることなく岸を見つめ続けていた。

後藤は身体の自由が僅かに回復してきたのか腕が少し動かせるようになってきたようだ。だがその腕は今まさに後藤の命を奪おうとしているドライバーではなく、岸の肩に置かれた。そしてもう一度あの笑顔を見せた。
諦めたのか?それとも、親友だったことを思い出してくれと言う願いだったのか。
おそらくどちらでもない。

岸は肩に置かれた後藤の手を振りはらい左手で後藤の胸倉をつかみ起こし耳元で言った。

「諦めろ」

しかし岸はそのまま動かなかった。後藤の身体の痙攣が徐々に回復し、後藤は両手の平を岸に向けた。

「落ち着けよ、岸」

岸はドライバーをポケットにしまい立ち上がり後藤としばし見つめあった。

「もう動けるだろ?その男の死体をそこの茂み隠せ」

「いや、でも」後藤はまだパーカー男を助けられるとでも思っているのか?いや違うな、人を殺したという事を認めたくないんだ。
その気持ちは分かる、痛いほどわかる。でも時間が無い。

「諦めろって言ったろ?そいつはお前を殺しに来たんだ、だがもう死んでる。そいつの死体を茂み隠せ、他の誰かに見られたらまずい、早くしろ」

後藤は岸と死体を交互に見つめ覚悟を決めて死体を引きずり公園の茂みに隠した。

「行くぞ」岸は言った。

「どこに?死体はこれでいいのか?」後藤は当然ともいえる疑問をぶつけた。

それもそうだ、どこへ行く?中野のマンションに戻るのか?それは避けたい。

「死体は大丈夫だ、お前は今どこに住んでいる?」

「江東区の、梅川の自宅に一人で住んでいるけど」

江東区の梅川がどこかは知らないが、自宅でしかも一人暮らしか、それは良い。

そうだ!忘れるところだった。

「そいつからスマホを取っておけ、黄色い奴だ」

後藤は不安げに岸を見やったが言わるまま男からスマホを取り上げた。スマホカバーが付いていたがカバーを少しずらし見ると確かに黄色だった。

「これか?」

「よし、じゃあ行くぞ、車か?」

「いや、歩きだ。近くで飲んでいてちょっと酔い覚ましに散歩でもし・・・」

「来い」岸は後藤を連れだって公園の北側に止めた車に向かった。

後藤は聞きたいことが山ほどあっただろうが黙って岸の後ろをついて歩いた。だが一つだけ岸に聞いた。

「岸、お前は助けにきてくれたんだよな?」

「さあな」岸は答えた。
それは心の底からの本心だった。
俺は後藤を助けに来たのか?それは無い。
なら俺は後藤を殺しに来たのか?それもない。
ならなぜ俺は今、後藤を連れて歩いているんだ?このイカれたゲームで戦う仲間を作ろうとしているのか?それも違う。俺が欲しいのは・・・。

岸は後藤に車を運転するように言った。

「免許は持っているよな?」

「ああ、うん?でもオートマか」後藤がやや不満そうな言葉を吐いた。

「できないのか?」助手席に乗り込もうとした岸が言うと後藤は慌てて運転席に着いた。

「大丈夫、出来るよ。あれ?鍵は?」後藤が鍵を捻ってスターターを回そうとしたようだがこの車にはそんなものは無い。岸は右手を伸ばしてスターターボタンを押した。

岸の伸ばした手に後藤は一瞬ビクりとした。

「サンキューな、でももうビリビリは勘弁だぜ。でもどこに行けばいい?」後藤はハンドルを握って岸を見た。

「ああ、お前の自宅に行ってくれ」

後藤は当然持つであろう不安を顔に出したが「ビリビリ」を恐れたのかすぐに車を走らせた。

「あいつはあのままで大丈夫なのか?」

「大丈夫って言うのはあいつの生死の問題か?それとも死体が見つかるかもってことか?」

「いや・・・」岸の意地の悪い返答に後藤は黙った。もちろん後藤の懸念はあんな所に死体を放置して見つからないわけは無いという事だろうが、それを口にするという事は自分が人を殺したと認めることになってしまう。

「警察に・・・」という後藤の言葉を岸は直ぐに遮った。

「ダメだ」

「なんでだ?あれは正当防衛だろ?お前も見ていたんだろ?」

「警察に通報なんかしたらお前は警察に捕まる前に殺されるぞ」

「誰にだよ!?あいつは、その、死んでた、だろ?」

「お前を狙っているのはあいつだけじゃないだろうなってことだ。もう黙ってろ。お前の家に行くぞ、飛ばすなよ、警察に目を付けられるような真似はするな」

後藤は少しも納得していないようだったがようやく黙ってくれた。その代わりにカーラジオに手を伸ばしスイッチを押した。

Primitive Radio GodsのStanding Outside A Broken Phone Booth With Money In My Handが流れ始めた。

・・・Can humans do as prophets say?

