交わるはずの無かった縁が交わるとき


はじまり


 昔々、この地球が温暖化によりいよいよ海面の高さや海水温度の上昇。異常気象が毎年のように頻発し、果ては世界大戦の様相を呈した各国の戦争、内乱などが人間という種族や、他の生態系の生存限界まで近付いていたある日。
 一人の富豪が訴えたのだ。
「僕は冬が大の苦手だ。人間も他の動物のように冬眠をして、せめて資源の消費量を最低限にする期間を作ろう」
 そして、同時に持続可能な生活サイクルを編み出そう、と言うのだ。
 この発言をはじめて聞いた人々は、意味がわからないと近くに居る人やSNSで騒ぎ立てていた。一方で、富豪と同じく冬が苦手な体質の人々は無理に冬の外出や仕事をしなくて良くなることを歓迎していた。
 他には、その冬眠の間の食糧や快適に過ごすための電気などは誰が供給するのか。自分は冬より夏が苦手なのになぜ苦手でない時期を寝て過ごす必要があるのか。
 本当にそんなことで温暖化が防げるのか。様々な叫びが世界各地から、巻き起こった。
 しかし、はじめに訴えた富豪はどれも聞こえないフリして、淡々とまず自分の企業から着手した。
 一つ、冬眠休暇は12月から3月とする。
 一つ、夏が苦手な人は冬眠休暇の間働き、6月から9月を夏眠休暇とする。
 一つ、冬眠休暇の間は家の外へと出てはならない。
 一つ、食糧は秋と春に必ず準備をしたと報告をせよ。
 など、はじめに訴えられた頃は人間は長期間寝られる生き物ではないので、家の中でいかにエネルギーを少なく過ごすかを主眼に置いて富豪の企業は、ルールを作り出した。

 はじめはなし崩し的に始まった制度であったがいつからか世界中の人々が各国の気象事情に合わせて、富豪の作ったルールを適応させる国が増えた。
 するといつの間にか寒さで食糧が乏しく、避暑地がなかった国は、争いを諦め、内乱の続いた地域も互いが顔を合わせず治められると気付き共存をはじめた。
 もちろん全ての戦争が終わった訳では無いけれど、少なくとも冬と夏には人々は世界人口の半分ずつ交代で長期間眠れるように長い時をかけて進化していった。

 その影響で、冬眠をする寒さに弱い人々は冬の景色を知らずに育ち、夏眠をする暑さに弱い人々は夏の景色を知らずに育つようになった。
 するといつの間にか、人々には暗黙の了解が生まれた。
『恋をするにも、愛を営むにも、ましてや結婚なんてものは同じ体質の人々とするものだ』と。

 これはそんな世界で生まれ育った人々がふとしたタイミングで、別の種族と成り果てた人々と恋に落ちたらそれぞれがどんな道を選ぶのか。そのはじまりと結末を記す物語である。

冬のぼくと夏の君

「あー、やっと暖かくなってきた」

 数ヶ月ぶりに冬眠用ベッドというか、カプセルから身体を起こし、両腕を天に伸ばす。久々に動かしたせいか、指先の毛細血管から心臓へと血液が降りてこようと動く感覚やピンと張られたテントのように、真っ直ぐな筋肉が待ち望んでいたささやかな運動に歓喜するが如く、反応している。
 冬眠明けのこの瞬間が、春の訪れと共に最高に気持ちがいい。
 まだ女を抱いたことはないけれど、きっと同じような気持ちよさなのではないか、などとボンヤリ考えながらカプセルから足を床へと移動させる。
 床は寒いのがダメで冬眠を選んだ一族の遺伝のせいか、フローリングよりも畳でなければ安心ができない。
 そんな話しを友人たちに話せば、フローリング派と畳派に分かれて論争が始まったのは、確か大学1年の頃だっただろうか。
 あれからもう5年、6年と過ぎていることに月日の早さを感じながら、ぼくは起きたらまず会社へと報告を済ませなければならないことを思い出した。
 冬眠休暇は人によってまちまちで、早いヤツ、早い地域だと年末年始の休暇じゃないか?と思うほど早く目覚める人もいれば、3月のギリギリ、桜が満開の地域が増え始めると共に目覚める生粋の冬眠体質もいる。
 これは最近の医学界の発信する情報によると、人間は元々冬眠や夏眠をして暮らす生物じゃなかったのを、徐々に適応させるために今、個々の身体が最適な冬眠パターンを探っている最中だから、らしい。
 最初に提言した富豪の言っていた期間、きっちりと休むことは今や権利ではあるが、目を覚ましたとなると人間は食欲や排泄など生理現象の欲求に、しばらく使われなかった筋肉たちも動かしたがる。
 だから、宇宙から帰ってきた宇宙飛行士のように、身体を動かし、内臓がショックを起こさないように液体の栄養食(しかもこれが、めちゃくちゃ水で薄められてて、本当に栄養があるのか疑わしい)ものを摂取しながら徐々に冬眠前の日常に戻るのだ。
 ありがたいことに我が社は目覚めたことを報告すると、AIがぼくに最適な運動カリキュラムと宅配ロボットが、玄関先まで栄養食を置いて行ってくれる。
 そうして適度な運動と食事をしつつ、先に冬眠から覚めて夏眠休暇に入る前のヤツらから申し送りをされていた同僚とWeb会議をこなして出社の日をボスと決める。
 今の時代、在宅勤務がほとんどだが皆が冬眠から明ける4月は特別だ。冬眠から目覚めて初めて社会人をする子や冬眠が、明けたら結婚をするなど何か新しい動きと情報を手に入れ、外界との接点を確認する儀式のように、皆、この月用に借りられたオフィスへと顔を出す。
 そう、冬眠は何も人間の身体や温暖化の原因であったエネルギー問題、戦争などを変化させただけじゃない。
 父や母から聞いた話では曾祖母たち以上前の代では、毎日満員電車に揺られ、必要も無いのに残業をし、人々は皆疲れた顔をしているのに、給料が上がらず中間層と呼ばれた人々も簡単に底辺へと転げ落ちてしまうほど、世界は病や争い、それに伴う物価高で苦労していたらしい。
 その分、決してディストピアではないけれど、冬眠用のベッドであるカプセルは、温度が一定に保てるよう太陽光を集め、夜になると集めた光の力で暖かい寝床を維持できるし、冬眠前の数週間は熊のように栄養を蓄え、人々は若干春の頃よりも丸みを帯びた身体になって眠る。
 排泄については……一度冬眠してしまえば存在を忘れてしまうので、目覚めた最初は会社から届いた栄養食を口に含み、内臓を動かす。すると冬に溜めていた余分なモノは全て外へと消えていくのだ。
 こんな感じで、望めば外界から隔離された一生を送れなくはないし、外界との繋がりがほしければ、休暇の期間以外は積極的に出ればいい。
 だからAIやロボットが進化したことで肉体労働と運搬業は、監督役とメンテナンス役さえいればそれで充分、という世の中になったし、農業や漁業も人の手を加えた方が良い点と外界との繋がりがほしいヤツがやる。そんな人が望まなければわざわざしなくていいって世界になっている。
 ぼくはどちらかと言えば、積極的に外へと出たいタイプじゃない。たまに仕事が行き詰まった時に思考を切り替えようと出るだけだ。
 ああ、そうそう。家については何百年と保つ特殊素材が開発されて、過去の人間からすれば近未来風。昔ながらの町家風。あと、その特殊素材を塗装のようにして過去の文化財とやらも人が居なくてもそのまま保てるようになっている。
 この特殊素材については、友達、と言っても生身で会ったのは数回程度のヤツが研究しているらしくて最後に会った2、3年ほど前に延々と訳のわからない単語を並べ立てて説明をされたが忘れてしまった。
 ぼくの仕事は、過去の人間の行動について文献を読み、ある一定の法則や文化などを研究する仕事だ。
 昔なら大学の研究者なんて呼ばれるのだろうか。今は民間企業になり、ぼくたちと異なる生活をしていた過去の人間の思考を明らかにして、テーマパークのロボットやわざわざ昔の住まい風の建物に住みたがるやつへと知識を還元する。
 そうしてぼくの見たことがない紙の雑誌とやらやカフェなんてものを作ったり、運営したりしているらしい。
 生憎ぼくは外には興味がなくて、様々な過去の人間の言語や文化、幼稚な思想に至った過程が楽しくて仕事をしている。その後のことなんて知ったことじゃなくて、ぼくは仕事と冬眠を楽しめればそれでいい。
 子供はぼくの運動カリキュラムなど健康を管理してくれるAIを通して国家に要請すれば、同じく希望しているパートナーを紹介もしくは、恋愛結婚とやらを体験してみたものの上手くいかなかった人たちの子供を養子という形式で引き取ることも可能だ。
 だから、まだ24歳……もう少しで25歳の自分にはまだまだ遠い未来のようにしか思えないのだ。

