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三宮銀三郎 第十話:四十七士も人である

第十話:四十七士も人である

嘉永に年師走の神田天翔墨翰場。

三宮銀三郎(松前の色男)は天翔墨翰場の筆頭墨翰術師となっていた。剣の魂を筆に込め、剣舞のような美しい所作でその才能を示した。その無限の可能性はいまだ留まるところを知らない。

葵丸悠斗(出羽の雷神)もまた名高い墨翰術師であった。雷のような迅速な筆さばきと独特な墨の使い方で知られ、作品からは豪快な力が感じられた。

銀三郎は天翔に参加してから半年が経ち、早くも筆頭師となった。銀三郎に立ち向かうためには相応の実績が求められるようになっていた。彼の報酬を支払うためには、それまでに多くの興行を成功させなければならなかった。名もなき墨翰術師が銀三郎に立ち合いを求めれば「五戦全勝」という条件を課されえう。つまりは五試合分の売り上げを上げる必要があるのだった。

この頃その中で、最も客に支持されたのはやはり武士である葵丸との立ち合いであった。

師走は興行も街の賑わいと同様に掻き入れ時であった。この日、師走の十四日、お題は当然「赤穂浪士」となった。

葵丸は銀三郎を相手にしながら、討ち入りではなくあえて松の廊下を描いた。浅野内匠頭の一振りは吉良上野介にわずかな傷をつけるのみであり、その書を見る者には内匠頭の「今、一太刀」という無念さが如実に伝わってくる。その描写はまるで自分自身の心に響くかのようで、心臓をグイとつかまれるような感覚をもたらす。

一方、銀三郎はそれを知ってか知らずか、討ち入りを真正面から描いた。しかし、そこに描かれた浪士たちは皆、勇猛果敢さとは一線を画していた。泣きながら剣を振るう者、敵を殺したことへの自責に頭を抱える者、陰に隠れて小さく震える者、敵の遺骸の下で倒れたふりをする者など、これまで知られた浪士たちの姿とはまったく異なる姿が描かれていた。

銀三郎の思いはただ一点、浪士たちもただの「人」であるということであった。討ち入りに参加した浪士たちは確かに称えられるべきだが、それは彼らが超人的な存在だったからではなく、偶然や優柔不断さが影響したこともあったのだろうと。

これは銀三郎の賭けであったが、天翔の客たちは銀三郎の思いを受け入れた。命のはかなさや尊さ、死ぬことではなく生きることで見つけられるもの、天翔の客たちは自らが生きる未来にこそ輝きがあることに気づいたのである。

その夜、江戸の町に初雪が舞った。

興行の終わり、神田天翔の表に出、それに気づいた客たちは、泉岳寺に向かい、「痛うございましたでしょう」「お辛うございましたでしょう」と手を合わせ頭を垂れた。