櫻坂は「なぜ」素晴らしいか

まず自己紹介。
櫻坂オタクと申します。
櫻坂オタ歴は6年(和音新規)、推しは森田ひかる、藤吉夏鈴、山﨑天です。
また、音楽遍歴としては18歳から60s~10s邦楽洋楽ロックテクノパンクポストパンククラブラップノイズetcetc広く浅く食べてきました。(逆に言うとアイドルは欅が最初で、AKB系は少し見てましたがそのくらい)
その上で、音楽全体を広く見た上での今の櫻坂の魅力を伝えたく筆を執りました。
以下注意点です。
・長いです。櫻坂の魅力は複雑なのでそれぐらい必要でした。
・固いです。櫻坂の魅力は複雑なので平易に書けませんでした。
・「どう」魅力か、というより、「なぜ」魅力か、を書いてます。
 具体的には、メンバー個人の話は一切出てきません。代わりになるべく確かな状況証拠から、ポップ・ミュージック全体を見渡した上での櫻坂の特徴を書いています。
・資料性も薄いです。櫻坂オタクならみんな知ってることに基づいて書いてるつもりです。逆に言うと櫻坂オタクなら当たり前だけど他から見たら当たり前じゃないことを明文化したつもりです。

ではどうぞ。

なぜ櫻坂は素晴らしいか

基本的に以下の3点になる。

  1. 表現へのコミット

  2. プロデューサーの不在/既存ジャンルへの非依存

  3. 高いスキル

以下、それぞれについて詳細に書いていく。

1. 表現へのコミット

欅坂時代から各々のメンバーは「曲を届けること」=「表現」に重きをおいて活動してきた。
制作物は各シングル/各曲ごと独自のコンセプトに基づいたコンテンツとなっており、そのコンセプトに各メンバーがシンクロしてパフォーマンスし観客に「表現」していく。
特にそのスタンスが明確だったのが平手友梨奈である。
インタビューやライブでの行動などからそれは裏付けられる。
またそれに感化される形で欅坂の他メンバーも「表現」というワードについてはかなりのコミットメントを見せている。
そのカラーは今でも引き継がれており、櫻坂に置いても未だに「表現」というワードはコアなバリューだと思われる。

ただ、ここで注意すべきなのが「表現」という言葉の抽象性である。
曲の「表現」というのは、ポップ・ミュージックの文脈では多くの場合パフォーマーのペルソナ及びそこから来るメッセージの「表現」と同義となっている。
欅坂時代は主に平手友梨奈のペルソナがコンセプトの核だったが(より正確にはコンテンツ全体を通して抽象的に描かれた「僕」という歌詞の主人公と平手友梨奈が共鳴しあっていたというべきだが)、櫻坂においてはそこは明確に切り離され、パフォーマーのペルソナと制作物のコンセプトは全くの別物となっている。
つまり、櫻坂のパフォーマーは、自分と全く無縁のコンセプトに対し「表現」していく。
これは本来の音楽制作の価値観ではマイナスとされている。いわゆる「やらされている」状態になるためである。
特にSSW方式でない(制作にパフォーマーが関わらない)アイドルの世界では、強力なプロデューサーの存在がない限り、この方式ではハイレベルな制作は不可能と言われてきた。

が、それを可能にしているのが櫻坂である。

自分とは無縁のコンセプトの楽曲に対し、深いコミットメントを持って表現可能となっている。
それが随所に現れるのがまず表情である。
櫻坂のパフォーマンス時に同じような表情をしているメンバーは少ない。

例として東京ドームの"摩擦係数"
まず武元唯衣は余裕を持った表情に対し、松田里奈は真剣な眼差しを崩さない。
 翻って藤吉夏鈴、田村保乃は苦しんだ表情

特にフロントメンバーに関しては、あえて表情を揃えずパフォーマーの解釈に委ねてバラバラの表現をしている。
これはアイドルパフォーマンスとしては異例である。多くの場合「自信に満ち溢れた表情」「笑顔」「悲しい顔」など、シーンによって表情を揃えるのがセオリーだ。
また、メンバーそれぞれも歌詞に関して自分なりの解釈を持っている発言が随所に見受けられる。
このようになる要因の一つとしては、欅坂時代から振付およびその指導を担当しているTAKAHIRO氏の影響が大きいと思われる。
彼は練習の前にまず歌詞の解釈をメンバーと考えることから始めるという。一人ひとりに対し、言葉の背景や行間も含めた意図を考えさせ、落とし込ませる。
また、そのフィードバックから、考えた振付自体を変えることもある。
コーチが決めた振付を100%再現することがゴールではなく、あくまで楽曲のコンセプトをメンバーなりに表現することがゴールとなっている。

