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32歳のわたしとナルミヤ・インターナショナル

今でこそ私は欲しいものをほとんど手に入れている。
一通りのデジタルデバイス、趣味の洋服、漫画に小説、推しのBlu-ray。大人になって、自分のお金を手に入れて、自分の好みですべてを選べる悦び。
何もかも与えられるような子ども時代ではなかった私にとっては天国のような環境である。

正確に言うと与えられなかったわけではない。
欲しいものが手に入るとは限らなかった、周りとは違うものを与えられた、そしてそれは子ども時代の私に浅くはない傷を残しただけの話だ。
両親は常にできる限りの最上のものを用意してくれていた。
筆頭が学習机で、家具で有名な福岡県大川市の問屋にまで赴いて手に入れたくろがねというメーカーの机はそろそろ30年になろうというのに椅子のキャスター以外は壊れず、しかも壊れても難なく使えている。
1996~1997年当時流行っていた縦に長いタイプでもデスクトップパソコンを置ける(!)ような特徴のあるものでもないデザインのおかげもあって寝室に今も違和感なく鎮座するそれで私はこのエッセイを書いている。

洋服もそうであった。
私の記憶では服はいつの間にか「あった」。子どもにありがちなことではあるだろうが、自分で選んだ覚えはほとんどなく、また自分の意志が通ったようなこともなかった気がする。
ファミリア、エンスウィート、マックレガー、ヒロミチナカノ、イーストボーイ。デパートのものばかりではなかったが、大抵のものは母が勝手に購入してくる。非常に奥ゆかしいデザインでとにかく物が良い。イーストボーイのジャンパースカートなんかは滅多に着なかったこと、保存状態も良かったせいで先ごろ17年の時を超えて従姉の娘へと引き継がれた。

洋服に好きも嫌いもなかった。落ち着いたデザインは地味な見た目の私にもしっくりきて、周りから浮かない。着心地もよいし与える清潔感は抜群。
あの日あの時、あのブランドたちに出会うまでは私にとってこの上ない両親からの愛であった。

2001年、小学五年生になった私の世界は少しずつ変わり始めた。なんだか同じく机を並べる女の子たちの服が派手になったきたのである。
当時私は新聞係というものをやっていた。クラスのあれこれを新聞にして教室に貼り出すようなことをする係だ。
そこに私以外の人間が担当していた好きなブランドの統計を取ったコーナーがあった。子どもながらに好きなブランドなどあるのだろうかと思った覚えがある。自分が着ている服がブランドものだなんて知らなかったときの話だ。
女子の一位はエンジェルブルー。
新しいお菓子かジュースの名前かと思った。

小学生女子は何かしらの漫画雑誌を愛読していたものだと32歳の私は思っている。
基本的に緩いとは言えなかった我が家の教育方針。たまごっちもゲームボーイもプレステもなければペットの類もいない。
おもちゃを買ってもらえるのは誕生日とクリスマスのみ。これだけは当然の躾だと今では思う。
だが子どもながらになんとなく皆の輪に入れない寂しさはあった。そこを埋めてくれたのが今も刊行されている「ちゃお」。
きらきらしていて、付録も豪華。リップグロスもマニキュアも当時としては画期的な付録であったのではないだろうか。
優しく読めるものからちょっとドキドキする恋愛ものまで取りそろえられた夢の雑誌。

そんな風にちゃおを愛読していた私の心にある日衝撃が走った。
今井康絵氏による名作「シンデレラコレクション」の連載が始まったのだ!

元より私は今井康絵氏のファンであった。
幼少期にありがちなことであるが、歌手になることを夢見ていた私は彼女の「はじけてB.B」「とっても!B.B」を読んで成長していた。「天使なやつら」ではクラシックバレエの美しさに魅せられ、バレエのポジションを自己練習していた。
そんな彼女の新連載。それはまさしくすべての女の子にとってのシンデレラストーリーであった。
それ以上の漫画への言及は避けるが、主人公のニーナが変身するアイテムとなったのがいつか見た名前であるエンジェルブルーと会社を同じくするメゾピアノというブランドの洋服たち。
ナルミヤ・インターナショナル。ジュニアブランドとして当時一番有名であったのではないだろうか。

漫画で読む洋服たちはもう可愛くて、それなのにポップで素敵。
あっという間に私は射貫かれた。もっとこの洋服を見たい!その一心で私は人生初となるファッション雑誌を手にする。
現在は休刊されている「ピチレモン」である。そうしてそこでエンジェルブルーの謎も解けたのであった。

だが憧れは憧れで終わった。当時の私は笑われてしまう程度には太っていた。小学五年、六年で150センチ、54キロ前後。先述のとおり着ていたものはほとんどデパートで買われたものだったが実はこれには一つ切実な要因が含まれるようになった。
大抵の子ども服は「160cm」までだが一部のブランドには「170cm」というサイズがあったのだ。
そして服は与えられるもの。我が家では何もかも両親の趣味に合わないものは手に入らない。
だが連れられて行ったデパートの一角に鎮座していたナルミヤ・インターナショナルの洋服たちは今でも覚えている。
私の服にはない煌びやかさ。そこには夢が詰まっていた。かわいいキャラクター、鮮やかな色使い。
雑誌そのままの世界が繰り広げられていた光景は一生忘れることはないだろう。

その後私はたまたま通りかかった福岡市のファッションビルでべティーズ・ブルーというジュニアブランドの洋服を手にすることになる。
痩せていたわけでもない、可愛かったわけでもない私がべティーズ・ブルーによって平成という時代の女の子になれたのはまた別のお話だ。


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