And if I die before I learn to speak

Can money pay for all the days

I lived awake but half asleep?

 

Do do do

Do do do

Do do do

 

A life is time, they teach you growing up

The second sticking killed us all

A million years before the fall・・・・

単調なリズムに意味不明なリリック。不思議な曲だった。

I've been down, I've been down hearted baby

Ever since the day we met, ever since the day we met・・・

俺は落ち込んでいる、出会ったあの日からずーっと・・
曲は波の音と共に静かに遠ざかっていった。

後藤の自宅へ向かったのは、後藤の現在地がまだ誰かに知られている可能性があるからだ。
そんな状態で中野のマンションに連れ込むのはまずい。
後藤の自宅は猿江恩賜公園から車で10分もかからずに着いた。これだけ近いなら公園で散歩していても不思議ではないか。

それよりも驚いたのは後藤の自宅だった。コンクリート造の二階建ての大きな建物でその建物の前にはもう一棟建てられそうなほどの敷地があった。
自宅と言うからてっきり庭もない小さな一戸建てだろうと思っていた。

「これがお前の家?」
嘘だろ?岸が驚きの声を出すと後藤は
「叔父さんから相続した」とだけ言い、腰から鍵の束の付いたカラビナを外すと建物に向かってリモコンのボタンを押した。

深夜にはそれなりの騒音と立てて建物のシャッターがゆっくりと上がると後藤は車を中に入れた。シャッターの奥にはバントラックが一台とオフロードバイクが一台止まっていた。バントラックの荷台には「エビス屋酒店」とあった。

「一人暮らし?」
一人でこんなデカい家に住んでいるのか?岸の驚きは覚めなかった。

「ああ、オレだけだ」
後藤が車から降りながら言いシャッターを下ろした。

「叔父から相続したって?」
岸も続けて降りる。

「ああ、そうだ。叔父さんの身寄りはオレしかいなかったからな」

「お前だけ?」

「岸、黙ってろって言う割には色々と聞いてくるな」
後藤はやり返すようにニヤ付いて岸を見た。ほんの10分前に初めて人を殺したとは思えない顔だった。

「二階に行こう、ここじゃ椅子もないし落ち着かないしな。お茶でも入れるよ」
そう言ってドアを開け歩いて行く後藤に岸も続いた。

そこはまた広々としたアイランドタイプの洒落たキッチンだった。後藤がヤカンをくるりと回し水を入れコンロにかけ火を点けた。

「適当に座ってくれ、緑茶でいいか?」
後藤が聞いた。

「いや、コーヒーはあるか?」
岸の返答に後藤は立ち上がり冷蔵庫を物色し始めた。

「うーんコーヒーはインスタントしかないな、いつのか分からないが。紅茶ならある。冷たいのが良いならメッツコーラかペプシ、炭酸水ってところだな。それか東京の美味しい水ならいくらでも飲んでいいぜ」

「じゃあ同じものを頼む」岸はキッチンを見渡した。
壁や床はモザイク模様でここに10人集めてパーティーを開いてもそれぞれが自分のスペースを十分に確保できるだろうと思えるほどに広く、そして10人が訪れても不思議じゃないほどオシャレなキッチンだった。

「ここに一人で住んでいるのか・・」

「ああ、一人だ。今のオレはお前と同じだよ」

「同じ?」

「そう、一人だ。だから叔父さんからオレが相続した」

「その叔父さんは身寄りが無いって、お前のお袋さんはどうしたんだ」
岸は後藤の父親がすでにいないことは高校時代に知っていた。

「お袋は10年位前に事故で死んだ。姉貴は姪と行方不明だ」

「そうか・・悪い・・・」

「気にすんなよ、もう10年以上前の事だしな。叔父さんは奥さんに先立たれて子供もいなくて唯一の親族であるオレにこの家を譲ってくれた。相続税のことまで考えてくれてたよ」