 ぼくは研究の一環としてまた、寒さが苦手なのが影響して取り入れた畳をノソノソと歩き、身だしなみを整えに行く。
 髪もだいぶ伸びているし、ヒゲも伸びている。洗面台でボンヤリ立って、鏡の横についている操作パネルを押せば、AIが勝手にぼくの顔に最適な髪の長さ、ヒゲを決めてくれ、あとはぼくがシェーバーやブラシを適当に動かすだけだ。
 それらはAIと連携して決められた長さまでキッチリと整えてくれる。
 逆に言えば日頃は昔の人間の使っていた道具と同じで、ただ髪にツヤや滑らかな指通りを与え、ヒゲは中途半端に生えた状態にはしないものだ。
 それでも中にはAIに決められた髪型や髪色が気に入らない連中もいるらしい。だから未だに期間限定の美容室などが数は少なくてもしっかりと生き延びていると聞く。
 歯もしっかりと虫歯がないか鏡にスキャンされ、人様の前に出ても大丈夫な水準になったら、次は着替えだ。
 まあ、こちらもAI任せでも昔ながらの店舗に行くのも自由だが、ぼくは専らAI任せだ。
 第一、ああいう昔ながらの仕事をしている人間は特別な技能を持っていると認定されないとつけない、今や高給取りの部類なのだ。
 彼ら彼女らの存在はその希少性、冬眠休暇、夏眠休暇を必要なのは他の人間と変わらないので、年中仕事をしている訳ではない。
 その上、AIでは思いつかないセンスなんてもんも要求されるのだからそりゃあ、そういうのに興味がある人間からしたらご指名したい人たちだろう。
 だから、外で店を構えて仕事をしている人間は基本的に高給取りとなる。
 ちなみにぼくは現金より福利厚生と仕事内容で選んだので、中間層じゃないだろうか。

 などと色々考えつつ、支度をするとぼくは仕事机に向かって、ボスへとコールをする。
 残念ながら今年はボスの方がまだ眠っているらしく、予めぼくに引き継ぎをすることが決まっていた夏眠体質の同僚が淡々と説明と、今後送る予定の史料や資料、クライアントからの依頼をある程度簡潔に伝えてくれて、実際に詳細を確認するのは4月の第2週、ついでに今年は一人冬眠体質の新人が入ることになったので、一年の流れなどを指導してやってくれ、とボスからの言伝もいただいた。
 面倒だが、お互いの体質にあった指導をするのは、どこの会社も円滑に仕事をこなす為に決められていることだし、ぼくもそろそろ新人という枠から外れたという証拠だろうと考え、同僚に礼を言ってWeb面談は終了だ。

「さて、これから新人教育計画マニュアルを読んで、久しぶりにアイツらとWeb飲みか店飲みの計画でも立てるかな」
 いつもは誘われないと必要な出社期間以外、資料や史料を写し出したモニターと成人した際に明け渡されたこの見た目が今風で中身が、確か昭和とか呼ばれていたような頃を思わせる何とも珍しい折衷的な家以外に出る気がない。
 それは温暖化がある程度治まっているとは言え、急に苦手な寒さがやって来たり第一外にあまり興味が無い。
 こんな昔なら引きこもり、怠惰などと揶揄される生活を許される時代に産まれたことに感謝をしつつも、気まぐれに大学時代の友人には会いたくなるのだ。
 なぜなら普段はモニター越しに同じ授業を受けたり、個人的にビデオチャットで指導教員の言っていることがわからず、お互いの見解を言い合いながら課題をこなした仲間、言わば同好の士が多かったから自然気安い関係になったのだ。
 ……たまに、別の分野について何が面白いのかぼくに熱心な力説をして、ぼくの感想を求めてくる前述した生身では数回しか会ったことのない友人もいるにはいるが。
 同好の士だが職業や体質もてんでばらばらなぼくたちは、毎年春だけは生身で会うか、Web飲みをすることが暗黙の了解になっていた。
 だいたいが冬眠体質のグループなので、寒さから目覚めて人との繋がりが欲しくなるのだろう。勝手に解答を導き出しながら、今回は珍しくぼくの方から誘いのメッセージを送る。
 理由は簡単、ぼくは一人で仕事をするのが好きだから、新人教育計画マニュアルという冬眠体質、夏眠体質の人間にあわせた仕事の進め方の大枠はあれど、個々人の事情にあわせた指導法までAIも周りも考えちゃくれない。
 こういうところは昔の人間と変わらないんだと、呆れつつも先祖たちとの繋がりを感じる。それは愉快なことだけど、切実にアドバイスを貰いたい。
 そんな下心を持ってメッセージを送ると既に目覚めていたメンバーからは、数時間以内に連絡が。まだもう少し目覚めないメンバーはひとまず仮決定した内容を連絡することにした。

