覇王国認定式剣舞。アルターブ王国
「司祭様、今夜の剣舞よろしくお願いします」
この日、覇王国に認定されたアルターブ王国の宰相が恭しく頭を下げた。
青年は軽くうなずき、戦衣と呼ばれる神官衣へと着替える。
着替えると言っても神官衣の下に着ているので、正確には神官衣を脱ぐことになる。
白い神官衣を脱ぐとさらに白い戦衣が現れる。
上半身は肩の辺りで布が途切れており、下半身は太もものあたりまでしか衣がない。
戦衣の袖が短いのは激しい剣舞の邪魔にならないようにである。
青年の胸には聖剣印が揺れている。
舞台はアルターブ王の御前である。
円形の戦いのアリーナが王の眼下に準備され、そこで青年は舞うことになる。
覇王となるアルターブ王ランガイアは青年の右手、建物の二階に当たる高さにいる。
王の一段下には十六の貴賓席がある。
後継者としてすでに不動の地位を築いている第一王子アザート、王子ながら正魔術師の地位を持つ魔術狂いの第二王子マリク、第三王子ザイード、第十王子テナムなどが王の左席に、右席には第一王女ミリア、第二王女サーラ、第四王女ミリアムなどがついている空席があるのは国外に留学逃亡している王子王女がいるからだ。
さらに下には重臣と剣神の司祭たちが座る席が準備されている。
アリーナはその下だ。
青年は階段を上る。
アリーナが人の背丈より高いのは、剣神の神官に受け継がれてきた優れた剣術技術の粋を集めた剣舞をこの場にいる騎士たちに見せ、剣神の威を示すためであり、覇王国の騎士たちへの剣術技術の譲渡でもある。
静かな表情を崩さずに階段を上る青年の前に、深紅の戦衣を着た男の顔が見せる。
青年とは違い、男の胸に剣神ハムートの神官の証である聖剣印はない。
絹で拭ったような輝く金髪の青年とは違い、日に焼けた肌と赤茶けた金髪を持っている。
眉目秀麗ではあるが野性味が強く、体にははち切れんばかりの筋肉が力強く揺れている。
それに比べれば青年は痩身にさえ見える。
が、青年の体にはバランスよくついた筋肉が緩やかに揺れている。
剣舞の始まりを告げるどらが鳴り響く。
それに従い、男は従者から受け取った大ぶりの曲刀を目の前に横に寝かせて抜き放つ。
青年は受け取った剣を腰のあたりに下げ、ごく自然な動作で抜き放つ。
男は鞘を投げ捨て、青年は従者へと鞘を受け渡す。
皮の鞘がアリーナの床を転がり、下へと落ちる。
瞬間、男は床を蹴り、青年に襲い掛かった。
肩に担いだ曲刀を鞭のようにしなる体を使って投擲するように切り下す。
しかし雷光のような一撃は空を切る。
青年が流れるような動きで下がったのだ。
床を這うように横薙ぎに払った曲刀も当たらず、勢いを増して跳ね上がった一撃もかすりもしない。
受け太刀の音さえない。
この三連撃は男を今まで戦場で生き延びさせた唯一の技であり、それ以外に男は技を知らない。
この三連撃で倒れない敵などいなかったからだ。
少なくとも目の前の青年のように余力を残して立っていられた者はいない。
上へと跳ね上がった曲刀の間を縫って、青年が踏み込んでくる。
青年の右腕の剣は金髪の揺れる頭の前にではなく、右足に沿うている。
「舐めやがって」
男は振り上げた曲刀を容赦なく、青年の頭へ向かって振り下ろす。
それが誘いである可能性には気づいていたが、それ以上の力で押し切ろうとした。
床から跳ねあがった曲刀がその重さに男の力をくわえられて、斜めに落ちる。
青年の頭をかち割ろうと垂直に切り下された曲刀の刃が石畳の床を叩くと同時に曲刀の軌道を変えた青年の剣が曲刀の刃を這い上がり、男の顎を割ろうとする。
後ろに体を逸らしても間に合わない。
そう思った男は反射的に前へと倒れこむ。
額の辺りに鋭い痛みが走り、目の前が真っ赤に染まる。
曲刀を抱くようにして前に倒れた男は流れる血が目に入る痛みに耐えながら、右足で床を蹴り、前転する。
神官用の編み靴を履いた左足の踵が宙を舞い、青年の肩へと落ちる。
体重の乗った踵落としは青年の肩の骨を砕く。
会場にいる騎士たちから驚きの声が上がる。
それは賞賛のようでもあり、侮蔑のようでもあった。
剣舞の最中に蹴りが飛んでくるとはさすがに思わなかったのだろう。
青年は形のいい眉根を寄せ、遺憾の意を示し、床を転がり立ち上がった男を見た。
当然だ。
遊びや儀式の剣ではない。
戦場の剣だ。
肩の骨が砕けた以上、思う様に剣を振るうことはできないだろう。
男は曲刀を下ろして、青年がその傷を癒すのを待とうとした。
だが青年は癒しの奇跡を祈る代わりに気合の声を上げた。
右手から零れ落ちそうな剣を尋常ならざる気迫で抑え込み、ごく自然な動作で左手に持ち替えている。
肩を砕かれたまま動いているとは思えない洗練された軌道を描いて右から振るわれた剣が、いつの間にか左手に移っていたのだ。
右腕がだらりとたれ、涼し気だった青年の顔に脂汗が浮いている。
無理をしているのは明らかだ。
だが男の曲刀を打った剣の力はいささかも衰えてはいない。
万全の状態で迎え撃ったの男の曲刀の方が弾かれた。
とっさに男は左足を跳ね上げる。
跳ね上がった男の左足が剣を握った青年の左手首に当たる。
嫌な音がして青年の左手首から先があさっての方向に曲がった。
右肩の骨に比べればはるかにもろい左手首の骨が男の蹴りで砕けたのだ。
もはや勝負は見えた。
男は着地と同時に踏み込み、低い体勢ながら曲刀を肩に担ぎ、振り下ろそうとした。
だがそれは為されなかった。
凄まじい威力で突き出された剣によって、青年の体を両断するはずの曲刀が根元からぽっきりと折れてしまったのである。
男は戦慄した。
それを成し遂げたのは蒼白になった青年の突きだったのだ。
さらに恐ろしいことに、青年は砕けた右肩と左手首をものともせずに剣を振り上げ、高らかに勝利宣言までして見せた。
男は青年の腰へと組み着く寸前だったが、そこで剣舞の終わりを告げるどらが鳴り響いた。
観客であったアルターブ王国の騎士や文官たちが拍手をし、アルターブ王が二人の剣舞の見事さを称賛した。
青年は蒼白な顔で頷き、男はやや不満げながらも体を起こし、彼を連れてきた従者という名の監視官の元へと戻る。
後世に伝説となる覇王国認定式での剣舞がここに終了したのだ。