「叔父さんは?」

「相続って言ったろ?死んだよ」

「そうか・・・一人って・・」

「ああ、お前と同じ天涯孤独ってやつの仲間入りだ。ほらお茶だ」
後藤はそう言って両手に持った湯呑の一つを岸に差し出し岸の向かいの椅子に腰を下ろした。

しばし二人で静かに茶を啜った。

「少し叔父さんの話をしていいか?」

「ああ、聞かせてくれ」

「オレの叔父さんは14~5歳で東京に来たらしい。戦後10年も経っていなかったそうだ」

「叔父さんは材木屋に勤め始めて日本の高度経済成長のふもとに立ちそれを見上げようとしていた。

25~6で独立し死に物狂いで働いた。東京に来た頃は道路に牛や馬のクソが落ちていたもんだし荒川に架かる橋は木造だった。だがそれは直ぐにトラックとコンクリートに変わっていった。まあ独立って言ってもな優しい師匠みたいな材木屋の社長の事務所の端っこに机を借りて電話を置かせてもらっただけだ。おんぼろの三輪バイクでリヤカーを引いて朝から晩まで材木を運んだもんだ。だがすぐにアパートを借りれるようになり、おんぼろの三輪バイクとリヤカーはおんぼろのトラックになり、従業員も雇うようになった。トラックが増えアパートが小さいな自社社屋になると仕事はさらに増えて敷地も広がり大量の在庫を持てるようになり製材工場も立ち上げた。そこにバブルってやつが来た。江東区の多くの木材商は新天地とか言われた新木場に移っていったが、ここいらでもう十分だろうと思った。それで製材所以外の土地を売り払い細々とやっていたが製材所の経営も難しくなった。だから畳むことにした。

叔父さんはその後は家賃収入で悠々自適に暮らしていたが奥さんに先立たれて自分が一人な事に気が付いて唯一の親族のオレを見つけてこの建物をくれたってわけだ。叔父さんは土地を売る時に等価交換でそこに建てられるマンションの一部を所有していたらしく、それを売り払いオレの相続税まで払ってくれた。で、オレはココをリフォームして酒屋を始めた」

「酒屋?」
看板もないのか?と岸が訝し気な表情をすると後藤は
「ああ、卸しな、居酒屋とかに卸しているんだ、小売はやっていないからな」と答えた。

「なあオレの事はもういいだろ?今度はオレが聞く番じゃないか?」

「いや、だめだ。あいつからスマホを持ってきたよな?それを出せ」

後藤は不満げにジャケットのポケットからスマホを取り出しテーブルに置くと同時に岸のポケットの中のスマホが振動した。サーチされたか?だが今はそれどころではない。

パーカー男のアカウントがどうなっているのか?ヤツが保有していた物はどこに行くのかを確かめておくべきだ。

「何だこれ?東京サヴァイバー?」後藤がスマホを見て言った。

まさか!?

「お前、パスワードを当てたのか?」

「いや、何も触ってないぜ」後藤がスマホを滑らせ岸に示した。

そこには岸が初めて悪夢のスマホを受け取った時と同じ画面が表示されていた。

「本当に触ってないのか?」

「いや、触りはしただろ、出せって言ったろ?でもパスワードとかそんなのは知らないぜ」

「それをタップしてみろ」

「あ、消えちまった、いやダメだロックがかかったみたいだ」後藤はスリープ状態になったスマホのサイドボタンをいじってみたがロックは解除されないようだった。

「背面の指紋認証はどうだ?」岸にそう言われ後藤はセンサーに触れた。

「あ、来た。でも同じだ、東京サヴァイバーってやつだ」

「タップしてみろ」岸は後藤が自分と同じ道を歩むのかと躊躇したが後藤は「何も起こらないぞ」と言った。

どういうことだ?岸がまず気になっていたのはパーカー男のアイテムやクレジットがどこに行くのかという事だ。岸は自分の持つ忌々しいレモンイエローのスマホを取り出した。

そこ表示されていたのはサーチされたという通知ではなかった。

「後藤さんは有田さんをカウンターキルしました。後藤さんをゲームに誘いますか?」

どういうことだ?後藤がこのゲーム加わるのか?その許可がなぜ俺に託される?いや推測は出来る。ボーナスステージと言う後藤殺しに参加したのはあのパーカー男と俺だけなのだろう。だがパーカー男は後藤に殺された、その代わりに後藤がこのイカれたゲームへの参加権を得た。そして後藤殺しに参加した俺が後藤を殺すかゲームに参加させるかの決定権を与えられたという事か。岸は「YES」をタップした。

「もう一度タップしてみろ」

「ああ、うん?スタートってでたなこれをタップすればいいのか?」

「そうだ」

後藤は岸に言われるがままにタップした。

後藤のゲームが始まった。

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