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これからの高校野球は「勝ち」を目指しつつも、自立心を育む人材養成面などの「価値」が求められる

たかが髪形、されど髪形 慶応野球「エンジョイ」の真意
森林貴彦 慶応義塾高野球部監督
#直言 #高校野球
2023/11/12 2:00 [有料会員限定]

【この記事のポイント】
・これが正しいと判断する感覚を野球で養ってほしい
・高いレベルの喜びは、練習や競争を乗り越えた先に
・選手との距離感はいつも悩み、言葉には気を使う
この夏の甲子園、107年ぶりの全国優勝を遂げた慶応義塾高(神奈川)のナインは笑顔の「エンジョイ・ベースボール」で汗と涙の色濃い高校野球に、新風を吹き込んだ。これからの高校野球は「勝ち」を目指しつつも、自立心を育む人材養成面などの「価値」が求められるという森林貴彦監督に、真意を聞いた。

神奈川県大会決勝で横浜、甲子園で仙台育英(宮城)という強豪を相次いで破った。「プレーボール」の言葉通り、遊び、楽しむ野球の原点に立ち返っての戴冠だった。
「夏の甲子園3回戦の広陵(広島)戦で、初回に丸田湊斗選手が三塁盗塁を決めて先制したが、サインは出していなかった。彼が自分で決めた。三盗も選択肢として準備していたが、初回から(危険を冒す)サインは出せない。私よりよほど度胸、判断力がある。勇気も要るし、根拠がないと走れない。これからもそういう場面に出合いたい」

――自分で考える楽しさを味わってほしい、と思ったきっかけは。

「高校2年の夏、上田誠監督が『二塁けん制の動きやサインを自分たちで決めてみなさい』とおっしゃった。内野手の私と投手、捕手が練習後の暗くなったグラウンドで、ああでもないこうでもないと話し合った。自分たちで物事を進めるワクワク感は高校野球の一番の思い出だ」

「チームの決め事を守り、人と同じことをするだけでは人生、面白くない。ますます価値観が多様化し、自分なりの幸せを選び取る時代になると思うので、これをやりたい、自分にとってこれが正しいと判断する感覚を野球で養ってほしい」

――相当の野球技術がないとエンジョイはできない。

「もちろん、ただ笑顔でやればうまくいくというものではない。頂点を目指す以上、日々の地道な苦しい練習、ライバルとの競争、試行錯誤がある。そこを乗り越えるところに、より高いレベルの喜びがある。それがエンジョイの真意だ」

「言葉には気を使っている。準々決勝の沖縄尚学戦は五回まで0-2の劣勢。前半戦終了時に『第1試合は完敗だから、第2試合を頑張ろう』と言った。同じ言葉ばかりだと、選手はまたかよ、という顔をする。新鮮な言葉がないか試合中に考えていた。あれでみんな『これからだ』となったのか、六回に逆転できた」

「ミーティングでだらだらしゃべりたくないので、試合ごとに四字熟語でテーマを伝える。『徹頭徹尾』とか『勇往邁進(まいしん)』とか。甲子園の決勝は『大願成就』。これしかない、と一番簡単に決まった」

コツは「全力で頑張るな」

――筑波大の大学院で、勝負事でしゃかりきになってはいけない、という研究成果を残した。

「頑張り度合いとパフォーマンスの関係を調べると、100%の力で走ったときに最高の速度が出るわけではない。8割の力で走ると9割の速度が出る。野球の投球でも全力で投げるより、少し力を落とす方が球速も出て、制球が定まる。全力でやるなということ。各界の達人が極意として力を抜くとおっしゃる。それと同じではないか」

「エラーをした野手や失点した投手が、取り返そうと思うのもよくない。それで取り返せるなら、そんな簡単なことはない。過去は切り捨て、未来を向いて今やれることをやる。練習試合では反省もするが、公式戦で過ぎたことを引きずっていいことはない」

――自主性は大事だが、選手任せの危うさも。

「1代前の3年生は一人ひとりが自立していた。そこで私もある程度任せたが、任せ過ぎたというか、お互いの意思疎通が足りなかった気がする。選手との距離感はいつも悩む。就任当初は私が面倒みなきゃという意識もあって、こまごま言い過ぎていたと思う。失敗は多々ある」

高校野球ではいまだに体罰案件が報告され、フェアでないプレーもみられる。勝利にとらわれ、選手の人間的成長が置き去りにされる現状は社会に通じる課題のようだ。
教育現場で無力を痛感