 まさかこの慣れないことをしたことで、ぼくの人生が大きく変わるとはこの時は全く考えていなかったのだった。
 
 冬眠から目覚めた人とこれから夏眠休暇へと入る人が交わる4月と10月は、それこそ街中がいささか華やぐ、お互いに人生のパートナーには選ばない。その暗黙の了解はあれど、やはり人は自分とは異なる生活を送っている者と交流したいという好奇心に駆られるらしい。
 らしい、などと言いつつぼくもその中の一人のように街中に溶け込んでいるけれども。
 今日は4月の始まりの週、つまり来週にはぼくの後輩が生まれて教育をしなくてはいけない。
「多分、今日は何人かに冷やかされるんだろうなぁ」
 アイツらは、ぼくが珍しい行動を取るとすぐに大袈裟に驚き、結果を知りたがるのだ。その行動はまるで、はじめてお使いをする幼子が無事にミッションを達成できたのか、あるいは全く歩けない老人が頑張って歩くリハビリをして歩けるようになったのか。などという冷やかし方だから、もしかするとアイツらの頭の中では、ぼくは仕事以外の全てをAIとロボット任せの世間知らずな引きこもりにでも見えているのだろう。
「……もしくは、ぼくは過保護にされているのか?」
 あまり考えたくなかった可能性を思わず口に出す。すると、誰かが風に乗ってその言葉が聞こえたらしく、先程通り過ぎた後ろから吹き出す音が聞こえた。
「え、その…あ、はは?すみません、笑ってしまって」
「いや、いいけど。ぼくも思考に没頭してしまっていたし、周りの目を気にしてなかったのが悪かった」
 吹き出していた相手は、よくよく見ると花に囲まれていた。より正確に言えば、紺色、いやネイビーのエプロンを身につけて、動きやすそうなジーンズと淡い水色らしいシャツを身につけて、何本かの花を抱えて立っていた。
「ああ、確かにこの辺の景色目に入ってなさそうなお顔で、歩いてましたね」
 お掃除ロボットが来てない時に、ゴミが落ちてたらコケますよ。などと再び笑いつつ彼女は、手にしていた花たちをキレイに花束へと変えていった。
「……見事なものですね」
「どういたしまして?私の仕事は花屋ですから」
 ということは、彼女は相当な技術のある物好きということになる。今どき花は研究用の植物園や酸素生成、農業用の果樹などロボットが管理しているものが多い。
 ましてやなかなか対面なんてしない時代に花を贈る相手なんていないだろう。失礼なことも考えつつ、チラッと彼女の頭越しに店内を見てみると、なるほど人一人で経営できる規模の店舗の大きさに、高値でも人に贈るのに包んでもらいたいと思えるものが所狭しと置かれている。
 何より生花は確かすぐに枯れてしまうと文献で読んだが、少しでも長生きするようにと言う工夫がキチンとされている。
 彼女は余程花が好きなのだろう。感心しながら眺めていると、無言のぼくに居心地が悪くなったのだろう。
「あの、良ければお花、買いませんか?」
「え、いや、ぼくはこれから人に会いに行く約束が……」
「だ、だったら、尚更ですよ!お会いする方のイメージを教えていただければ、私がオススメの花束を作りますから!」
 お代は、さっき笑った分だけ値引きしますし!と気合い充分というか、何か焦っているのか、彼女は両手に握りこぶしを作り、肩に力を入れていた。
「えーと、もしぼくの自意識過剰だったら、申し訳ない。一応、会いに行く相手は友人たちなんで…」
 だから彼女の厚意で花束を作ってもらっても驚くやつは居ても貰って喜ぶヤツらではない。
 あ、確か生花の品種改良を研究してるやつはいたはずだから、喜ぶとしたらソイツくらいか?
 ボンヤリとまた思考の海に流れそうになっていたぼくは、彼女が勘違いをしていたと耳まで真っ赤にしていたのに気が付かなかった。
「そ、そうだったんですね。この時期だし、私服だったからてっきり恋人かと……でも、珍しいですね。友人と会うのに外出されるなんて」
「確かに、たいてい冠婚葬祭とか改まったセレモニーとかで出歩くヤツは居ても今は恋人というか、結婚相手候補に会いに行くのが主流だから」
 春と秋は恋の季節、とか見合いシーズンとかAIで相手を見つけたヤツとか昔でいう未婚で子供を養子に迎えた人々は、すぐに言い出すもんだ。
 むしろ友人と遊ぶならパネルの中のアバターを用いたり、身体を作り上げるための仮想ジム空間でボイスチャット、飲みならモニター越しで充分って世界が構築されている現在ならわざわざ今や高級店となっている居酒屋や更に値の張るレストラン、カフェなんて友人に会うためだけに集まるのは酔狂と思われがちだ。
「でも、いいですね。わざわざ外で会いたいほど大切なお友達が居て」
 うちは、冠婚葬祭用の専門店みたいな一人で経営している花屋だから、たいていAIを通しての注文やロボットが花を引き取りに来て、人と話すのは久しぶりでちょっとテンション上がって笑っちゃったんですよね。
 なるほど、今は確かな技術を持つ希少な人間もお客様は必ずしも人間がやって来るとは限らないのか、今更のような気付きになんだか申し訳なさを感じて、ふと目に止まった花を一輪買ってみようと思った。
「あの、良ければあのピンクの花……一輪買ってもいいですか?」
「へ?あ、あのチューリップですか?もちろん!」
 今の季節にピッタリですもんね~。と何が楽しいのか、彼女はとても嬉しそうに笑いながらチューリップと呼ばれた花の中から何かを選んでいるらしい。
「よし、これにしましょう!あ、お客様生花を買うのはじめてですよね。良かったらオマケに一輪挿しの花瓶つけましょうか?」
 まだ花が完全に開ききっていない所謂つぼみに近い花を選んだ彼女は、満面の笑みで問い掛けてきた。
 その笑みに少し心がザワつきつつ、ぼくは無言で頷いた。勢いで花を選んだものの確かにあの部屋に花を飾るものなど無かったと彼女の言葉で思い出したからだ。
「じゃあ、少し待ってくださいね。一輪挿しとご自宅配送ロボット手配してきます。お代は全て手配してから、ってことで」
「あ、助かります。花を持ってると花の研究している友人に狙われるだろうし、他のヤツなんかぼくの正気を疑ってくる予感しかしない……」
 自分で言っていてなんだが、ぼくは一体どんな友人を持っているんだ。我ながら友人の趣味がいいのか悪いのか、思わず自問自答の思考に落ち込みそうになる。
「あはは!花の研究ってことは、温暖化、寒冷化両方に安定した品種研究とか絶滅危惧種保護活動とかの方ですよね。花屋にとってはありがたい研究者です。それに、今どきは花一本持って出歩く人も珍しい世の中ですから……」
 花屋の地位やお給料が冬眠制度が始まる前よりも上がっても、人との触れ合いやわざわざ店まで足を運ぶ人間は本当に珍しいと思う。
 なぜならぼくも約束の目的地を目指して歩いているが、電車もバスもタクシーもありとあらゆる交通機関が無人であり、街中を歩いていてもすれ違ったのは宅配用ロボットやこれからわざわざ結婚式などをやってみたいと考えているであろうカップルくらいだ。
 だから街中はとても静かで、音がするとしてもせいぜい機械音とどこかの店舗から漏れ聞こえるラジオくらいか。
「確かに、学生時代にどうしても校舎の道具を使わないとできない科目があって友人たちと生身ではじめて会った時、その花の研究をしているヤツが挨拶代わりにって大量のバラ持って全員に1輪ずつ配った時は、帰り道でチラチラカップルたちや警備AIにまで不審者を見る目で見られた気がする」
「それは、ご愁傷さまでした。あ、友人さんたちと約束されているんですよね。すみません!お会計は、あとで配達ロボットからお客様の家のAIさんに請求って形にするので」
「……ありがとうございます。ところで、そのお客様って凄くむず痒いので、名前で呼んでもらってもいいですか?」
 AI以外にお客様、などと言われたことがなくてちょっと居心地が悪い。それ以上の他意はなかったのだが、どうやら相手は違うように受け止めてくれたらしい。
「え、え、あ、あの。えっと、いいん、ですか?」
「ええ、ぼくは名前で呼ばれた方が人間とやり取りしてるって感じて気に入ってるんです」
 それはたとえ電脳世界でのやり取りだろうと古風な手紙だろうと、ぼくはぼくだ、と実感出来るから。普段は、人と最低限しか関わらないし、今どきの引きこもり家暮らしを実践している矛盾は重々承知しているが、だからこそそんなことを思うのだろうか。
「……ぁ、そういう意味か」
 また思考の海に入っていたぼくの耳には最後の方しか届かなかったが、何か落胆した様子なのは気がついた。
「何か問題がありますか?」
「あ、いえいえ、何もないです!……それで、お名前は?」
「?そうですか。ぼくは『トウマ』です」
「トウマさんですか。私は、『ナナ』です」
 じゃあ、ロボットにお願いする手続きしますね。そう言って、ナナは自分の名前を名乗った後にそそくさと店の奥へと引っこもうとしたので、ぼくも「お願いします」と一言言ったあと、友人たちと約束している待ち合わせ場所へと向かった。

