私が福子に思うこと。

  おはこんばんにちは。
かさかさたろうです。お久しぶりでございます。
今日はのテーマはズバリ、「私が福子に思うこと」です。最近Twitterでよく「親が学会員なのに、全然うちは幸福じゃない!」みたいな言論を目にすることがありますので、私が思ってること書きたいと思います。


「親の姿を見て創価学会が嫌」という人へ

  私がこの人に書きたいと思った人が見出しの人です。
  
  福子とは創価学会の信心をしている親から入信させられた人……ニュアンスはちょっと違うかもしれませんが、大体そんな感じの人たちです。今の世間的には所謂、「宗教2世、3世」の人たちを言います。
  学会的にはね。

  しかし、私はこれは本質的では無いと思ってます。

  私が思う福子とは「入会していようが、してなかろうが、創価学会の信心をしている親の元に生まれてきた子ども」のことです。

  それは何故なのか。例えば創価学会では、片方の親が信心していて、もう片方は信心していないというケースがいっぱいあります。

  しかし、これは私の聞いたり、見たりした経験から来るものなのですが、「福子は仏縁がめちゃくちゃ強盛(ごうじょう)」なんです。
  といいますのも、おばあちゃんが信心していて、
子どもは信心しなかった(未活)だけれども、
その孫が入会したケースめちゃくちゃあるからです。

  そして、福子は根本的には信心にめちゃくちゃ素直なんです。福子が信心始めると、

        結果がめちゃくちゃすぐ出る。

  これは一世の方は感じたことがあるのでは無いでしょうか?私は一世ですが、本当に信じられないスピードで結果が出ます。

やはりこれが、過去世で法華経修行してきたということなんだなと思い、私は頑張ってます(来世に期待か?(笑))

  一方で、親が結果を出せない中、「こんな信心したって意味無いやん!」と突っぱねる福子も沢山いるのは事実です。

  私には駄々こねているようにしかみえませんが、あなたはあなたなりの理屈があるのでしょうね。

  それはそうと、じゃあ外部の人ってどうなのよ、という話をさせていただきます。

外部の人はそもそも信仰にあまり期待してない

  外部では宗教のせいでどうこうという話はあまりしません。そもそも、個人の努力で人生は何とかするものだという風潮です。まれに運が〜とかいう話は最近は多いかもしれませんが、基本的に「先天的に恵まれた人が頂点に立つ、勝利する」という風潮が日本では強い気がします。努力であまりどうにもならない世界みたいなのをただ、羨むだけみたいな気がしますね。
だから、創価学会の福子ほど、
「他所のところはこうなのに、どうしてうちはこうなんだ?」

とか思いません。


「他所は他所。うちはうち。」です。


そもそも論の話しますね。


初めから全部上手くいくのであれば、宗教なんて必要ない。


ずばりこれです。

まず第一に、「宗教があるからいがみ合う」のでは無いですよ。
人間という生物は古くから祈ってきましたが、それ以上に古くから戦争をしていました。
それは、生物としてある種当然なのです。例えば、ライオンって「プライド」というナワバリを作るんですが、そのプライドの雄が交代する時、激しい戦闘になるのは分かると思います。
  勝てば雌とナワバリは全て手に入ります。
  負けたらエサが手に入らず、ほぼ死にます(ライオンの雄はタテガミが非常に目立つので、獲物を狩るのに向いていません。遠くから獲物に見つかるためです。なので、雄ライオンは死ぬ気でプライドをとる必要があります)。

自分が得したい気持ちを「利己心」といいますが、これは生きている生物は全て持つ必要があります。利己心がない生き物はほぼ死にます(食べなきゃいていけないから)。
持ってていいものです。当たり前の心です。

  しかし、利己心だけでは人間社会は回りません。「自分だけでなく、周りのことも考えよう」。
特に高等宗教と呼ばれるものはこの「利他の心」が根本の出発点です。

要はですね、

みんな幸せならハッピー加速するくね?

これです。

  第二に、「法華経の行者であれば難を受ける」とありますが、そもそも人生というのは思いがけないことの連続です。
  私の親は2人とも国家公務員(旧・国立病院の調理師と管理栄養士)でしたし、4人兄弟いても家でかかったし、それなり私の境遇は裕福でした。
  ただ、中学生の時父親が難病になりましたし、私も大好きなバスケットボールをほぼ諦めなきゃいけない成長痛(オスグッド・シュラッター病)が両足にありましたから、しんどかったですよ。小学生の頃の私には全然思いもよらないことばかりでした。
  外部の家庭ではそんな感じですよ。
  その時の家の人の暗さは尋常じゃなかった。

  そして、「今こそ御本尊に題目をあげよう!」とはならないですから(そもそも私は折伏されるまで創価学会を知らなかった)。

  福子の人には希望がないっていうのが、実は1番不幸なんだということを知っていただきたい。

  第三に、友だちから嫌われる、嫌味を言われるということがありますが、
  そもそも、信心する前の小学生の時点でイジメにあったことがある私から言えば、「何言ってんの?」って感じです。
  世界的に見てもどこでもそうだと思いますけど、人間は異質なものを疎む傾向があります。
  小学生の頃の私は、疎まれる存在だったらしい。
  それだけの話です。でも私は悪くないと思います。周りの評価で一喜一憂するのは極めて愚かです。
  笑っているようで、笑われていることを自覚した方がいいです。


まあ何にしてもあなたは成仏します


  最後に福子の皆さんに言いたい。

  結局、最後は御本尊と師匠、御書(法華経)。

これだけなんです。最終的に頼るものは。
福子はそれを知識じゃなくて感覚で知ってるんです。だって、信仰体験見たら、どんなに反発したって最後は地区部長やってるじゃん(笑)

まあだから、とにかく言いたいのは、

親だろうが頑張ってるやつを馬鹿にすんな?
オーライ?

以上。
読んでいただいてありがとうございました。

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