また、平手友梨奈の存在も大きかったと考える。
平手友梨奈は曲の表現をするために、裏方から関わる、指示とは違うパフォーマンスを行う、怪我をしても強い振付を変えない、など、前例を見ないコミットメントを見せており、先述の通りそれが欅坂全体の表現力の向上を促した。
その平手友梨奈が率いる欅坂に憧れ入った二期生が、改名され本人がいなくなったあとも、TAKAHIRO氏のもとで、グループの根幹となる「曲を表現する」というバリューを受け継いで活動している。
それが、櫻坂における「パフォーマーのペルソナやストーリーに依拠しないコンセプトの高次元での表現」を可能としていると考えられる。

2. プロデューサーの不在/既存ジャンルへの非依存

良質なアイドルグループによくあることとして、有能なプロデューサー(アイドルがそれを担うこともあり)がグループ全体のコンセプトを決め、各コンテンツの方向を決めているケースがある。
これは海外のポップスターもやっている制作方法であり、むしろ良質なコンテンツを生むための常套手段とも言える。

では櫻坂がその方法を採っているかというと、「NO」である。
プロデューサーとしてまず名前が浮かびそうなのは秋元康氏だが、周知の事実として、坂道グループは現時点で総合プロデューサーである秋元氏の作詞以外での関与がかなり薄い。
どのグループも立ち上げ当初は運営にまで大きく関与するようだが、ある程度軌道に乗ると秋元氏は表に出ないようになり、裏方仕事の権限は基本的にSMEの運営チームに任せられる。
ただ、欅坂においては平手友梨奈と秋元氏の関係がかなり深かったこともあり、ある程度現場に口を出すこともあったようだが、櫻坂において秋元氏の意志が入ってきたのを見たことはほぼない。
ではそれに変わるプロデューサーがいるかというと、現時点明言されてはいないが、活動の方針などを見るにいないように思われる。
その証左として考えられるのがまず第一に人脈の非連続性である。
櫻坂においては、音楽スタッフ、MVスタッフ、ジャケットスタッフ、衣装スタッフそれぞれについて一貫したものがほぼない
音楽はコンペ制であり、AKB初期の井上ヨシマサや欅坂のナスカのように主軸となっていた作曲陣も特にいない。
MVも櫻坂においては広く募集するようにしており、継続的に関わっているのは池田一真氏と加藤ヒデジン氏のみ。
ジャケットにおいては1~4stシングル及び1stアルバムまではOSRIN氏が一貫して担当していたが、それも5stから変更になった。
これが故意かは判断の余地がありつつ、このような広範囲で一貫していない人脈を採用しているのは、逆にプロデューサーの不在を意味していると考える。(これがクオリティアライアンスの観点でマイナスになっている例もあるが)
第二に、コンセプト自体のコンペ制である。
櫻坂の制作資料を展示する新せ界というイベントにおいて、各シングルのコンセプトのMV/ジャケットetcの企画書が展示されていた。

そこには歌詞に依拠しない(おそらくそのタイミングでは歌詞はできていない)コンセプト自体の提示があった。
つまり、櫻坂の現在においては、コンテンツ制作の各チーム(楽曲、MV、ジャケットetc)がそのシングルでのコンセプトを独自に解釈、定義しプレゼン、採用され制作していく方針となっている。