 これがぼくと彼女のはじめての出逢いだった。

「ナナ、お待たせ」
「じゃあ、行こっか」
 あの花屋のことがきっかけでぼくとナナは、時々一緒に出かけるようになった。ある時は花の博物館に、またある時は友人の花の研究をしているヤツに直接あわせた。
 今日は、ナナが本物を見てみたいと言っていたぼくの研究に使用する文献たちが眠る国立図書館へと行くことになった。

 ぼくとナナの関係は恐らく恋人、と呼ばれるものなのだろう。お互いに明確な言葉を口にはしていないけれど、あの友人たちとの約束の日以降、何度か花を買いにナナの店を訪れて、連絡先を交換した。
 といっても、ぼくは友人たちと飲んだ席で偶然花屋を見つけ、花を一輪買ったのだと、漏らしたら積極的になれ!だの花には人間を癒す効果があるから定期的に買え!だの色々な方向から、所謂ありがたいお言葉をちょうだいしたせいだ。
 本当はナナと連絡先を交換するつもりもなく、ただただ彼女なら家にどのような花を選んでくれるだろうか。そんな興味本位な気持ちと、AIと共に生活に最低限の家具の揃っただけの畳の部屋が花を一輪飾ることで、実は今までは殺風景な家だったのだ、と気がついたからだ。
 そこで大抵の人はペットロボか国が管理している愛玩動物をいくつかの審査を受けて引き取るか、もしくは結婚や養子を取るという選択をするらしいが、ぼくにはどれも出来そうにないと考えた。
 仕事をはじめてしまえば区切りが着くまでモニターとにらめっこをやめないし、休みの日だとなれば静かな音楽を流しつつ、ボンヤリと思索をする。
 たとえば、海のような音楽には自分が海を漂う海洋生物をイメージし、音楽が切り替わるまで大海原を思考の中で泳ぐ。あるいは激しい音楽であれば、かつての温暖化の日の太陽に自分がなり、人や生物とを燃やし尽くそうと怒りの温度を容赦なく照らす。
 実際の出来事ではないことをイメージすることや、この過去の出来事のイメージが正解なのかを仕事を通して過去と対話をする。そんな時間がぼくの心地よい時間だと気がつくと……結局、仕事が好きなんだな。などと偶然買った一輪の花とオマケをしてもらった一輪挿しをボンヤリと眺めながら改めて自分自身を理解出来た。
 また、花には人間を癒す効果がある。という花の研究をする友人の熱弁は、本当に正しいアドバイスなのだろうと納得し、花が枯れる頃にはナナの元へ通うことを決めた。
 ちょうど会社に入った新人を教育する期間だ。しばらくは、教育用オフィスへと通うことになるのだから、そのついでだ。

