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若い世代に迎合できない会社は成長しないのでは?

この投稿は半分愚痴、半分真剣な意見調査です。

少し強い表現になってしまうこともあるかもしれないです。
気分を害したら申し訳ありません。

以前こんなことが話題に上がりました。

Aさん「この現場で起こる問題を解決するために手書きの書類を作りました。これに記入して共有していけば問題は解決できるよね。」

私「確かに解決できますね。でも今後チームに若い人を増やしていくのであれば、テキスト入力で対応できるようにした方が共有しやすくないですか?」

Aさん「今は手書きで事足りるからいいんじゃないかな。」

私「そうですね。でもゆくゆくは変えていきましょうね。」

ここでAさんの反応がいまいちで気になりました。

私「手書きのままでいいと思っていますか?」

Aさん「うん。」

私「ちょっと聞きたいんですけど、みんながみんな字がきれいじゃないですよね?読めない字を書く人がそれを書いたときに困りませんか?」

Aさん「きれいに書くよう努力すればいいじゃん。」

私「じゃあ仮に字が汚い人がこのチーム、会社に入りたいって言った場合はどうするんですか?」

Aさん「そんな人仕事にならないでしょ。」


ここからは僕の意見になります。

「手書き>入力」と「手書き<入力」



「手書き>入力」側の意見を想像する

手書のメリットはなんでしょうか。

・速攻で頭の中のものを書ける
・電源がなくても書ける
・今のメンバーで考えれば当然できる行為
・書いて覚えることができる

こんなところでしょうか。
他にもあれば意見してください。

ではデメリットはどうでしょうか。

・書いた紙を失くすリスクがデータより大きい。
・人によって字の上手い下手が出る
・そもそも手が自由に使えることが前提

これも他にもありそうです。

「手書き<入力」側である自分の意見


一方自分の立場である「手書き<入力」の立場でメリットを出しました。

・字が一律のため、上手い下手関係なく第三者が読みづらいことはない
・データで管理されるため、失くすリスクが少ない
・今は音声入力の精度も上がっているので手で入力する以外の選択肢がある
・間違えた部分の削除ができる

ではデメリットはどんなことがあるでしょうか。

・電源もしくは電池での稼働が多いため、なくなるとアウト
・人によっては手書きよりもスピードが遅くなる
・デバイスが壊れるリスクがある

ざっと想像した限りなので様々な意見が出そうですね。

双方メリットデメリットは考えられるので、どちらがいいかはケースバイケースです。
しかし僕が今回この記事を投稿した理由はどっちがいいかを議論したいためではありません。
二つの選択肢を考えるうえで、どっちが結果的にプラスになるかを考えたいためです。

未来思考は「手書き<入力」だと思うの理由

ここからが僕の意見になるんですが、
そもそも僕は今後字をきれいに書けない若者が増えると思っています。

なぜなら僕らの子供時代より明らかに字を書く習慣が減り、逆に字を入力する習慣が増えたからです。

僕の子供たちは字がとても汚いです。
本当に読めないくらい。
でも彼らは丁寧に書いているつもりです。

こういう子は本当に多いです。
小学校の授業参観なんかで展示物を見ても、我が子がひどいのはさることながら、それを超えるものもちらほら見ます。

これを単純に「親の教育だ、持って生まれた才能だ」と片付けることはできますが、それは安直な答えだと思います。

現代の子供たちの「入力」機会の増加

子供たちが日常手にしているものは今は鉛筆とノートだけではないです。
スマホやタブレットもあります。

すると僕らの時代になかったスマホやタブレットに割く時間が子供達には存在します。
必然的に文字は手書より入力をする機会が増えます。

ちなみに僕が小学生のころにしていた入力は週1~2回のパソコンの授業のみでした。パソコンを持ってる人は家でも触っていたでしょうけど。

しかし今の小学生のスマホ普及率はググって調べただけでも約40%、中学生では約80%になります。
この数字は年々上昇しています。

これを理由とすれば、彼らが「入力」に触れる機会が増え、その分「手書き」をする機会が減ったことも理解できます。

チームや企業を持続させるために必要なのは「次世代の担い手」

子供たちはいずれ僕たちがいる社会に出てきます。

チームや企業は優秀な若者を常に欲していますよね。
なぜなら団体を成長させるために優秀な人材、なおかつ未来のある若者は大変貴重で価値があるということが、社会人みんなの共通認識であるからです。

しかし少子高齢化のこの時代、若者の総数は絶対に減ります。
すると社会の需要に対して供給は追いつかなくなります。

優秀な若者の数も減れば、普通の若者、優秀でない若者も減るはずです。

団体を構成する要素が「人」である以上、老いや病気など逃れられない事態は必ずあります。持続させるためには次世代の担い手が必須です。

門を狭くすることは団体として自殺行為ではないか

若者の総数が減る以上、優秀な人材を確保することは今まで以上に難しくなるはずです。
でも団体を持続させるためには若者が必要です。

ならば「優秀」を妥協して「若者」を取り込むことも生き残るす術にするべきでしょう。
※何を「優秀」とするかは個人個人違うので、成績とかだけじゃないですからね!

こういうふうに考えていくと、
冒頭の「字が汚いと仕事にならない」は若い世代が団体に参加するうえで通る門を狭くしていると思います。

極端な考えと思う人もいるかもしれません。
でも僕は、字が汚いことが悪いこととはどうしても思えません。
もちろん仕事によっては字をきれいに書くことが能力として求められるケースはあります。
しかし僕が身を置くチームにはそれは必須ではないと思っています。

手書だけでなく、今まで当たり前とされてきたいろんなことについて、得意な人苦手な人が現代では生まれています。

例えば電話をかけるのが苦手な若者とか、目上の人に正しく敬語を使えない人とか。
一概にすべてを受け入れろとは思いませんが、そもそもそういう若者が増えた理由は彼らの能力だけではありません。
少なからず教育環境、ひいては社会環境にも責任の一端はあるはずです。

ならばそういう若者がいるということを受け入れ、迎合できる部分は合わせていくことが団体が長く生きるために必要なのではないかと僕は考えます。

そもそも手書きでいいと判断したAさんは、自分にできることを要素として手書きにしたのではないでしょうか。
入力は面倒だし、できるんだから手書きでいいじゃん、と。

それは未来を見据えていない回答だと僕は思ってしまいました。

しかしこうなってくると、僕のこの考えはどこまで一般化されているのかが気になってきました。
もしかすると僕の考えは何かしら歪みを孕んでいるのではないか。
致命的な欠陥があり、考えを改めなければならない部分があるのではないか。
むしろAさんの方が正解、もしくは成功する要素になるのではないか。

気になってきてしまい言葉にせずにはいられませんでした。
どんな意見でもいいので皆さんの考えを聞かせてください。
共感や支持が欲しいのではありません。
単純にこの話題について興味が抑えられなくなっただけですので。

もしコメントしたい方がいたら、
記事コメント機能は有料版にまだしてないので使いえないので
僕のXにコメントやDMしてください。






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