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NYCにLet's Go!!(3日目:2月2日)

2月2日の旅のスケジュール
①パン屋さんで朝食
②自由の女神
③昼食(オキュラス)
④ワールドトレードセンター
⑤グラウンドゼロ
⑥ハーゲンダッツを食べる(味見の時点でアメリカンスタイル( *´艸`))
⑦ブルックリンブリッジ
⑧マンハッタンブリッジの前で写真を撮る
⑨夜ご飯を買いにスーパーへ


 昨日から決めていたパン屋さんへ朝食を食べに。ビーンズスープがとても美味しかった~。大きなクロワッサンやキラキラ光るフルーツサンド。どれも美味しそうでどれにしようか迷う…。自由に取るお惣菜よりもお手頃な価格だったのでありがたかった。朝からコーヒーとサンドイッチを片手に本を読んだり、オンライン電話をしたりと、朝活をしている人が多いなと思ったけれど、NYでは当たり前の習慣で、わざわざ「朝活」とか言わないのかも…と思った。改めて、小麦商品の多さに驚く。小麦文化のアメリカでグルテンフリーを実践するのは難しい。小麦アレルギーの方にもう少しやさしい社会であってほしいとも思った。

 「店内で食べるのか、持ち帰るのか」と英語verで尋ねられた。教科書で習って、繰り返し覚えた英文が日常生活の中で登場するたびに、「おお~」と興奮する。通じること、分かることって最高! 勉強したことが活きたという感覚がたまらなく楽しい。覚えた英文を目的を持って使うことを繰り返して、使えるようになっていく。本来は日本語も同じである。知らない表現を学んで、使ってみる経験を通じて使えるようになっていく。しかし、現代では、不適切な日本語や流行語、簡略的な言葉であっても通じる会話ばかりな気がする。さらっと流れる会話の方が楽だからだろうか。もっと、国語の授業で習った表現が実生活の中で活きたということを実感できれば、もっと国語の授業が楽しくなるのではないかなと思った。

 朝ご飯の後は、自由の女神”The Statue of Liberty”へ。自由の女神との初対面。想像していたよりも小さかった。最高の青空で、私の訪れを待ってくれていたように美しい景色だった。黙ってそこに立っている姿は、私に様々な想像を搔き立てる。彼女は今までどんな景色を見てきたんだろうか。どんなアメリカの変遷を見届け続けてきたのだろうか。自由であるとはどういうことか、誰のための自由なのか、と自由のあり方について、NYのあちこちで見た路上生活者の方々を頭に浮かべながら考える。考えていると、女神像は悲しげな表情を浮かべているように見えてくる。

 そのあとは、ワン・ワールド・トレード・センターのオキュラスに行った。白い羽の翼のような形をしていて、美しい建造物だった。そこでチキンオーバーザライスを食べた。とってもお腹が空いていたのもあるけど、めっちゃ美味しかった!!店員さんが日本に行ったことがあるインドの方で優しく話しかけてくれた。京都を知っているらしい。岡山は知らなかった。岡山という土地の存在や魅力を多くの人に知ってほしいと思った。

 一方で、近くにある崩壊した世界貿易センター(World Trade Center)跡地の「グラウンド・ゼロ」には暗い空気感が漂っていた。先ほどの白とは真逆の黒のイメージ。あえてかな…。そこには、亡くなった方の名前とあちらこちらに黄色の花、そして、中央の穴に向かって水が流れていた。静かな場所だった。霊感があるわけではないけど、ぞわっとする何かを感じて胸が苦しくなった。多くの方が亡くなったという事実。今まで、ドラマや映画で見たことがある、ビルが煙をあげて倒れるシーン。でも、ホンモノを目の前にすると、映像からは分からない受け止めなければならない事実が存在することを実感する。おそらく、亡くなった方のご親族や友人の方々は簡単に受け止め切れない事実とともに生きていく。その方々と同じようには難しいかもしれないけど、二度と同じことを繰り返さないという意思を持って日々を一生懸命生きることが、彼らと亡くなった方々と「ともに生きる」ということに少しでも近づいていくのではないかと思った。


 移動したあと、ブルックリンブリッジを渡った。すごい風で飛ばされそうになりながら前に進む。ついスキップをしたくなる。橋を渡ると、DUMBOというショッピングモールがあって、マンハッタンブリッジをバックに写真を撮った。ブルックリンブリッジは昼と夜の二度楽しめるスポットと教えてもらったので、夜景の時間に合わせて待った。その待っている間に、ドイツから一人旅をしていた女の子と友達になった。話しかけると、快く受け入れてくれた。
 一人旅は自分と向きあう時間であると思う。誰と合わせようとしなくてもいい自分だけの時間と空間。そこで自分が何を見て、どのように感じるのかに心を向ける営みで旅が進んでいく。でも、不意に感情の動きを誰かに話したくなるときがある。そんな外への気持ちと少しの勇気をきっかけに芽生えた新しい出会い。夕焼けの瞬間をともに見れたこと、そこでの感情を分かち合えたことが最高に嬉しかった。なんと同い年。仕事が大変だと言っていた。彼女とは写真を撮って別れたのだが、数日後にもう一度会うことになる。(笑)

 

そして、強風の中、あまりの寒さであたたかいスープを求めスーパーに。その日の歩数は23218歩!!知らないうちに歩いていたというのが心地いい。歩いているだけで、色んな刺激が入ってくる。その刺激から色んなことを考えるのがたまらなく楽しい。

 今日は、「素直である」ことについて気づかされたことがあった。私は、感情の起伏が激しい。そして、その感情の上がり下がりを隠すことも下手で、周囲に不必要な気の遣わせ方をさせてしまうこともある。その度に、ごめん💦と後悔して自分で自分が嫌になることが多い。でも、そんな私を「感性が豊かで、自分の感情に素直でいいね」と言ってくれた人と出会った。確かに、そういう見方もできる。でも、私は、素直さの裏には、知らず知らずのうちに誰かを傷つけているかもしれないことを知っている必要があると思う。素直であれるということは、その素直さを受けとめてくれる誰かがいるのだ。受け止めて下さる方への思いやりを忘れず、どんな言葉でその素直な感情や考えを語るのかが大事であると気付いた。素直であることは誰かを傷つける可能性を秘めている。素直であることは、自分にとっては気持ちを吐き出せるいい一面があったり、聴き手にとっては話し手の気持ちを知ることになったりするが、ときにその言葉が相手を傷つける刃物になり得るということだ。だからこそ、素直な気持ちをどのような言葉で伝えるのか、そこに私の人間性が問われているのではないかと思う。


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