 そう思っていたら、何度目かの訪問時にナナの方から顔を真っ赤にして、ぼくの個人用の連絡先を教えてほしい。とお願いをされた。
 その顔を見て、はじめて人を可愛いと思ったような気がする。我に返ったときには、既に連絡先を交換し、お互いの予定をあわせて出かける約束をしていた。
 何度か出かけるうちに、ナナは両親が花を育てることを仕事に選んでここより遠方に暮らしていること。そんな両親の背を見て育った影響か、花や人間と触れ合える可能性が高い花屋を志すようになったこと。
 猫舌で熱い食べ物を食べる時は、人の2倍くらい時間をかけてしまうことを悩んでいること。
 店に配達ロボットはよく来るが、望み通り人間が来ることは少なくそれがありがたいが寂しいのだと、いつもよりほんの少しだけ眉を寄せ悲しげに微笑んでいた。
 こうやって4月、5月と過ぎ、どこから聞きつけたのかボスの突然、結婚を考えているなら早めに申請を、とぼくが新人を教育することに悪戦苦闘している合間にメッセージを送って来たことには驚いたものだ。

「ナナ、ナナ、……やっぱりここは退屈だったんじゃない?」
「…ぇ?……あ、ううん。私、紙の本なんて授業の時間に見本で見せられたくらいだから、なんだか新鮮で……」
 でも、はじめて来るから昨日緊張して寝不足気味だったみたい。ナナは、本を傷付けないようにしつつ少し眠っていたことに気が付いて、声をかけると慌てたように首を左右に振り、両手を胸の辺りでこれまた左右に振ると言う、少々大袈裟な身振りをしながら図書館に馴染む大きさの声でぼくの問いを否定していた。
 その反応に気圧されつつ、ぼくもわかったと頷くだけで精一杯だった。
「じゃあ、もう少し読んだら区切りがいいから、その後ここを出よう。もし、疲れで眠くなったらムリせずに寝ていていいよ。ぼくが起こすから」
「……うん。ありがとう。大丈夫だから読んでて、私は気分転換に他の本を見てくるね」
 ナナは、そそくさとそれでも周囲に気を遣って席を立ち、他の書架を見に行ってしまった。ぼくにまで気を遣わせて悪いな。とぼくはいつも以上に集中をして先程自己申告していた箇所まで過去最速の速読とやらをやり切った。

「ナナ、読み終わった……よ?」
 ぼくは目標だった部分まで読んだ本を書架へと返却し、いつまでも戻って来ないナナを探した。するとやはり寝不足気味だったのは本当のようで、ヒッソリと人が通らない奥まった場所にある椅子に座り、壁に背を預けて眠っていた。
 幸いぼくの呼び声も聴こえなかったらしく、穏やかな寝息が聴こえる。ここは起こすべきか、どうか悩んだが前に同僚から昔の女性は、愛する人のお姫様抱っこに憧れたり、おんぶされるのが嬉しいらしいわよ。試してみたら?と意地の悪い笑みで一方的にWeb会議を打ち切られたことを思い出した。
(そうか、こういう時に試すべきなのか)
 そうすればよりぼくの心の中に住んでいるナナへの想いが、結婚を求めている恋愛というものなのか、ぼくと違う世界を生きる彼女への好奇心なのか、曖昧に付き合っているような状況を解決できるだろう。
「そうと決まれば、よい、しょ」
 家のAIのおかげで女性一人を抱え上げる体力と腕力は維持できていることに、感謝しつつナナの持つ雰囲気よりもどこか力を入れれば壊れそうなぼくよりも華奢な身体に驚きつつも、この身体のどこに意外と力仕事だという花屋を一人で切り盛りしている彼女の秘められた力強さに尊敬の念を覚える。

 どうにかこうにか図書館から脱出し(両腕が塞がっていたので、人間の館長が扉を開けてくれたが、微笑ましげな笑みを見て気恥ずかしかった)、ナナをいわゆるお姫様抱っこの状態で道を歩いた。
 幸い、ナナの店が近かったのでそこまで運べばなんとかなるだろうと考えていた。同時に、ぼくのことを知るために、これ程寝不足になるくらい緊張してまで一緒に居ようとしてくれるいじらしさ。
 大胆にも連絡先を聞いてくる勇敢さ、それとは裏腹に自分の行動に対して照れたように笑う顔。
 そのどれもがもはや愛おしい。という言葉でしか表せないと自覚してしまった。
 もしかすると新人教育の合間にナナとやり取りしているところをボスに見られて、ぼくの昔でいうところの春、にあたると検討をつけられたから突然のメッセージが飛んで着たのか。
 いつも人より一歩遅れて自分の感情の正体や相手の態度を理解する鈍いと言われるぼくは、やっとボスに情報をもたらしたのはぼく自身だったということだ。

 やっとナナの店に着くと、シャッターが閉まっていた。そりゃ、そうか。ぼくと会うために店を休みにしているのだから仕方ないか。
 しかし、これではナナを起こさなければ中には入れない。鍵は恐らく彼女が持っているのだから。
「ナナ、ナナ、寝ているところ悪いけれど、店の鍵を貸してくれないか?」
「……?ん?あ、トーマ…ゎたし?」
 ごめん、私また寝てたんだ。まだ、覚醒しきっていないらしい頭で、少し幼い口調の彼女は慣れた手付きで鍵を開け、今日はここで解散とすることになった。
 翌日彼女は、寝不足を解消したらしく、昨日のお詫びと寝ていて気付かなかったお姫様抱っこを勿体なかったと冗談めかしているメッセージにホッとした。

 ぼくはその頃にはもう6月に突入していたことに気付かなかったのは、最大の落ち度だと後になって反省することになるのだった。

 あの図書館の出来事からしばらくして、ナナからメッセージが送られてきた。
『しばらく両親の花たちが繁忙期というか、収穫期になるので、8月頃までお店をお休みして手伝いに行ってきます。もし、トウマくんの花が枯れてもちゃんと事前に選んでおいた花を配達ロボットには定期的に運んでもらう手はずをしているので安心してください』
 帰って来たらまた、一緒に図書館デートをしてください。と締め括られた文面に、驚いた。先日はそんな素振りも見せていなかったから、ぼくは改めて正式に付き合って欲しい。その言葉を直接言おうと考えていた矢先に数ヶ月会えないというメッセージが先手で来たのだから、ぼくの間の悪さに少し肩を落とした。
 その仕草にAIが反応して、『そろそろ梅雨の時期です。湿気の憂鬱さを跳ね飛ばす運動プログラムを用意しました』と感情のこもらないアナウンスで精神と肉体の健康維持を推奨している。

