見出し画像

いぼぢ①

高校時代にもしりを痛めた記憶がある。しりと言っても「肛門」を、、、である。固くてなかなか顔☺を出さなかった。

そんなブツに負けてなるものかと相当踏ん張った。「若気の至り」である。10分以上続く闘い。試合には勝ったのだが、ブツには多少の血がにじんでいた。

その後しばらくは痛みが続いた。「試合に勝って、勝負に負けた」のである。切れた痛みはやがてかゆさに変わっていった。

このことを教訓に、出ないものを無理やり出すのはやめていた。すっきりしない残便感が続こうと、血便とおしりの痛がゆさにはかえられない。「試合に負けても、勝負に勝つ」ほうを選択して生きてきた。

※「残便感(ざんべんかん)ってまさかと思って入力したらちゃんと変換しました笑笑」


ことさら働き出してからはしりのケアはしてきた。父も「」を患っていたからだ。相当ひどかったようで、「痔ろう」とやらまでに悪化していたそうだ。一昔前はそれが原因でがんになる病気だったと医者から言われていた。

父は手術して入院していた。「ぢ」か~と恥ずかしながら見舞いに行ったことをよく覚えている。そんな子どもにはおかまいなしに「麻酔されたときに痛みがす~っととれて気持ちよくなった」なんて言っていたのが忘れられない。

しりに麻酔だなんて、、、肛門周りに麻酔だなんて、、、聞いただけでしりの穴がすぼまる気がする。なのに「気持ちよくなった」なんて、どれだけひどい痛みだったことか。

というわけで、しりのケアは欠かさなかった。といっても我流である。肛門だけに、誰かに相談はしづらい。自分なりに考えた結果、風呂上がりに「オロナイン」を塗ることにしたのである。

子どものころからなんかあったら「オロナイン」の時代だった。そんな時代、なかったのかもしれないが、我が家では祖父の影響で「オロナイン」だった。

に刺されたらオロナイン、切り傷ができたらオロナイン、やけどをしたらオロナイン。なんせオロナインは万能薬だった。

風呂上りにオロナインは20年くらい続いていた。ところが、、、ある時たいせつな菊の門違和感が。こんなにもケアしてきたのに、しりが痛がゆい。いつも通りにオロナインをぬっていると、なんだかぽちっとしたものをオロナインを塗った指先がとらえた

」って言って思い出した。大学の部活の友達が、当時はやっていたタモリさんの「笑っていいとも!」のあるコーナーに挑戦したことがあった。色紙におもしろおかしいことを書いては、「金言格言」と言って笑いを競うコーナーだった。

友達はひそかにオーディションに行っていた。その時の金言が「肛門菊のごとし」だったのだ。一人の審査委員だけにはバカ受けしたそうだが、残念ながら予選落ち。全国区のテレビに映ることはなかった。

30年越しに、ここでようやく日の目を見るのである。「肛門菊のごとし」の生みの親も喜んでくれるであろう。

「こっ、こっ、これは。かの有名ないぼ。あれだけ毎日いたわってきたしりなのに。とうとういぼが~。」かなりのショックだった。

後半に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?