愛してるよ、ママ
今日、母と言い合いになった。
久々の出来事だ。
母は節約のために自らの身を削って家計をやり繰りしている。そんな中、父の手元から娘の私にお金が渡っている事実が不満なようだ。
実はうちの両親、私と弟がかなり小さい時に離婚している。そのため私たちは、母方の実家で育った。父との交流はあまり多くない。一年に一度ボーナスが出ると、父は決まって私にお小遣いをくれる。それが今日の出来事だった。
住んでいる家が違うため、稼いだ分のお給料が同じ口座に振り込まれる訳では無い。
「なぜだめなのか、なぜ私が父からお金を貰って美容院に行くことが許されないのか。」
父が、父自身が、ねぎらいの気持ちで私にお金をくれると言うのだ。需要と供給は見事にマッチしている。私からお金がほしいとせがんだ訳では無いから、私に非は無いはず。
その夜、父から話を聞いた。
母と今日の出来事についてメッセージでやり取りをしたらしい。
父がその過程の一部を娘の私に打ち明けてくれたことが、自分自身の行動を振り返る良い機会となった。
実は私、ちょうど2ヶ月前に、通っていた学校を辞め、転学をしている。原因は、社交不安障害や対人恐怖、視線恐怖と言った精神的な病気からだった。今は新しい学校に馴染み、数少ないクラスメイトと共に楽しく学校へ通えている。
だがしかし、そのような理由がありバイトをしようにも制限があるため、毎月処方される薬代や、病院へかかる交通手段など、未だにすべてを母に頼らざるを得なかった。そして、転学の費用である60万円も。
きっとこの転学は、母にとって想定外の出来事だったであろう。
実家の祖母や祖父の支えはあるといっても、女手一つ。我が家にとっては莫大な費用であった。転学が決まった際、私は母に感謝と謝意を伝えた。しかし時が経ち、今やそのありがたみを感じることなく、当たり前のように生活をしていた。
そのため今回の、母の「お金を大事にしてほしい」という心の底に隠された思いに気づくことができなかったのである。
この「お金」が指すのは、母が稼いだものだけではなく、その所有者が誰であってものことだ。仮に、父の渡してくれた分がねぎらいの意味であっても、父が働いて稼いだお金の一部であることには変わりない。それが大切なもので当たり前じゃないってことを母は私に理解していてほしかったのだと思う。
今回の件を通して、私が持つべき大切な感情に気づけてよかったと思う。
感情を伝えることが得意ではない母の隠された思いを汲み取ることができて幸いだ。
その後、母に私の発見を話すと
「わかってくれてありがとう」と言って貰えた。
以前は、喧嘩をすると決まって
「もう分かってくれないならいいよ!」
と言葉を投げ捨てる私であったが
今回の出来事を通してほんの少し、
自分自身の成長を実感することができた。
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