「……梅雨の時期?」
 梅雨の時期、と言えばこの国では文字通り雨が降る時期だ。それとここ何世代かの間に暗黙の暗号のように、夏眠体質の人間が休暇に入るタイミングを指す。
 そのことに鈍いぼくでも思い至り、先日ナナと図書館へ行った日をデジタルカレンダーで確認した。すると、夏眠体質が強い人間なら夏眠がはじまる6月の第1週目だった。
「なら、ナナは緊張で寝不足なんかじゃなく、夏眠を求める身体に逆らってぼくに付き合っていたってことか?」
 世の中では、基本的に冬眠体質の者は冬眠体質の者と、夏眠体質の者は夏眠体質の者と男女問わず結婚をする。なぜならこの制度がはじまった頃、冬眠体質の妻が夏に身重だったにも関わらず夏眠体質の夫は何も手助けを出来ず、結局育児で揉めて離婚する。逆に夏眠体質の妻が寝ている間に冬眠体質の夫が孕ませ、妻が目覚めると身に覚えのない妊娠に戸惑い、精神を病んだり、知らずに酒やカフェインなど禁止物を摂取してしまい子が障害を持ってしまったこと。
 最も多い事例になると、どちらかが眠っている間に暇を持て余すことで同じ体質の人間と浮気をし、結局離婚をするパターンがよく見られた。
 だからそれぞれの体質の人間は暗黙の了解として、同じ体質の者同士で夫婦となることにより、より安定した冬眠体質、夏眠体質の人間に進化することも目的として、恋愛結婚は本当にマレになっているのだ。
 そのことを過去を研究する仕事をしているぼくが知らなかった訳が無い。なのに、なぜかナナに対しては夏眠体質か、冬眠体質か気にしたことがなかった。
 自分の中でどれほど短い期間でナナが大切な存在へとなっていたのかと愕然とした。
 恐らく今、ナナが実家に帰っていると申告した通りになっているとしてもこのままメッセージを送らず、8月を過ぎ、夏眠体質の長いいちばん長い期間である9月を越え、次は冬眠期間まで音信不通にしてしまえば今ならまだ引き返せるのでは無いか。
 頭は冷静にそれがいい、と告げる一方、ナナから贈られる花たちと共にどうにか解決して共に居られる道はないのか、と考える自分がいる。
「まだナナが正式に夏眠体質だって確認した訳じゃない。それに、12月になれば今度はぼくが冬眠期間に入る。もしかすると、ナナの方から別れを告げられる可能性だってある」
 そうだ。この選択権はぼくだけにあるのではない。彼女にだって同等にあるものだし、場合によっては彼女の両親が止める可能性だって否定できない。
 この国では大抵大学を卒業する前後に親が子に住まいを譲り、どこか別の場所へと移るか。ナナのように自分から新たな場所を求めることが権利として与えられている。
 昔、少子高齢化が叫ばれた時代の反省として、若者の住環境と仕事が優先されるようになったからだ。
 もちろん、お金は自分で稼がなくてはいけない。しかし、AIや大学の教官などがある程度本人の適正に近い会社や国家機関、高級店の開店を薦めてくれるので、本人が適正なんかを無視して生きたいと思わない限りはそのままスンナリと金を稼ぐ手段と住環境は確保される。
 そこから先、友人や恋人、結婚、子供については個々人がある程度好きにしつつも、暗黙の了解だけは守られる。何とも自由なのか不自由なのか不明な話しだ。
 そこから話しを戻すと、もしナナが夏眠体質でぼくの冬眠体質を知って、その期間を待てない。子供も遺伝的にはどちらが産まれてもおかしくないし、マレに中途半端にどちらも短期間休む体質の人間になることもある事情を考慮して彼女が別れを選ぶ未来も有り得ることに、軽い恐怖を抱きながらフラれた方が自分は安堵する予感もして、情けない自分に自嘲してしまった。

「で、例のカノジョさんからは全然、全く連絡ないの?」
「ああ、まあ、うん。向こうも忙しいのかもしれないし」
 貴方から連絡入れなさいよ。とモニター越しに呆れたような視線を寄越すのは、別部署で同期の冬湖(とうこ)だ。同じ冬眠体質なので、新人の頃は基本的な指導は先輩から一緒に教わった仲で、部署が違ってもよく打ち合わせをしないといけないことが多いせいか、いつも単刀直入に話しを心にぶっ刺してくる。
 ぼくが思考の海に入っているとわかれば、自分に有利な条件をちゃっかり合意させて、しかもわざわざ書面にまで起こして仕事を押し付けてくる強かな女史だ。
「ま、カノジョさんの理由が真実ならね~。マジで夏眠体質の人だったら、ちゃんと話し合いなさいよね。ほら、うちも元旦那が夏眠体質だって隠して、っていうか冬眠体質だって誤魔化して結婚まで持っていかれたから」
「それで、夏眠体質だったって知って、確か当時妊娠してた息子くんを養子に出すか親子三人で暮らすか大モメに揉めて、結局、君が一人で育てるからお前はいらん!とか言い切って追い出しちゃったんだっけ?」
 あの頃、モニター越しに見た顔がいつもより血色が悪く、元々昔人気を博していたモデルのような細く小さな顔が、ヤツれていたことは覚えている。
「ああ、そうそう。その上、あの男!人が妊娠中や冬眠期間だから夜の相手なんてしてらんないって期間が重なって長引いたせいで、同じ夏眠体質の女の子に手を出そうとしてたのよ」
 じゃあ、最初から同じ夏眠体質の子と結婚しろよ!って感じよね!いらない記憶まで思い出させてしまったらしく、彼女は怒りに燃えた目で恐ろしい笑みを浮かべていた。
「ともかく!冬真は、カノジョさんの名前を音じゃなくて文字として確認しなさい!大体の親は冬眠体質か夏眠体質か区別できるように、夏か冬を連想させる文字の名前をつける傾向があるし、そのために世の中基本的に親しい友達か婚約者、あと親くらいにしか名前を教えないようになっているでしょ!」
 そう、ナナに出逢う前は婚約者……つまり結婚相手の候補と親友のような友達にしか本名を名乗らないのが今の時代のどこの国でも行われている風習だ。
 それは冬眠体質だから、夏眠体質だからと差別されないように、恋愛は別にして友達にはそんな垣根など不要だろう。と過去の古典作品、『三国志』なんかである本名とは別に字があるようなのが今の世の中だ。
 だから最初に会った時にナナを勘違いさせてしまった。とあとで気が付いたのは、この目の前の冬湖から容赦のないツッコミメッセージが飛んできたからだ。
 まあ、ぼくとほとんど年の変わらない同期は一足先に家庭を持ち、今のぼくに似た悩みに対して全力で立ち向かい、透華くんというまだ6歳にもならない小さい子供を抱えながら働く彼女の助言は大変ありがたい。
 ああ、余談にはなるけれど透華くんは夏眠体質と冬眠体質どちらを引き継ぐか不明であり、どちらも短期間引き継ぐ厄介な体質の可能性も考えて冬の音のとう、と夏の音のかを選んで名付けたそうだ。
 彼はたまにモニター越しに登場することがあるので、透華くん本人が名乗って教えてくれたから、ぼくは知っている、までが冬湖の子供についてのエピソードだ。
「そうだね。今は仕事に打ち込んで、ナナの戻ってくるはずの9月か10月に一度話してみるよ」
「そうそう。それもせずにプロポーズとか一緒に住み始めた。とかってなると厄介だし、相手はこっちより高給取りな仕事でしょ?」
 この間、透華を連れて新しい子供向けスポットに行ったら豪華な花飾りとか作品が展示されてたわよ。とナナの仕事を知っていたつもりでいたがそこまで大きな仕事も手掛けていたことも知らなかった自分に驚いた。
 ナナの一から十まで知る必要は無いだろうけれど、せめて彼女の大切にしている仕事をもっと詳しく知るべきだった。あのいつも配達ロボットが届けてくれたり、花屋で選んでくれる優しくシンプルな花を包む姿だけじゃなく、他にも何をやっているのか、くらい何度も会っていたのだから聞く機会もいくらでもあったのに。
「しかし、冬真も本当に結婚したら玉の輿ってヤツかー。あ、男性の場合逆玉の輿だったっけ?その割に相手の仕事よりも相手そのものと自分の仕事だけしか興味の範囲がないって、カノジョさんもこの朴念仁のどこが良かったのかしら?」
「それは、冬湖にもそのまま返す言葉だから。キミみたいに気の強い女性相手によく騙して結婚して浮気なんて発想できる男なんて居たもんだ」

