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鏡の中の音楽室 (12)

第一部 さくら と まゆ
第五章 合唱コンクール(5年1組まゆ編) 


いよいよステージ上では5年1組の準備が整った。あとは指揮者の小松望結とピアノ伴奏者の藤田まゆがステージ上に登場するのを待っていた。
 
『まゆ…頑張って…』
 
さくらは両手を握り合い、祈りのポーズに似た格好で心の中でそう声をかけた。
 
「お待たせいたしました。次は5年1組の合唱となります。ここからはピアノ伴奏、指揮をともに児童が行います。ピアノ伴奏者は藤田まゆさん」
 
そう呼ばれてまゆがステージに現れたとき、その表情を見てさくらにはぐっとくるものがあった。
 
『これまでずっとまゆとは一緒にやってきたけれど、今日は別々の舞台なんだ』
 
今まで一緒に様々なことをやってきたことが、さくらの心の中から自然と染み出てくる。
 
「指揮者は小松望結さんです。大きな拍手をお願いします。曲目は『翼をください』です。それではお願いします」
 
司会者の紹介が終わると、ピアノ伴奏者のまゆ以外の指揮者とクラス全員が会場に向かって一礼する。担任の谷先生もステージの下で一緒に一礼する。そして、指揮者が回れ右をして背を向けたとき、会場内は大きな拍手に包まれた。会場の雰囲気はというと、低、中学年の保護者の多くが、子どもたちとみるために各教室に移動し、人数が減ったと思われたのだが、5,6年生の保護者の人たちが、このタイミングで増えたため体育館内の人数に大きな差は見られなかった。さらに、自分たちの子どもの合唱の順番となっているため期待感で熱量が少し上がっているようだった。
そして、ステージ上の指揮者の指揮棒が振り上げられる。まゆのピアノ伴奏が始まり、しっとりとしたリズムの曲が始まる。スローなテンポから混成が増えていく。明らかにそれまでの学年とはレベルの違うハーモニーが会場を包み込む。そして、テンポの変わるサビの部分から、混成3部の3グループが同じ部分を歌うところで、ピアノは強めに音を出し始めるのだが、ここでまゆの感情に変化が起こった。
 
『すごい。音楽室とは全然違う迫力。こんなに演奏するのが気持ちいいなんて。でも、ここはクラス全員の声量に負けないようにピアノの音をとどけなきゃ。パート練習と違って通して曲が作られるんだ。わたしは今その一部になっている。届け!私のピアノ!』
 
このタイミングでまゆはプレイヤーズ・ハイ(いわゆる演奏者の感情が高ぶってしまい抑えが効かなくなった状態)になってしまったのだ。要するに会場の雰囲気にのまれてしまい、その時のノリのままで1番と2番の間奏部分を弾いていたのだ。
 
『まゆ?いつもの練習の時と違う・・・ここはいったん盛り上がった情景をもとの空気に戻すところなのに・・・いったいまゆに何が起こっているの?このままいけば見せ場である最後のサビの繰り返しでもっと大きな音を出さなければならなくなる。』
 
さくらはまゆの伴奏の異変に気付いた。そして、その心配を抱えたまま曲は2番へと突入していく。2番の入(はい)りの混成の1グループだけの静かでしっとりとした部分が、ピアノの音が大きいせいで心なしか大きな声で歌いあげられる。まゆもクラスのみんなも、そのことに全く気づいていなかった。その音量が基本となり、混成3グループすべてが声の大きさを大きくしていく。合唱自体に悪いところがあるわけではないが、さびに入るとさくらの悪い予感は的中した。
最大の見せ場である2番のサビから繰り返しのエンディングに入ると、まゆはいつもより腕の力が続かず、アレンジを入れようとしていた後奏(アウトロ)の部分を普通に弾くので精いっぱいとなった。
結局、何とかサビの繰り返しの部分を残りの力でしのいで、後奏はアレンジを披露することもできず、腕の力がなくなったまま余力でたまたま弱くたたかなければならなくなったが、幸いにも聞いている観衆やクラスメートには余韻を残す柔らかな終わり方に聞こえた。そして、会場からの大きな拍手と、クラスのみんなは、いつもより大きい声で歌ったことによる疲労感も手伝ってその多くが達成感を感じていた。観客に関しては、混成3部合唱であったことと、声の大きさがそれまでの学年と違ったことその新鮮さが手伝ってかなり満足している状態だった。
けれど、まゆだけはいつも通り最後までしっかり弾けなかった理由が分からなかった。いつもなら後奏でアレンジをしようとする余裕まであった。なのに『しっかり最後まで弾けなかった』という悔しい気持ちだけが残った。
そして、5年2組への入れ替わりの時間に、さくらがまゆのところへ駆け寄って素早く声をかけた。
 
「まゆ。どうしたの?1番から2番にリセットできてなかったよ。ずっとサビの部分の大きさで演奏していっちゃったから、2番はたたき疲れちゃったよね。何があったの?」
 
そこで、まゆは我に返った。
 
「そうか・・・あそこで引っ張られたのか・・・アレンジも披露できなかったし・・・さくら。気を付けてね。普段通りに演奏するっていうことがどれだけ難しいかよくわかったよ。さくら・・・頑張ってね。私の分までお願い・・」
 
そういうとまゆは座ったままうつむいた。
1組のクラスのみんなは本当に満足した様子だった。しかも、まゆの伴奏に関しては悪く言う人もなく、逆にほめたり、ねぎらったりしていた。その光景とは対照的にまゆは後悔と疲労感でうなだれていた。それがさくらの中での違和感となって全身を覆いつくしたのである。

第五章 合唱コンクール(5年1組まゆ編) 完

次回 第五章 合唱コンクール(5年3組さくら編)

(鏡の中の音楽室 第一部 さくら と まゆ)
(タイトルの画像は「気持ちよさそうにピアノを演奏している女の子のバストアップ」というお題でBing Image Creatorが作成した作品です。

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