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胆石発作(続編)笑笑

胆嚢摘出手術をした話の続編です。麻酔科の先生のことばで目覚めた後の話です。

<病室で5日間>
そこからがベッド上での苦痛との戦い

これが手術ってもんか~」を実感。なんせお腹に4カ所も穴をあけて器具や管を通されたであろう場所が痛い。器具が通ったであろう(想像でしかないっ)体の中もあちこちが痛い

「麻酔で意識がないのをいいことに、きっと雑に手術されたんや~」なんて心の中に恨み節がわいてくる。

そして管を通されたままのおしっこにつながる部分が痛い。体をねじるたびに痛い。我慢ができない。どうしたものかと考えたとて、耐えるしかない



<術後の呼び出しボタン連打>

そんな感じで麻酔が切れてからは、痛くて眠れない。なんと夜の長いことか

「痛いときは我慢せずに痛み止め飲みましょう。遠慮なくボタン押してくださいね。」
入院前にも術後にも看護師さんから聞かされていた。「優しいやん、この病院なら安心~。」

しかし、、、、。


麻酔が切れて間もなく、ここぞとばかりにボタンを押すが、一向に誰も来ない。テレビ台に置かれた薬を飲むにも一人では飲めない。ボタンを連打するが何回押しても誰も来ない。実は月曜日の病院は術後の患者さんでいっぱいだったのだ。

さらに、後で聞いたことだが、夜中の当番の看護師さんはフロアに2人しかいなかったらしい。少なくとも15人くらい患者さんはいたのに。この病院では二度と手術をしないと決めた瞬間だった。

その後はボタンを押すことになんの躊躇もなくなっていた。だって看護師さん来てくれないんだもの。早めに押して回数をかせぐしかない。「何回も呼んだのに~」って訴えるために笑笑。

翌日、翌々日も痛い。なんせ穴をあけたお腹が痛い。胆嚢以外の場所に傷がついたのではと思うくらい腹の中も痛い。おしっこの管も痛い。特に最初に二日間はじっと我慢の子であった



<管が抜けたら途端にリハビリ>

待ちに待ったおしっこの管が抜けた。ホッとするのもつかの間。リハビリの指示が出される。誰か看護師さんがついてくれるでもなく、ただ単に「歩きなさい」という指示だ。

「えっ、管は抜けてもご飯もまだろくに食べられない。起き上がるどころか寝返りも苦痛なのに~」

でも看護師さんは歩けという。早く治すためには歩きなさいと言う。なんと極悪非道で冷淡なアドバイスか。


歩行器でフロアを一周するだけで大仕事だった。「くそ~っ」と思いながらも、それが正解なんだとは分かっていたので、耐え忍んで「歩く」という苦行を重ねた


冷淡なアドバイスと苦行が功を奏して、徐々に痛みが薄れ、体が動きやすくなってくる。薄情なもので、あんだけ押しまくったナースコールのボタンもベッドの上の邪魔な存在となっていった。


退院までの二日間はボタンの代わりにスマホを握りしめていた。ここぞとばかりに「東京リベンジャーズ」を全部見た。プライムビデオさまさまである。

「回診しない担当医とナースコールに反応しない看護師さんの病院には二度と来るもんか」と思っていたが、そんな病院にも優しくしてくれる看護師さんが一人だけいた。

唯一のイメージ通り親身に状態を聞いてくれる人だった。逆に余計に愛着が湧いたのかもしれない。運よく退院の時にもその看護師さんだった。丁寧にお礼を言って「もうこの病院に来ることはないなぁ」と思いながら自宅に戻るバスに乗り込むのだった。


<後日談>

「ちゃんと健康診断に現れる。」この夏の健康診断を終えてのマイ格言である。

毎年のことだがエコー検査が長い。(脂肪が邪魔で見にくいらしい)今年も長いのでカマかける気も手伝って「何かありますか?」と聞くと「胆嚢がなくなりましたね」と検査の女医さん。

さすがわかるんや感心。(当たり前か、、、)「昨年のデータで胆嚢に影が見えていたのでじっくり見ようと思ってたら、、、、。」なるほどそういうことか。全く記憶からとんでいた。

昨年から胆嚢には症状が出始めていたのだった。指摘されていたにもかかわらず、体がサインを出していたにもかかわらず、放置した結果の手術だったわけだ。


胆嚢なくなったんやな~」と麺類を見るたびに思い出しています。まったく食べなくなったわけはない笑笑。しかし麺を食したり、食べ過ぎたりした時にはお腹が不調になる。胆汁がまともに消化を助けているのか不安はつきまとう。

しかし気をつけている分、多少体重が落ちてきているんです。反対に体を動かすことも徐々に増えている。もう少しで術後のあの時の体重に近づきつつあります。


というわけで、これからの記事は「ダイエット」に移行していく予定です。予定だけですが、こうご期待を!

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