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曾祖父ちゃんと熊の記憶


遠い遠い記憶の片隅、多分私の中で一番古い記憶。


なんとなくセピア色で古い家屋があって干し柿が吊るされた軒下と田んぼ仕事用の古き良き作業着を着た老人達と、猟友会が仕留めたであろう真っ黒な熊。

高い所から見下ろしたそれは鼻先がビョーンと出て真っ黒でとても怖くて、恐ろしくて。大泣きしてしまった私をみんながニコニコ笑ってる。


「なんだおっかねが?よぉし、よし」

ほれおっかねど

んだやおっかねべやぁ


次々と声がする。


背中を擦る大きな手。

それは誰だったか。

「○○さんひこ孫や随分とさどまごだなやぁ〜」


タバコをふかす爺様の一人がからかった。


「んだやぁ。ひこだおんさどまごやぁ」


周りの爺様達もみんな笑ってる。

それも怖くて怖くてしがみついた。


不意に若いおばちゃんが干し柿をくれた。

「うっちゃ行くまでかぶづいでがいなぁ。おっかねよなぁ。んでもんまいんまいなのよぉ」


手ぬぐいを被った若いおばちゃんもニコニコ笑っていた。


誰かにしっかりと腕に抱かれ大きな歩幅が揺りかごみたいにゆっくりゆれる。

「やぁ〜や」

背中をあやされながら家に帰った。口に入れた干し柿が甘かった。


それ以上は覚えて無い。


その記憶が曾祖父ちゃんと1歳半の私との記憶だとわかったのは父のお葬式での初七日繰り上げ供養のお精進上げの会食の時だった。


作られた記憶だとかよく覚えているものだとか叔母や叔父に言われたけど記憶としてあるのだから仕方ない。


真相は上の地区に出た熊を猟友会が仕留めたツキノワグマで隣のお家に運んで来たのをみんなで見たとのこと。

私は曾祖父ちゃんに抱っこされて一緒に見に行ったらしい。

他の父や婆ちゃん、曾祖母ちゃんはタバコの葉の選別作業をしていて母は二人目妊娠中で定期健診で不在。そして当時胃潰瘍療養中の曾祖父ちゃんが曾孫の子守役に付いていた模様。



さどまご⇛砂糖のように甘く育てられた孫


曾祖父ちゃんは子供は勿論、父や叔母など孫さえも抱っこしなかった堅物頑固者。

しかし、曾孫が生まれると何故か曾孫を溺愛し始めた不器用な人だったらしい。




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