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【デュエプレ妄想】「光文明にも悪魔はいる」-アガサ・エルキュール氏の言葉

以下はすべて、デュエプレ公式からのストーリーや文章に基づかない、筆者自身の妄想である。カードの物語性の解釈、一部テキストについての考察を含むが、正当性を確保するものではない。


3月12日 
アガサ・エルキュール。光文明の悪魔が一柱である。それがまもなく形になる。いや、せねばならない。
光文明のデーモン・コマンドとくればアガサ・クリスティの『白昼の悪魔』が思い浮かぶだろうか。ならば、その作中人物のエルキュール氏に主役をはってもらおうか。



わたしはそこまで考えて首を振った。まぎれもないこじつけだ。アガサ・クリスティはたしかにサスペンスの巨匠で、シャーロック・ホームズのそれに匹敵するファンがいてもおかしくない。また、「エルキュール・ポアロ氏」はアガサ・クリスティ読者としてはかなりの有名人だし、人気である。だからといってアガサ・クリスティという人物と作中人物のエルキュール氏を直接的に「白昼の悪魔」と絡めたデーモンとするのはかなり強引だ。なまじ「サスペンス」がテーマなだけに、中途半端なこじつけは許されないだろう。エルキュール氏のスタイルを体現し、アガサ・クリスティ要素も物語としてふくんでいる悪魔を産み出すなど、デザイン的に不可能だ。二番煎じというか、設定や世界観を逸脱するだろう。整合性をとるためにぐるぐると考えていると、何がしたかったのかすら曖昧になる。光デーモンを産み出すことが目的なのか? いや、最終的なゼロ化が目的であって、光デーモンはその一手段だ。美しさとかデザイン的なアプローチとかは考える必要がないはずである。しかし……。名称、あるいは種族に一貫性を持たせるのは一定程度有意義にも思えるのだ。とくに今回は、「サスペンス」による光デーモンの降臨であるから、「物語性」は重視したい。サスペンスという物語の一ジャンルをテーマに据えておいて、元のデーモン・コマンドを反転させるだけになってしまうのは単純にスマートでない。レディオ・ローゼスあたりの誹りが聞こえるようである。ひとまず、アガサ・クリスティモチーフにこだわらずに他のデーモンも考えてからとするか? 
「カンゼンクライム」。「ダイイング・メッセージ」。

完全犯罪


事件の発端

なかなかうまくいかないが、作家モチーフよりはサスペンス的用語のほうがいいらしい。名前で方向性が指定されるから、能力も産み出しやすい。「ダイイング・メッセージ」はとくに快作だ。早々に散るとしても、なにかメッセージを残しそうではないか。基本的に名前に一貫性があればよい。推理小説、あるいはサスペンスの用語で固めておき、より上位の悪魔にそれを起こさせるという構造にするというのはどうだろうか?
たとえば先ほどのアガサ・クリスティモチーフの悪魔が、「カンゼンクライム」や「ダイイング・メッセージ」を発生させる。すなわち、事件を起こすわけだ。まさしくサスペンスではないだろうか。

3月13日
門を開けてみた。アガサ・クリスティの小説、作中人物のエルキュール氏はいわば被造物であるから、光文明デーモン・コマンドにおいてもこのあたりの構図をいじれそうだと感じたからだ。サスペンスが、アガサ・クリスティを内包し、さらに作中人物のエルキュール氏をも産み出す。これはよいアイデアだから、「アガサ・クリスティ」を首領とする案は続行とし、「門」をその依り代としよう。一度、アイデアを整理するとよいかもしれない。アガサ・クリスティが開くフィクションの扉、エルキュール・ポアロを産み出すための地平をこの門にも適用し、「クリスティ・ゲート」と名付ける。

開かれた。


今後は以下のような対応関係をもとに光文明デーモンを考えてみることにする。

光デーモンの支配構造
サスペンス→クリスティ・ゲート→アガサ・クリスティの上位悪魔、あるいはエルキュール・ポアロ→カンゼンクライム、ダイイングメッセージなど

アガサ・クリスティの生むフィクション
アガサ・クリスティ→『白昼の悪魔』→エルキュール・ポアロ→事件解決

であればまさに、クリスティ・ゲートはフィクションへの扉、異界への扉である。ここから、アガサ・クリスティ率いる光デーモンの物語がはじまり、事件が巻き起こされる。なかなか緻密な対応構造、デザインではないだろうか。では、本格的にアガサ・クリスティモチーフの悪魔を考えよう。
まず、アガサ・クリスティとその作中人物、エルキュール・ポアロを分離するか否かを決める必要がある。作家、アガサ・クリスティから小説の主役エルキュール・ポアロが産み出されているから当然優劣をつけて分離せねばならないのだろうが、それだと光デーモン全体の体制が整うまでが煩雑になるという欠点がある。アガサ・クリスティを降臨させてからさらにエルキュール・ポアロが降臨、そこから光デーモンが多数登場ではさすがに後手に回りすぎている。そもそも先ほどの対応構造からいってもわたしが造物主、アガサ・クリスティの位置にいるのだから、「クリスティ・ゲート」で呼び出すはやはり作中人物としてのエルキュール、そしてアガサ・クリスティ双方であろう。したがって光デーモンの上位の悪魔は、「アガサ・エルキュール」とでもしようか。「クリスティ・ゲートから、アガサ・エルキュールが降臨する。」とすれば、アガサ・クリスティを強く意識させながらエルキュール氏との同一化が違和感のないものとして達成可能であろう。

3月14日
残る課題は、アガサ・エルキュールの起こす事件は、どこを起点にするかということだ。サスペンス小説ではやはり、読者から観測できないことが起きていて、それを解き明かすこと、あるいはその過程がある種カタルシスを生み出すものだ。それを巧妙に「アガサ・エルキュール」に落とし込みたい。アガサ・クリスティは描写をもってその観測不可能な密室性を非常に高めている。アガサ・クリスティをモチーフとするなら、その緻密さは外せまい。読者すらも蚊帳の外とする『アクロイド殺し』などはとてもよく練られている。思い返すうち、また一つ悪魔を思いついた。「アリバイ・トリック」。

その時間、私は「寝ていた」

サスペンスらしさ、すなわち密室性を再現しながら物語を開始するには、わたし含めてだれからも除けない非公開な領域にて事件が発生する必要がある。かつ、アガサ・クリスティの描くエルキュール氏は事件を解決するという性質上、受け身であることが否めない。事件が起こらなければ彼はそもそも描かれることはない。これらを加味すれば、アガサ・エルキュールの起こす事件の出口は決まったようなものだ。盾だ。そびえ立つ盾は、割られなければ開かれず、擬似的な密室なのだから。アガサ・エルキュールはその密室を自分だけ知ることができる。そこから事件を起こすのだ。よいまとまり方だ。サスペンスにおける完全犯罪、アリバイトリックの考案者は、作中の犯人であるが、究極的にはその作者である。その点、「アガサ」は作者でありながら、密室を利用して事件を起こす犯人である点が整合する。メタフィクション的だが、これはよい。

アガサ・エルキュールの能力については、事件を起こすことはリスクがともない、すなわち身を削ることである点も光文明のデーモン・コマンドの首領にふさわしいだろう。

完成

なんとか光文明に悪魔をもたらすことができた。道楽で手間をかけたが、アガサ・エルキュールにはさほど期待してはいない。希望の双子というやつは、いかにも主人公然としている。ああいうやつらは往々にして、緻密に練られたトリックを強引に突破してくるものだ。


……ところで先日からウェディングは何を造っているのだ?

(サスペンスの日記より一部抜粋)




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