「(打者が横目で捕手の位置を確認する『カンニング』は)今年の甲子園でだいぶ減ったと感じたが、ゼロではない。チームではなく選手個人の問題だと思うが。高校野球の2年半は短く指導者も時間がない、急いで詰め込まないと、と思うと無理が出る。体罰を受けて育った選手が指導者になって、同じことをする。負の循環を今、食い止めないといけない」

「高校で完成する必要はなく、数年後にいい選手になってくれたらいい、という気持ちでいる。今、先生(慶応義塾幼稚舎教諭)として小学3年生を教えているが、無力を痛感するばかり。漢字、筆算、九九……。できたかなと思った次の日に子どもはできなくなる。一方、教えたことのないことを、いつのまにかできるようになっている。僕がいる意味があるのかな、と日々自問自答する。忍耐強く(成長を)待つ点で、野球の指導者としてもいいトレーニングになっている」

――理想を掲げ、変革を唱えれば風当たりも強くなる。

「チームの目標は『慶応日本一』だが、その先の目的として『恩返し』と『常識を覆す』を掲げてきた。今年の選抜大会でも『高校野球を変えたい』と言って甲子園に乗り込んだが、初戦敗退。簡単に言うな、できるわけないだろう、という声があった。ただ、それをバネにして、夏こそという思いが強まり、成長の材料になった」

――甲子園では選手たちの自由な髪形が注目された。

「いまだにそんなことが話題になるのかと残念に思う一方、これを入り口に(変化への)議論が進めばそれでいい、と思った。問題は髪形そのものより(無思慮に前例に従う)思考停止、旧態依然、上意下達の部分。高校野球はこういうものだという枠を誰かがつくり、枠の中でずっとやってきた。今年の優勝で、一石を投じることはできたかと思う」

――サインに縛られない選手は本当に育つか。

「野球がどういう人材を社会に送り出せるか、野球型の思考が今後の社会にどうマッチするのか考えると、危機感を覚える。勝つために手段を選ばないといった思考が、高校生以下の世代でも、ゆがみとして出ている。そこで打ち出したのが『成長至上主義』。ただただ勝利を目指して頑張ろう、ではなくて、一人ひとりが人間的に成長し、周りも成長させる。選手としての成長、人間としての成長が車の両輪となったら強い。それによって、実は勝利にも近づくのではないか」

「高校野球には堅苦しい部分、個性や自由が認められづらい部分がある。親の負担も大きく、(子どもに)野球が選ばれにくくなっている。甲子園は盛り上がっているようにみえて、全国の野球部や部員の数は減っている。このままの形では続かない。高校野球はスポーツの枠を超えて文化として定着し、変えるのは大変だが、我々が変われば人の育成方法なども変わるきっかけになるかもしれない。社会的な意義は大きい」

――激戦区の神奈川を勝ち抜くのは至難。優勝後、来春の選抜大会につながる試合に敗れた。

「甲子園から帰って翌々日に練習を始めたが(県大会までの)時間のなさ、慌ただしさは想像を超えていた。ただ選手たちは、また新しい気持ちでいてくれている。人生100年、自分もまだ折り返し点。選手に成長を求める以上、私自身が成長するマインドを持っていなければ。現状維持でいい、となったときは退場すべきだと思っている」

もりばやし・たかひこ 1973年東京都渋谷区生まれ。慶大法卒業後NTTへ。3年で退職し、高校野球指導者として筑波大院で指導理論を研究。2015年から母校慶応高を率い、春夏計4度甲子園出場。23年夏、107年ぶりの全国優勝に導いた。慶応幼稚舎教諭。
あえて寄り道、柔軟性養う(インタビュアーから)
慶応の選手たちが夏の甲子園を「エンジョイ」できたのは「そもそも、慶応にいる時点で半ば人生の勝ち組だから」というやっかみまじりの見方があるが、それは違うようだ。
青春まっただ中の高校生であっても野球がすべてではいけない。そう考える森林監督は慶応OBなどから幅広い分野の話を聞く機会を設けている。
政府系金融機関を辞め、瀬戸内海の島で農業にいそしむ人から「都心の大会社に勤めるだけが人生ではない」と学んだ。大リーガー・菊池雄星投手の元マネジャーから、華やかな印象と違って努力の人と聞いた。強豪校が大会準備に追われている時期に、知的障害のある生徒の硬式野球への参加を進める取り組みと連携し、合同練習を行った。
あえて寄り道し、様々な価値観に触れることで「野球オンリー」にはない心の柔軟性が養われているようだ。(編集委員 篠山正幸)
写真 宮崎瑞穂、映像 小口隼 西嶋竜二 福井啓友

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