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キタサンブラックはなぜ出遅れたのか?


はじめに

この文章を書き始めたのはウマ娘プリティーダービーSeason3の第11話が公開された週の土曜日だったから、初稿のまくらには「衰え」というテーマが提示されたことへの人々の反応とか、本記事はそれはあんまり扱いませんよ~とか、そんなことが書いてあった。

ひるがえって今、翌々週の水曜日である。今夜には感動の最終話放送である。
本記事が試みるのは、第11話における天皇賞秋のレース描写の問題点の指摘なのだが、ジャパンカップの激戦を経て、ラストレースである有馬記念に臨むキタサンブラックの雄姿を心待ちにする今となっては、天皇賞秋のレース描写への不満も大きなストーリー上のアップダウンとして許容できそうな気もしてくる。

しかしながら、やはり私は、ウマ娘のアニメでしっかり描かれるレースはすべてエキサイティングであって欲しい!という気持ちが捨てきれない。
「ウマ娘」という作品がモチーフとする現実の競走馬のドラマは、どうしたってコースの上で繰り広げられる数分数秒の競争を軸に育まれるわけで。
展開上描くことの出来ないレースはさておき、ゲートが開いてからゴール板前を駆け抜けるまでの描写をするなら、そのすべてに一つのドラマを書き込んで欲しいと、そういう願いがあるわけである。

でもって、ウマ娘プリティーダービーSeason3第11話、天皇賞秋
「一つのドラマ」という私の望みからかけ離れた、もうびっくりするほどノレないレースシーンだった
「ノレない」というところを強調したい。
レースシーンの描写の冗長さとか退屈さという点で言えば、今期のウマ娘には他にも気になるレースがちょこちょこある。
だが、カットが退屈なぶんには見る側が主体的に盛り上がろうとすれば、つまりレースというドラマに「ノリにいけば」、なんとかなるというのが、私のウマ娘3期への向き合い方である。(よって本記事では、レース描写におけるカットのアングルなどの問題点については——大いに気になる部分はあるものの——触れていない。)

しかしながら、天皇賞秋はこれが厳しい。このレースを一つのドラマとして楽しもうとした時に、拭いようのない違和感が、私の没入を阻害するのである。
本記事の主目的は、この違和感の解明と説明にこそある。

第11話 天皇賞秋

論考に先立って、当該レースの描写を簡単にまとめることから始めよう。
アニメから大まかなコース上の地点ごとに、レース(特にキタサンブラック)の動きと重要と思われる台詞、及び実況を抜き書き、適宜番号を振ったものを以下に示している
このまとめは(客観性に留意してはいるが)恣意的なものであるから、できれば当該レースを今一度視聴してから、あるいは視聴しながら読み進めていただけるとありがたい。

天皇賞秋のコース図。コーナーの数字に注意

・スタートから第2コーナー(最初のコーナー)
キタサンブラック、足を滑らせゲートにぶつかって出遅れる…①
「ああっと。なんとキタサンブラック、出遅れました。出遅れました!」
キタサンブラックは馬場の悪い内ラチ沿いを追走
みなみ(観客)「ゲートにぶつかって出遅れたキタサンブラックは、苦しくなったな……」…②

・向正面から第3コーナー
苦しそうな息遣い…③
トレーナー「いつものキタサンならこの程度の道悪、ものともしないんだが……」…④
サトノクラウン「キタサン!?なにこの気迫……。負けない、絶対!」…⑤

・第4コーナーから最終直線前半
「泥でぬかるんだ最内を避けて、外へ持ち出すウマ娘たち」
「おおっと!ここで上がってきたサトノクラウン。得意とする荒れた重馬場を、颯爽と駆け上がってきた!」
「サトノクラウン、いま先頭に……いや、ここで、ここできた!キタサンブラックだ!誰も選ばなかった荒れ果てた最内を豪脚でねじ伏せ、キタサンブラック、一気に迫る!」…⑥
最内を通ったキタサンブラックが声をあげながら先頭に。この後、基本的に彼女は叫び声ともうめき声ともつかぬ声を発しながら走っているように描写されている。…⑦

・最終直線後半(400メートル地点以降)
「残り400を切った!キタサン先頭、キタサン先頭!」
キタサン「ああっ?!」ぬかるみに足を取られ外に斜行する…⑧
サトノクラウン「ここだ!」進路を内に変更
サトノクラウンが内に入ってからゴール板まで、二人の並走が続く。並走時間は約40秒である。(トレーナーやチームスピカの面々が声援を送っている時間を含む。)
キタサンブラック、1着でゴール

キタサンブラック、勝利への軌跡?