しーーーーん

 恐らく体感時間は約10分くらい、もしくは1時間くらいだろうか。とにかくお互いに口を閉じ、新人の頃の教育が対戦型だったせいか、冬湖相手には妙に臨戦態勢になるクセがついているようだ。
「ま、せいぜいフラれて泣く冬真を楽しみにしてるわ。私、この後別の打ち合わせあるから、切るわね」
「あれ、珍しい。どこと打ち合わせなんだ?」
「最近、紙の本も木の量が安定してきたから、少部数復活させようってプロジェクトが出てきてるのよ。うちも過去の記録をデジタルでチェックしつつ研究したり、古びた紙の本を電子化するのだけだとそろそろ終わりが見えてきている分野もあるからって、うちでまとめた研究とかを国家の図書館とか海外に向けて翻訳したものを広めて共有するって道も探さないと」
 ま、冬真みたいな研究バカのバックアップをするのがこっちの部署だから気にするな。最後は貶されてるのか、力強い応援なのかわからない一言を置き土産に冬湖との打ち合わせは終わった。

「そうだよな。ちゃんと決着つけておかないとお互いが傷付くだけ、だもんな」

「トウマくん!久しぶり!」
 9月、正確に言えばもうそろそろ10月近い時期にナナは帰ってきた。最後に会った6月の頃よりも元気で明るい笑みを浮かべて、こちらへと駆け寄ってきた。
「ナナ、久しぶり。今日はナナに大事な話しがあってこの近くのカフェを予約してるんだ」
「え!この近くのカフェって……あの、めちゃくちゃケーキが美味しいから、って営業時間中は配達ロボットも店舗も常に稼働してるって言う?」
「そう、その店。友達に大切な話しをする時はオススメの場所だって聞いたから」
 そっかぁ。トウマくんの友達、凄いなぁ。ナナは感心したように呟いているが、この程度の情報なら友人たちには朝飯前の情報で、予約が出来たのは友人の縁だと言うと、大切な話しが吹っ飛んでしまいそうなので、ひとまずこの話はここで終わりにする。
 代わりにナナが実家で何をしていたのか、こちらはどんな状況だったのか、簡単な近況報告をし合って店へと入った。

「それで、トウマくんの大事な話しって?」
 ケーキも食べ、口を潤すために紅茶を飲み始めたナナは、本題を切り出してきた。いざ、聞かれると自分が言い出した話なのに思わず話を誤魔化したくなる。
 しかし、脳内の冬湖が意気地なしと高笑いをしている光景が浮かんできたので、ぼくは深呼吸をし、本題へと入る。
「まず、ナナに聞きたいことがあるんだ。ナナって名前の文字を教えてくれないか?」
「?うん、ナナは夏に奈良の奈で夏奈だよ?」
「そうか、大事な名前を教えてくれてありがとう。お返しになるかわからないけど、ぼくは冬に真実の真で、冬真……逆にすると真冬だから流石に安直すぎて可哀想だってこの名前になったらしい」
 ぼくの名前の文字を聞いて言わんとしたことはわかったらしい。ナナ……いや、夏奈はもう一度紅茶のカップの取っ手に手をかけようとして、動きが止まった。
「え、……ウソ。じゃあ、トウマくん。いや、冬真くんはもしかして、」
「そう、冬眠体質だよ。夏奈も実家に帰るって言ってたのは、夏眠体質だから、じゃない?」
 そうじゃなければ、実家に手伝いをする。と言ったところで、連絡手段はいくらでもあるのに数ヶ月も音信不通にはならないだろう。
 だから、ぼくの推測が正しいことを確認するために、問いかけた。
「そうだよね。実家に帰るって行って、何ヶ月も音信不通にしてたら、普通自然消滅狙いか夏眠体質を疑われる、よね。……うん。冬真くんの推理で正解。私、夏眠体質でそれも多分、相当長いタイプ」
「だから、最後に会った図書館デートの時にはムリして誤魔化してたってことかな?」
「そう、だね。冬真くんが冬眠体質か夏眠体質か、なんて興味が無くて。ただ初めて会った日に考え事して歩いてる姿が綺麗で、でもその後急に独り言を大真面目な様子で言うところが面白くて冬真くん自身にしか興味が湧かなかった……でも、名前の音だけじゃ、どっちかわからない二人だったからまだハッキリとさせて別れるか、茨の道だって知ってて冬真くんにプロポーズするか悩んでた」
 なんて6月の頃の私には全部言う勇気なかったんだよ、ね。と気まずそうに頬をかく彼女に、自然と目を瞬かせて凝視してしまった。
 今どきどちらがプロポーズをするなんて決まり事はナンセンスだ。そんな空気があるにはあるが、中には昔の本やドラマを見て、男性からのプロポーズに憧れる女性も意外と多い。
 夏奈はそちらのタイプかとてっきり見た目や雰囲気でイメージしていたが、どうやら一人で高級店である花屋を営むだけあって思い切りがいいタイプらしい。
 そう考えるとぼくと夏奈は、見事に正反対だ。ぼくは外出をしたいと拘らずAIに健康管理を丸投げして、仕事とぼんやりする時間が好きだが、夏奈は外で人と触れ合える仕事が好きで、何より花を愛している。
 夏奈が夏眠の間も変わらず配達ロボットが運んでくれた一輪の花たちは、いつも瑞々しい美しさと温かみを感じる種類が選ばれていた。
「夏奈、ありがとう。ぼくがどちらの体質か気にせず、選んでくれて。だったら、来年の今頃までお互いにどうしたら二人にとって1番いい道になるか、じっくり考えよう。ぼくも、冬眠体質は長い方だから12月から3月の中頃まで眠っていることが多い。その間、待ってても大丈夫なのか。もし、子供を持つ選択をするなら、妊娠初期にどちらの体質が強い子供か確率を検査しておくのか。……きっとぼくたちが考える以上に問題が出やすいから、同じ体質の人間同士で結婚する傾向が強いんだと思う」
 それでも良ければ1年婚約者、として過ごそう。結婚するかどうかは、1年後になってもお互いがいい、茨の道なんて平坦な道へと二人で変えていく、そんな覚悟ができた方がプロポーズ、し直そう。
 ぼくの提案に、内心では実際に冬眠体質の人間と家族になるイメージが湧かない部分に不安もあったらしい夏奈は、無言で頷いた。

