第二次大戦を生き延びて③
(2) 空襲と機銃掃射の恐怖
広東はその後もたびたび空襲を受けており、1942年北回帰線の通る港町の汕頭に移ったときは空襲がなくホッとしたのだが、それもつかの間だった。
1944年,戦争の最終段階に入ると、週に2-3回の空襲が始まった。目標は日本軍の軍事施設だが、幼児、子供を含む一般市民も爆撃と機銃掃射でたびたび殺されていた。戦争での殺人に例外はないのである。
空襲が始まると、私の家族は、自宅一階の半地下式防空壕に退避する。天井と壁は厚さ30センチの鉄筋コンクリートで覆われ、