・描写の分類

まず議論の前提として、上記レースでの出来事を大きくキタサンブラックにとってプラスな描写とマイナスな描写に分類する。
なお、このプラスとマイナスの判断はあくまでアニメにおける描写を基準とし、視聴者に与える印象を重視して判断する。
例えば残り400メートルを切ってからのキタサンブラックの進路変更は、史実においてはジョッキーの判断であり、馬場の良いところを走ることを可能にする点で結果的にプラスとなるようにも思える。しかし、本分析では当該進路変更はアクシデントによるものと解し、サトノクラウンの「ここだ!」という台詞等も考慮してマイナスな描写としてカウントしている。

・プラスな描写
サトノクラウンの感じた気迫(⑤)
最終直線での最内の進路選択、及びその実況(⑥)

・マイナスな描写
出遅れ(①)と、観客のそれによるポジション取りへの言及(②)
荒い息遣いやうめき声など、苦しげな声の演技(③、⑦ほか)
馬場についてのトレーナーの言葉(④)
最終直線でのアクシデントによる進路変更(⑧)

個々の判断に異論はあることかと思うし、筆者が認識しながら媒体の制限等の理由から取り落としてしまった描写もいくつかある(レース中のウマ娘や観客の表情はその最たるものである)。
しかしながら、重要なのは本レースにおけるキタサンブラックの走りの表象にはほぼ常にマイナスの負荷がかかっていた、ということであり、この点についてはおおむね同意していただけるのではないだろうか。

・キタサンブラックの「勝利」

キタサンブラックは、このような数々のマイナスの描写にも関わらず、本レースを制した。
ゴール板前を先頭で駆け抜けたキタサンブラックは、地面にへたり込み「そっか……そっかぁ……。」と言いながら涙を流す。その表情は勝者とは思えないほど、暗い。

勝者の姿か?これが…

このゴール後のキタサンブラックの描写は、ストーリーの大きな流れとの関連で言えば、衰えを自覚した彼女の心情を表したものと納得できる。しかしながら、レース展開とその結果からすれば不可解というほかない。
勝利の喜びが感じられないこともそうだがそれ以上に、彼女がこのレースでの走りに達成感を感じていないということだからである。

それはすなわち、天皇賞秋のキタサンブラックは、ピークアウトを迎え、アクシデントに見舞われ、観客席からも心配され、本人としてもそれらをはねのけた達成感を得られず

にも関わらずなんか勝っちゃった、ということになるからである。

別の言い方をすれば、この天皇賞秋のレース中及びレース後の表現は明らかに、キタサンブラックの勝利を描写レベルで説明することに失敗している

キタサンブラックはなぜ出遅れたのか

天皇賞秋のレースにおいてキタサンブラックが遭遇した出来事のうち、特筆すべきものが二つある。それは、スタート時の出遅れ(①)と、第4コーナーからの最内の進路選択(⑥)である。

・出遅れ

かわいい

キタサンブラックの出遅れは、ぬかるんだゲート内の地面で足を滑らせたことにより起こった。スタートには巧拙があるものの、これは不幸なアクシデントであったといってよいだろう。

多くのフィクションにおいて、勝負における不幸なアクシデントは様々な表現上ないしストーリー上の意味を持つ。圧倒的強者が敗北するきっかけになることもあれば、不調の主人公を絶望的な状況に突き落とし、その後の勝利を劇的なものとすることもある。
今回の出遅れは、形式だけを見ると後者に該当するように思える。出走前から能力のかげりを危惧していたキタサンブラックに降りかかった出遅れという不運は、観客席のトレーナやチームスピカの表情を曇らせるには十分であった。

しかしながら、この不運は「その後の勝利を劇的なものとする」ような、アクシデントが起こることによってレースが面白くなるような効果をもたらしただろうか。否である。
先に述べたように、キタサンブラックは出遅れに工夫をもって対処することもなく、力でねじ伏せた達成感を抱くでもなく、ただアクシデントに遭遇し、そして、勝っている
要するにキタサンブラックの出遅れは、あえて強く言うならば、このアニメを面白くすることに寄与していない、ということになる。

では、なぜキタサンブラックは出遅れたのか。
出遅れたからである。より正確に言うならば、このアニメがモチーフにしている現実の第156回天皇賞秋という史実において、出遅れたからである

スタートしました。ディサイファそして、キタサンブラック、あまり良いスタートではありません

2017年 天皇賞(秋)(GⅠ) | キタサンブラック | JRA公式YouTube

あるいはこの出遅れを、ゴールドシップの走りを想起させるものとして演出していたらどうだったか。
ゴールドシップが達成したGⅠ6勝のその1勝目、最後方から馬場の荒れた最内を通って勝利を飾った皐月賞の走りを、キタサンブラックが出遅れというアクシデントによって想起し、荒れた最内を選択してルービックキューブの最後の1面を揃えるという演出だったら、どうだったか。

……まぁこれは素人が妄想で気持ちよくなりすぎているかもしれないが (そもそもゴルシの皐月賞は今期では描写されていない)、少なくとも本レースの描写は出遅れという史実に積極的な解釈を施すことなく、史実がそうであったからという理由でアニメに引き写しているのである。

