幻の店

俺は絶対にかなわない恋をしている。それは先輩の松田さんだ。彼女は既婚者であるのにもかかわらず会社全体のアイドル的存在だ。当然新入社員の俺なんかに振り向いてくれるはずがない。それでも先輩に少しでもいい奴だと思われたくて好物だと言っていたキャラメルラテを週2で買いに行ったり、先輩に一番にあいさつするために7時に会社に毎朝行っているが、同居している旦那に勝てるわけないのだろう。そんなことを考えながら帰っているといつの間にか知らない街並みが並んでいてぽつんとおとぎ話の魔女が住んでいるような小さな店が立っていた。考え事をしていたから知らぬ間に違う道に進んでしまっていたのだろうか。明らかに怪しい店なのに引き寄せられるように店のドアノブを回していた。

 扉を開けたとたん鼻が痺れるほど強烈な混ざった香水のにおいとともに三人の特徴的な「いらっしゃーい」という声が聞こえた。そして薄暗い店内から現れたのは匂いよりも強烈なドラァグクイーンだった。まさかショーバーだったのかと急いて店を出ようとしたところ俺より二回り以上太い腕で引き戻された。初めて見るドラァグクイーンたちに何をされるか冷や汗が止まらなかったがよくよく話を聞くとここは靴下屋らしい。世界初のこの店を開いたママは「あなたはどんな恋の病にかかっているの?」と聞いてきた。この店は恋に悩んでいる人しか見つけられないらしい。気が付いた時には今まで誰にも話してこなかった先輩について人が変わったように話していた。話が終わるとママはこれを彼女と会う時にだけ履きなさいと濃紺でチェックの靴下を店の奥から持ってきた。普段なら占いもおまじないも信じない俺だがママが言う言葉には妙に信憑性があり素直に購入してしまった。普段スーパーの5足組600円の靴下しか履かないのにこの靴下は一足で4500円した。家に帰って靴下で先輩との恋が叶うなんてそんな馬鹿な話はないと我に返ったがママの真剣な表情を思いだしダメもとで翌日会社に履いて行ってみた。いつも通り誰もいないオフィスで先輩を待っているといつも以上に笑顔でかわいい先輩が出勤してきた。あまりにも笑顔だから理由を尋ねると昨日からインコを買い始めたのだという。正直鳥類は苦手だったが仲良くなるきっかけになればと思ってじぶんをもインコが大好きだという話をして盛り上がり想像以上に先輩とあいさつ以外の会話ができた。あの靴下の効果は本当かもしれないと思いそれから毎日あの靴下を履いて出社した。翌日もその翌日も今までは考えられないほど先輩と話をし、ついにラインを交換するまでの仲になれた。だんだん先輩と仲良くなっていくのと同時にあの靴下はこすけて色が薄くなってきたが気にせず履き続けた。その後何度か先輩とランチに行きついに週末インコカフェに行く約束をこぎつけた。さすがにそのころには靴下も穴が開きそうになっていて明日先輩に告白してこの靴下を捨てようと決意した。当日初めて見る至福の先輩に心打たれながら苦手なインコと触れ合えるカフェに行ったが苦手だったことを忘れるほど楽しめた。思ったよりも話が弾み先輩の家のインコも見せてもらえることになった。告白のタイミングをうかがいつつ先輩のお宅に上がらせてもらうときれいな緑色のインコの横に人が入れそうなほど大きい鳥かごが置いてあった。不思議に思ったがそれよりも先輩に告白をした。既婚者の先輩からの返事はまさかのOKで、舞い上がる俺に先輩は「ハウス」と言った。意味が分からずにいる悪い子だねと怒りながら大きな鳥かごの入り口を開け押し込んでくる。隣のインコが「逃げろ」と鳴いているように聞こえ急いで玄関へ向かった。足元に視線を移すとあの靴下に穴が開いていた。まさかとは思ったが急いで先輩の家から逃げた。

 その後がすぐに転勤が決まり先輩とは会っていない。穴の開いたあの靴下はもうどこにいったのかわからないけれど俺は鳥類恐怖症になってしまった。文句を言いに行ってやろうと思いドラァグクイーンの靴下屋をネットで調べたり実際に近くを探したが全く見つからない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?