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【障害児を分離教育しない、インクルーシブ教育へ】


『障害児が分離され通常の教育を受けにくくなっているので、
分離教育をやめるよう国連が日本政府に要請した』
という記事を読み、心にうかんだことがあるので書いてみたいと思います。


アーケードを走りぬける”おびやまち太郎”

ずいぶん昔のことですが、高校に向かう道には長いアーケード街がありました。
ピンクや深い赤色が美しいサンゴ屋さんや、坂本龍馬のグッズがたくさん並ぶお店が軒を連ねる観光名所”はりまや橋”。そこから高知城までの道の途中にある私たちの学校への通学路は歴史と人々の活気があふれていてワクワクする通学路でした。

そのアーケード街を歩いていたときの忘れられない思い出のひとつが
アーケードをいつも小走りで走りぬけていく一人のおじさん、
通称「おびやまち太郎」さんでした。

推定40から50代。ジョギングというわけではなく、いつも薄着の普段着で
小さな白いビニール袋を持って走っていました。

小走りで商店街の人込みをかき分けながら、すれ違う人を追い越す際は、
右手を元気にあげる仕草とともに「やぁ!」とも「よっ!」ともとれるような軽い一言を発しながら、笑顔で走り去っていくんです。

その元気な姿は「月曜から夜ふかし」でおなじみの”株主優待おじさん”桐谷さんが自転車で目的地までビュンビュン走り抜けていく疾走感姿さながらで、見ているとふっと笑顔になりました。
(桐谷さんがわからない方は是非検索してみてください。)

その疾走するおじさんと、数日に一回はすれ違うので、いつの間にかそのおじさんのことを、私達は勝手に商店街の名前から名付けて”帯屋町(おびやまち)太郎”と呼ぶようになっていました。
私達の中ではちょっと遠い親戚のおっちゃんのような、はたまた少し売れた有名人でもあるようなそんな感じの存在でした。

そしてそのころは知的障害などという言葉も知らなかったのですが、なんらかの障害がおじさんにはあると思われたので、私達は彼がどこに住んでいるのか、正式な名前なども知りもしなかったのだけど、見かけない日は「今日は体調が悪いのかな?ご家族は一緒に暮らしているのかな?」などと心配するようになっていました。
いつも笑顔でこの商店街に存在してくれている馴染みの人として親しみがわいていたのです。


”さよちゃん”

また小学校の頃は、養護学級というクラスが通常学級以外に小学校の中にあり、知的障害のある子どもやダウン症の子どもたちが通っていました。
私達は休み時間には気軽に養護学級に遊びに行ったり、ときおり給食を一緒に食べたりもし、運動会では一緒にも走りました。

中でも家庭科の授業で、さよちゃんというダウン症の女の子と一緒にみんなで調理実習をしたのをはっきりと覚えています。

器用に包丁で食材を切るさよちゃんの姿を見て
私は【障害がある=一人でできない】という思い込みは間違いだったな・・できるところは自分で、できないところをサポートしてあげればいいんだ・・ということを自然と学んだことを覚えています。
 
そして卒業して約10年がたったころ、あのさよちゃんと大学生になった
私は偶然再会したんです。

県外の大学に進学した私が帰省した際に、 友人とお茶しようと立ち寄ったお店で、さよちゃんとご両親にばったり出会ったのでした。

小学生だったころの成長したさよちゃんの顔でわかったというよりも
一緒にいたさよちゃんのお母さんの顔をはっきりと覚えていたので、なつかしさからすぐに近寄り、
「さよちゃんじゃないですか?私、小学校が一緒だったんですけど。〇〇小学校で。」と声をかけました。
するとさよちゃんもご両親もとびっきりの笑顔を向けてくれて
「まあ!卒業してだいぶたつけど、こうやって会うと、さよちゃん、さよちゃんて、みんなぁが声をかけてくれるがよ。ありがとうっ!」
とお母さんが言ってくれて、私もとても嬉しかったのを覚えています。

「分離教育からインクルーシブ教育に」


私はこの ”おびやまち太郎さん” と ”さよちゃん” の記憶から、冒頭の「分離教育をやめよう」という国連の要請に共感しました。

人は、どんな人でも全く見たこともない人か、はたまた一緒に過ごした記憶がある人か?によって親しみの度合いという点で、その違いはかなり大きい。

現在の社会では障がい者と健常者がスパン!と二分されていて、お互いの接点がたたれているように感じるのです。

身近に障害を持った人がいて一緒に話したり、通学したりする機会というものがどんどん減っていることにとても危機感を感じます。

インクルーシブ教育システムが確立すれば、障害児が特別支援学校や特別支援学級に「分離」されることなく連携を取りながら学べるようになります。

そうすれば同じ地域に、障がい者も健常者とともに暮らしていることを皆が体感できます。
障がいのある人が身近な存在となり、どのあたりに誰と住んでいるかもわかるので、必要な時に援助しやすくなるはずです。
(無論、一緒に過ごしたことがない=援助しなくていいというわけではないです。)

通常の学校で障害児を受け入れるとなれば、個別支援の準備や合理的配慮を受けられる仕組みが必須になるので、それはとても困難なことだとは思うけれど、分離よりも融合。ともに助け合い、学び、生きるそんな社会になっていけばいいなと思っています。

【家族だけでなく社会全体で見守り、育てていこう。】


それは子どもだけではなく、老若男女、援助が必要なすべての人に対する願いでもあるんです。町内の〇〇さんをみんなで見守ろう。必要なときは助けよう。そういう姿が自然だと思し、そういう社会にしていきたいんです。

おびやまち太郎さんやさよちゃんをそっと見守りたいと昔の私が思ったように『いつでも誰かをサポートしたい』という気持ちを持った人は、どこにでもきっといるはずです。

この記事をよんでくださったあなたもきっとその一人のはずですよね。

ちょっと昔、「おしょうゆ貸して~」・・があった時代・・みんなが助け合っていきていたみたいに。ほんの少しの思いやりと助け合いで、誰もが孤立せずに生きられる生活はまた絶対に作り出せる。そんな暮らしを少しでも形にしていきたい・・そう思っています。

『お互いに助け合う社会』をもう一度取り戻していきませんか?

°˖✧◝✧˖ 最後まで読んで下さりありがとうございました。 °˖✧◝✧˖


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