・最内の進路選択

キタサンブラックはそのまま内目に入り、グレーターロンドンの内をすくって先頭をうかがう勢い。すぐ横からはサトノクラウン。2列目からはリアルスティールやレインボーラインが懸命に追い出しにかかった。
残り400mでキタサンブラックが先頭。馬場の中ほどへ外へ張りながら進んだため、サトノクラウンは内側へ進路を変更し、馬体を合わせにかかった。押し切りにかかるキタサンブラックの脚色はしっかりしており、この道悪でも確かな伸び。サトノクラウンは1馬身差から前との差がなかなか詰まらない。激しい叩き合いが最後まで続いたが、キタサンブラックがそのまま押さえ切ってゴールとなった。

JRA-VAN レース結果回顧・払戻 第156回天皇賞秋

史実の第156回天皇賞秋において、キタサンブラックに騎乗していた天才ジョッキー、武豊の第4コーナーから最終直線にかけての進路選択は「神騎乗」と呼ばれ、後世に語り継がれている。

この進路選択は、アニメにおいてどのように描写されたのか。
「ここで、ここできた!キタサンブラックだ!」という実況の声とともにBGMが変化し、キタサンブラックが猛然と駆け上がってくる様子は、思い切った進路選択を表現しているようにも見える。

いい表情だ……

しかしながら、武豊はレース後このようにコメントしている。

こういう馬場もこなしてくれると信じて、直線では内に入りました。早めに先頭に立ったことで最後詰め寄られましたが、押し切ってくれました。

ラジオNIKKEI【天皇賞・秋レース後コメント】キタサンブラック(武豊騎手)

一方アニメではどうだったか。チームスピカのトレーナーは言う。「いつものキタサンならこの程度の道悪、ものともしないんだが……」と。

史実と異なる描写をしていることそのものを問題視しているわけではない、ということを強調しておきたい。衰えの実感という大きなストーリーの流れにおいて、キタサンブラックが馬場をこなせるかどうかを不安視するのは自然な描写である。

真に重要なのは、史実でジョッキーがキタサンブラック(馬)を信頼してとった進路をトレーナーが不安を抱く状態のキタサンブラック(ウマ娘)はどのように選択したのか、ということ。
すなわち、史実と異なる描写をしたことにより生じた、史実とは異なる決断をどのように描くのか、ということである。そしてそれは、史実を考慮せずに見た場合に抱く、ピークアウトを迎えた状態でなぜ荒れた内馬場の進路を選択できるのか、という疑問に直結するだろう。

「サトノクラウン、いま先頭に……いや、ここで、ここできた!キタサンブラックだ!誰も選ばなかった荒れ果てた最内を豪脚でねじ伏せ、キタサンブラック、一気に迫る!」

レース実況

その疑問に答えるキタサンブラックの決断は示されない。
きっと彼女は勇気ある決断をしているのだけれど、その瞬間が描写されることはない。

彼女はただ息を荒げながら、「豪脚でねじ伏せ」るのみである。
史実と同じように。史実とは異なる状況であるにもかかわらず。

おわりに/「ウマ娘」と「史実」

『ウマ娘』。彼女たちは、走るために生まれてきた。
ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と
共に生まれ、その魂を受け継いで走る───。
それが、彼女たちの運命。

この世界に生きるウマ娘の未来のレース結果は、
まだ誰にもわからない。
彼女たちは走り続ける。
瞳の先にあるゴールだけを目指して───。

ピクシブ百科事典「ウマ娘プリティーダービー」

Season 1から3まで、第1話の冒頭で読み上げられてきたこの文章は、フィクションとしての「ウマ娘」と、現実における競馬の「史実」とのアンビバレンツな関係を表している。
ウマ娘におけるレースは、レース結果どころかその展開さえも、過去の競走馬と騎手による競馬に準拠している。しかしそれと異なる主体である「彼女たち」は、その結果を「まだ誰にもわからないもの」としてゴールを目指し、その結果として、別世界の運命と同じような軌跡が新たなものとして描かれるのである。

特にSeason 2において、レースシーンに読み込まれた彼女たちの「意思」は、史実の名レースと絡み合って、あるいは超えて、まばゆい輝きを放っていた。
「ヒーロー」たらんとしたライスシャワーの天皇賞春、トウカイテイオーに「諦めない」姿を見せつけたツインターボのオールカマー。そして、幾度の挫折を乗り越え「絶対」を刻んだトウカイテイオーの有馬記念。
ただ史実を再現するだけでは決して生み出せない名シーンが、そこにはあった。

Season2キービジュアル


ひるがえって、Season 3第11話における天皇賞秋はどうか
意思はあっただろう。ゴールドシップの助言に導かれ、「衰え」と向き合う覚悟を胸に、彼女はこのレースを走っただろう。
ストーリーもあっただろう。結果に戸惑う宝塚記念とは対照的に、勝利してもなおピークアウトを実感する天皇賞秋は、展開上重要な役割を果たしているだろう。

しかし、そのレースは。
「キタサンブラック」が走り、競い、ゴールを目指した軌跡としての天皇賞秋は、「別世界で既に起こった出来事」の引き写しではない、「まだ誰にもわからない未来のレース」として描かれていただろうか。

端的に私見を繰り返すならば以下の通りである。

キタサンブラックは出遅れた。第156回天皇賞秋において、キタサンブラックがそうであったがために。


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