これはかなり異様と言える。ともすれば各チームでの整合性が取れないリスクも孕むからだ。
実際OSRINの1stのジャケットは歌詞や楽曲、MVとは全く無関係のジャケットを作り、一部で指摘されたという。
だが、それをOKとする運営陣とファンがいるからこそ、この制作方法が成り立つ。
もう一つ、唯一コンテンツ制作において欅時代から一貫して携わっているTAKAHIRO氏の存在も、この制作方法を成り立たせていると考える。
これは彼がプロデューサーの役割を果たしているという意味ではない。
彼が醸成した「表現へのコミット」というバリューに基づき、最終的にアウトプットするメンバーが自主的にコンセプトを理解、表現することによって、トータリティを担保しているのだ。

なので、制作のコンセプトが最も発露されるのが最もメンバーのイニシアチブが大きいライブ披露の場になることもしばしばある。
各制作チームがそれぞれの制作物で曲のコンセプトを定義した上で、それを最終的に統合してメンバーが表現を行う。
そこでは制作物だけを見ても想像できない、特定のプロデューサーが考えたビジョンではない、行ってみないとわからない「なにか」が存在する。
ある意味で究極のボトムアップ方式となっているのが櫻坂の制作方法なのだ。

またそれに付随して、櫻坂のコンテンツ/ライブのおいてもう一つ特徴的なのが、ポップ・ミュージックにおける既存ジャンル(ロック/アイドル/K-POP/クラブ/R&B/ヒップホップetc)の方法論が取られていないことである。
まず楽曲において、現時点ポップ・ミュージック=クラブミュージックといってもいいほどクラブミュージックマナーが主流となっている中、秋元康氏が関与しているグループでは未だにゼロ年代J-POPマナーの楽曲が大勢を占めている。

全てではないことと、この点は利点とは言えず、それによりクオリティが低いだけの曲も多い点は公平のため記しておく。
ただ、それにより既存の世界観から逸脱したコンセプトの提示が可能となっていることは副次的な効果と言える。
特にロック/ヒップホップから距離を取っているのは大きい。
ロックに接近すると多くの場合「ラウドロックの快楽性」「Jロックの消費」「インディロックのスノビズム」のどれかに偏り、既存ジャンルもしくはアーティストの色が濃くなってしまう。
またヒップホップに接近すると、セルフボースティングなどスポーティな側面が強調され、結果的にK-POPとなりかねない。
コンテンツとして(楽曲としてではない)そのどれにも回収されず櫻坂独自のジャンルを築いているのは、楽曲の前時代性の副作用とは言える。

また、ライブ現場においてもそれは同様であり、櫻坂のライブでは他アイドルグループと比べコールアンドレスポンスやレス(ファンへのサービス)、MCが少ないのも特徴である。
観客へのアクションも他ジャンル(ロックやヒップホップ)と比べても少なく、特に本編後半においてはパフォーマンスのみを行い、そのまま終了となる。
既存アイドルグループのマナーに沿わず快楽性が低いという指摘がされることは多いが、逆に言うとそれだけ純粋なパフォーマンスで価値を提示しているとも言える。
特に本編のラストブロックにおいては、大掛かりな舞台演出を使ってパフォーマンスをサポートし、そのライブでのコンセプトをあくまで楽曲表現のみで表現しており、そこは櫻坂独自の魅力と言えるだろう。

3. 高いスキル

櫻坂の前身である欅坂の時代においては、スキルはそこまで重要視されていなかった。
もちろんダンスをメインとしているグループではあったが、高いスキルによるダンスと言うより、先述したような表現をどれだけ深くできるかというところを重視しており、振付も演劇的な要素が強く、揃っている/メリハリがある、というようなダンスにおける価値水準で言えば高いとは言いづらかった。(一部メンバーはその中でもハイレベルだった)
ただ、櫻坂においては、意図的にダンススキルを必要とする曲が出始めてきた。
例としては2stシングルの「BAN」、1stアルバムのリード曲「摩擦係数」、7stシングル「承認欲求」である。
「BAN」は主にロックダンスをメインとしており、特に間奏のユニゾンダンスについてはハードかつ揃えることを前提とした振付であり、高いスキルが必要となる。

そして「摩擦係数」はブレイクダンスというアイドルで取り入れられることがほとんどないジャンルが全面に出ている。

今までにないパンツスタイルの衣装でフロアに入る振付は、かなりのスキルがないとそもそもパフォーマンスが成り立たないレベルであり、これを表題曲にしたということは、個人的にではあるが櫻坂はスキルを高く位置づけるというメッセージだと受け取った。
そして現時点の最新曲である「承認欲求」である。

