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つぶやき

一昨日、スピ系の集まりで、ある体験をした。

ちゃんとしたスピリチュアルを、そこそこ勉強しているはずの年配の男性が、世の中を平和にするために、みんなで立ちあがろうと熱弁を奮い始めた。

実は、彼が個人的にそういう運動を始めている話は薄々聞いていた。
彼は、「どこにでも行って、この話をするから、ぜひ皆さんが持っているネットワークを紹介して下さい」と言った。

彼の話の感じでは、どうも彼は裏情報的なコンテンツにはまっているような気がした。

そういう系の動画は私もよく見るが、それは、私の場合は、ある意味で、敵の情報を偵察するため。ネガティブなものを、本質的なところから見抜けるかどうかは、ある意味で、自分が本当に統合意識のレベルに達しているかどうかのメルクマールでもある。

統合意識という言葉は、馴染みがないかもしれない。
簡単に言えば、自分や他人の神性でない部分、闇の部分を赦せる心境だ。ある意味で、物事を斜に構えて見ることができるという力でもあるが、表面的な真理の言葉には決して騙されない。

普段から、神性に照らして、自分や他人の嘘に直面して、反省して、それを超えた自分自身を作り直すことができているような人は、自分の嘘も、他人の嘘も、嘘の動機が入った情報は、それとすぐわかるようになっている。

嘘の情報に騙されるような人は、自分のエゴがつく嘘にも騙されている。地上を徘徊する低級霊は、そういう人をカモにして、エネルギーを奪っている。

裏情報は、私もよく見るが、ネガティブなことに慣れるためでもある。ちょうど、武道を学ぶ人が、相手の技を見抜いて出し抜く方法を研究するようなもの。ただし、あまりに波動が悪くて影響されるようなものは、肉体の波動が影響されるので、長くは見れないが。

スピリチャルの探求というか知識は、自分が受容性のレベル、つまり赦しができるところまで行かないと、本当には役に立たない。それどころか、かえって騙されやすくなる。

分離意識というのは、まだ自分の中の闇を、一歩離れて眺めて、受け入れることができない段階の意識だ。だから、光を装っている闇に騙されてしまう。本当は、実在である愛と、幻想である不安の両方があり、それを自分が選択することになっているのだが、愛の幻想、光の幻想でもある不安の中に取り込まれて、それをリアルな現実として認識してしまう。

彼が、その手の動画を見まくっていることが彼にとって課題なのではなくて、分離意識から抜け出ていないことが課題である気がする。彼は今、分離意識と統合意識の違いについての学びをしているともいえる。

彼が陰謀系の動画を見ても見なくても、彼自身が気が付かずに分離意識の中にいることは変わらないし、もちろん世の中は変わらないから、誰かが彼に「そんな動画は見ない方がいい」と諭しても意味はない。

彼は今、「外の世界の現実」があると思って、それを変えないといけないと思って何かにつき動かされて行動しているが、それはもちろん、「実在する愛の流れ」からの衝動ではない。不安、恐れだ。必要なのは、彼が「愛のエネルギー」が実在だと気づくことだ。

陰謀系の人は、大抵が分離意識の中にいるので、「外にある悪の存在」に気づくこと、「そのプロパガンダのせいで、人類がマトリックスの中に閉じ込められていること」に『気がつく』ことを「目覚め」だという。

それは、論点が違っている。エゴの巧妙なトリックであるような気がしてならない。ちゃんとしたマスターは、そんなことは言っていないと思う。内なる神性、自分の中にも、誰の中にも、愛が実在することを、自分が心から実感することが目覚めだ。そうして、地道な仕事を通して、人々の役に立つ人になること。高級霊は、そう語っているはず。

不安をもって人々を先導して、社会の秩序を破壊するようなことは、語らない。

彼自身はもちろん、そんな大それたことを考えてはいないだろう。自分ができるささやかなことをしようと思っているし、善意から人にも勧めようと思っているに違いない。でも、彼が出している想念エネルギーの本質は、そういうことだ。もし彼の思考のエネルギーを一兆倍にしたらどうなるか。我々一人一人が出す思いには、微小だが物理的なエネルギーが宿っている。

小さくても、一人一人が、プラスのベクトルの思いを出さないといけない。プラスのベクトルとは、愛と感謝の方向だ。そこでいう愛は、受容であり、赦しだ。それは、実は「反省できること」と同義だ。だから伝統的な宗教で散々言われてきたことと同じだということは既に述べた。

彼は、「このままだと地球はダメになる」と不安に駆られ、焦っている。それは彼の真実として尊重すべきだが、他の人を巻き込むようなことではない。もしそれがうまく行ったとしても、彼に同調した人が、結果として迷惑を受けたとしたら、彼は変なカルマ(後で自分に体験として返ってくるエネルギー)を自分で作ってしまうことになる。

スピ系の陰謀系では、よく肉体を持たないほど高度に進化した宇宙存在を名乗る存在が出てきて、もっともらしく、「こうすれば世の中はより良く変わっていく」と言う。不安や焦りを煽りながら、分離意識から統合意識に上昇できるというような矛盾したことをいう。決して反省は説かない。自分の中の悪に直面せよとは言わない。

本物の天使がどういうことを語っていたかを知らない人が、騙される。シルバーバーチのような、スピリチュアリズムの時代のまじめな本は、時代が古いので、内容も古いだろうと思って、誰も読まない。でも、真理の中身が変わるわけはない。私は読んだほうがいいと思う。

変な宇宙人が言うことは、面白いし、そうかなと思わせる口のうまさがある。伝統的なスピリチュアリズムの本は、いつも同じようなことを言って退屈だし、興味がわかないかもしれない。でも、人を不安にするようなものが、神の言葉であるはずはない。

さすがだなと思ったのは、その場にいた誰も、彼には同意しなかったが、彼の人格は尊重していたことだ。おそらく、その場にいた人は、彼を除き、みんな統合意識に達している人たちだったのかもしれない。

だから、みんな彼の話を熱心に聞いていたが、全然議論にはならなかった。彼の話に乗る人は誰もおらず、暖簾に腕押しのような感じだった。みんな、彼は今学びの最中なのだという寛容な気持ちでいたのかもしれない。

私はといえば、彼の考えの欠陥を指摘したくて、いろんな角度から、彼に質問を浴びせ、ツッコミを入れていた。

呟きでした。

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