 あれから1年。ぼくは手始めに一人暮らしをしているあの畳のある我が家の合鍵、正確に言えば指紋登録とID設定をしただけだが、を夏奈に渡し、冬眠をしている期間も自由に出入りできるようにした。
 その時の夏奈は、なぜか感極まった表情で瞳が潤んでいたのには、ぼくも慣れなくて狼狽えてしまった。
 予告通り、12月から3月の中頃くらいまでベッドで眠り、目が覚めるとなぜか部屋から春の香りがした。不思議に思って、寝ている間に弱った足でよろよろと香りの元へと向かうと、夏奈がぼくがいつ目覚めてもいいように、色とりどりのチューリップを飾っていた。
 しかもぼくの生活リズムを崩さないよう、仕事で使う場所や花がすぐに枯れない場所まで配慮していて、夏眠体質の人たちが祭り騒ぎになる花の売れ時にここまでしてくれることに驚いた。
「あ、冬真くん。おはよう。今、予約してた配達ロボットから重湯セット届くから、水分補給はもう少し待っててね」
「え、あ、ああ。おはよう。夏奈……こんなにいっぱいのチューリップ、ありがとう」
「ううん。いいんだよ。……本当は寝てる冬真くんの周りにね。眠り姫のベッドみたいに花を飾ったら絵になるかも、ってついつい妄想して、仕事にならないタイミングがたまにあったから、ちょっと可哀想な失敗した花たちも一緒にお迎え隊に加えてあげようって思って」
 プロとしては恥ずかしい限りです。そう言いつつ、配達ロボットがやって来たとAIが告げるのに反応して夏奈はパタパタと畳の上を小走りで移動している。
 眠り姫ってぼくは夏奈にとってどんなイメージだ?とか色々と聞いてみたいことはあったけれど、冬眠明けを誰かが待っててくれる。そんな初めての経験が春の日差しのように、心を温めた。
 反対に夏奈の夏眠期間には、いつもは店を休みの期間として届けていること。本当は実家ではなく、店舗の2階が住居なのでそこで眠っていたことを教えられ、ぼくは定期的に夏奈の部屋へ様子を見に行った。
(確かに、これは眠り姫のように花で飾りたくなるかもしれない)
 自分でも驚いたが、夏奈に対して夏眠体質で相手をされないから寂しい、浮気したいということも、相手が寝ていることをいいことに、自分の欲のまま身体を蹂躙してやろう。なんて、考える愚かな人間がこの世にいることが信じられないと思うくらい。
 何か神聖で侵しがたい寝顔だと、素直に思った。夏奈のためなら、生き方を変えてもいいのかもしれない、これまで一人が安心だった自分を捨てて、茨の道を二人で選ぶのも悪くない。
 寝ている夏奈の周囲を夏奈がしてくれたように、ある程度手入れして仕事が休みの時は、花について調べたり、プロポーズをどうすべきか。
 国に申請をするにあたってどのようなことが必要なのか、また、これは夏奈が起きた時に告げるつもりだが、ボスに結婚を申請する際には副業申請も行なって良いか相談をした。
 これは少しでも夏奈の愛する花たちをもっと人々が直接買いに来る機会が増えるようにしてあげたい。プロの夏奈よりも何もかも劣る初心者のぼくが夏奈の代わりなんて務まらないかもしれないが、実践と同時に、花屋を営む資格を取得する予定だ。

 だから、夏奈は安心して目覚めればいい。おとぎ話のように、ハッピーエンドで人生が終わるかどうかは、わからないけれど。
 少なくとも結婚までの道のりは、ぼくと一緒にハッピーエンドを迎えられるように、準備はしておいたから。

「……ん?あ、トーマくん、ぉはよう」
「おはよう。夏奈。ご飯、用意出来てるからゆっくり着替えておいで」
 ぼくの挨拶に夏奈は、安心したような無垢な笑みでゆっくりと支度をしに、クローゼットへと向かって行く背中を見て。
 この光景を生涯見て行く人生が得られるなら、冬眠とか夏眠体質なんてぼくにとっては些末な問題だな。

 夏奈と結婚したことを友人や同僚に伝えると、やはりお互いの体質や子供のことなど色々と心配も苦言も貰ったけれど、ぼくたちは気にしない。
 人間は何世紀もかけて冬眠体質と夏眠体質の二つに分かれたのだから、きっと中途半端な状態の人間も暮らしていける進化を世の中もしていくし、案外中途半端な体質の方が期間がどちらも短く、夏も冬も強い子に育つ可能性だってあるかもしれない。
 まあ、これはぼくの勝手な願いが大目に込められているが、愛する人と二人。時には体質の違いで衝突することもあるかもしれないし、やっぱりおとぎ話のようにハッピーエンドじゃない結末を迎えるかもしれない。
 それでも、ぼくは今、ハッピーエンドへと向かう努力をこれからも続けていきたいと思う。……夏奈が横で笑っていてくれるのなら。

~完~

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