これは明示的にメンバーから「今までは個性を出していたそれぞれのメンバーが意図的にユニゾンすることを目的としてパフォーマンスしている」というインタビューの発言もある通り、先述したような曲の表現よりダンススキルを見せることが目的(というよりダンススキルで見せることがグループ全体での表現として正しいと判断した)となっていて、実際に驚くほどハイスキルなパフォーマンスを見ることができる。
また、そのスキルがダンサー観点で評価されることの証左として、2023年において、ダンサーのYoutuberで櫻坂が取り上げられだしていることが挙げられる。

主にK-POPをメインとしているYoutuberも櫻坂のダンスを評価しており、以前のような一部メンバーだけでなく、グループ全体として特筆すべきレベルに達しつつあることは間違いない。

ただ、大事なのはそれが曲のコンセプトの表現というバリューから逸脱しないことである。
スキルがあることを伝えるためのダンスは櫻坂においては極力排除されており、楽曲のコンセプトや歌詞のメッセージを伝えることを第一義としていることは欅坂から変わりない。
これは「曲を表現するためなら振付を間違ってもいい」という発言をしていたTAKAHIRO氏のスタンスが大きく影響していると考えられる。
逆に言えば、多様かつ深い表現を行うために長年ダンススキルを磨いてきたグループが、結果的にダンススキルを全面に押し出したグループと引けを取らないほどに成長したということであり、これは個人的に欅坂から櫻坂に変わった際の一番の成長だと思っている。

※ちなみに近年はジャズダンス/コンテンポラリーダンスについても力を入れ始めていることも特筆しておきたい。

総論

まとめると、櫻坂は「特定のプロデューサーのビジョンや、既存ジャンル/アーティストの前例からではない、各制作チームがボトムアップで考えたコンセプトを、パフォーマーであるメンバーが独自に解釈し、高いスキルで表現していくグループ」となる。

その特徴がよく現れたのが先日の3rd anniversary live だった。

特に初日、ラストブロックの流れは誰が見ても圧巻だっただろう。
ミディアムテンポのハードロックに乗せて、「他人のせいにするな、鏡に写ったお前は誰だ?」と鬼気迫るセンターの森田ひかるが鋭い眼差しで問いかける"Nobody's fault"。
跳ねるピアノから山﨑天が野太い声で煽ったあと、別れの思い出から「永遠の幸せなんてないんだ 元気でいるか?」と幸せの儚さとそれ故の今の美しさを前身で表す"条件反射で泣けて来る"。
そこから無音の中三期生の山下瞳月がゆっくりと花道を歩き、セットしたあとにクラブマナーのピアノ・ハウスの上で孤独の恐怖と自分の存在を叫ぶ"静寂の暴力"。(特に孤独の恐怖を本当の無音で表したあと渾身のコンテンポラリーダンスを踊るラストは圧巻)
その後段々とビルドアップされるファンキーなベースからSMチックな衣装でセンターの藤吉夏鈴が登場し、特効の後爆発する"Start Over"。
そして最終曲、SNSに取り憑かれた森田ひかるの映像が流れたあと、ダーティなベースの上で完璧なユニゾンダンスを踊り狂う"承認欲求"。
どれもジャンル/メッセージが全く違い、ともすればばらばらになってしまいそうな楽曲群だが、メンバーの深いコミットと高いスキルにより全てに魂が入り込んで、その場にしかない異様な空間を作り出す
これはまさに全世界を見渡しても櫻坂にしかない魅力でる。

そして何より素晴らしいのは「次」が全く予想できないし、何が来てもおかしくないことだ。
何が来ても受け入れる土壌があり、表現できる素養がある。
BE:FIRSTのようなヒップホップが来てもいい。
King Gnuのようなロックと組んでもいいし、ケンモチヒデフミのようなフットワークもできる。
これほどまでに多くの表現方法がある今の世界で、これほどまでに次が読めないアーティストは他にいない。
櫻坂の四年目に期待しかない。

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