DREAMのセミファイナルを終えて
先日、2月23日。株式会社TABBIPO様が主催するDREAMセミファイナル大阪会場でのプレゼン発表が終わりました。比較と競争の中での審査の結果、セミファイナルでの敗退でした。ファイナルには進めませんでした。
こんなとき、やり切ったので何の後悔もありませんとか、最高の経験をさせてもらいましたとか、胸を張って笑顔で言えたらかっこいいのかもしれないけれど、私はできなかった。ただただ悔しかった。涙が溢れてきた。
あのときに、セリフが飛ばなければ…とか、飛んでも柔軟に対応していれば…とか、もっと早く話せば制限時間以内に収めれたのに…とか、もっと練習していたら緊張せずに、セリフも完璧に言えたのに…とか今となっては言い訳になってしまうことを考えだしたら、悔しくて涙が溢れて止まらない。もう一度、あの舞台に、あの瞬間に戻りたい。そして、次のファイナルの舞台で自分の言葉を別の誰かに届けたい。悔しくて悔しくて自分で自分が嫌になる。岡山からわざわざ新幹線で駆けつけてくれた家族、応援しているよとわざわざメッセージをくれた友達、そして、三次審査でのWeb投票で毎日投票してくれたり、当日の会場で投票してくれたりした顔も名前も知らないけれど、エネルギーとやさしさ、あたたかさをくれた大切な方々。その方々の存在やかけてくれた言葉を思い出すたび、何であのとき…と、どうしようもないけれど、どこにやったらいいのか分からない、苦しい感情で胸がいっぱいになる。
正直、ここまでの悔しさを感じるのは久しぶり。振り返ると、高校受験のとき以来かもしれない。この共通点は何だろうと思うと、「自分の意志で決めた」ということだったのではないかと思う。DREAM出場も自分で決めた。自分のありのままの言葉で志望理由書を書き、どの審査で問われるプレゼンも動画も自分の思いに素直になってつくった。動画作成もプレゼン作成も苦手な私にとってはどの段階の審査もハードルの高いものだった。
セミファイナルまでの一か月間、頭の中は常にプレゼンのことだった。私は何が言いたいんだろう?どうしたらもっと伝わりやすいものになるんだろう?と自分と対話を重ねつつ、周囲のアドバイスをいただきながら、日々少しずつ進んできた。評価・承認されたい自分がまだ自分の中に存在する私は、誰かに聞いてもらうたび、アドバイスをもらうたび、自分の言葉が分からなくなって、誰かに評価・承認されうるものをつくろうとしてしまう。その度に、自分の心に問いかける。「あなたは何が言いたいの?何を大事にしたいの?」と。その問いは、私自身と向きあわざるを得ない状況をつくり出す。
PowerPointを何度も作成し直し、原稿もそれに合わせて何度も変えた。発表前日まで言葉一つひとつにこだわった。投票前のプレゼンで大事なことは、「誰かの心を動かすことだけではなく、投票という行動を起こさせなければならない」と学んだ。また、伝えるということは伝え方以上に伝える内容が大事だということも学んだ。だからこそ、伝える内容にとことんこだわった。納得いくまで、言葉がすとんと落ちてくるまでこだわった。
そのこだわった思いを納得した形で届けるには7分間では足りなかったらしい。そもそも7分で語ることはあきらめていたのかもしれない。当日は、どんなに時間が迫っていても、一つひとつの言葉を噛みしめて語った。思いを込めた。自分の言葉だったと振り返る。どこかの誰かに伝わったらいいな…と思いながら。本当にこだわったからこそファイナルの舞台に進みたかった。
セミファイナルが終わって悔しい思いに浸りきっていた私に、母がこんな言葉をくれた。「悔しい思いばかりで見えていないものがあるよ。他にもこの経験を通してたくさん学んだことがあるはず」と。確かにそうだと思った。私は悔しいという感情しか見えていなかった。もう過ぎてしまった、終わってしまったことを悔いることばかりをしていた。素直になると、そうやって悔いることで、きっと「頑張ったよ」とか「めっちゃよかったよ」とか言ってほしいと思う自分もいたのかもしれない。また、評価・承認されなかった自分であることを自分自身が認めたくなかったのかもしれないと思う。でも、やっぱり相当悔しかったのだろう。なぜなら、頑張ったから。本気だったから。そして、何よりも、プレゼンの内容そのものが私の物語だったから。私のストーリーだったから。そう、おそらく、私の物語だったからこそ、それを聴衆から評価・承認されなかったこと、制限時間によってそれを阻まれたことが一番悔しかった理由なのかもしれない。
そして、ある人も教えてくれた。「その後悔を思いっきり味わったらいい。噛みしめたらいい。もう次のステージへのスタートが始まっている」と。アドラーも教えてくれた。「過去の価値は未来が決める」と。この二つの教えから、「悔しい」という感情は決して悪いものではないんだと思う。そして、きっとこの悔しさにこだわらなくるときが来る。そのときこそ、この悔しさがそのときの自分を支えてくれるものになるときなんだと思う。
悔しいという感情に浸ってばかりだと見えなくなるものがある。そして、見えなくなっているものこそ案外大事なものだったりする。その見方次第で変わることはたくさんある。きっと、どの方向からの見方をしても、今や未来の自分のあり方に影響を及ぼすんだろうけれど、どうせなら、ポジティブで明るい影響を与えてくれる見方を大事にしたいなと私は思う。
私は今まで、聴衆の前で自分の思いを語るという経験をしたことなどなかった。その経験を経て、「その瞬間に立ち会う」ことがどれだけ貴重で、その瞬間だからこそ伝わる何かがあるのかもしれないと思った。多くの人が情報を得る媒体として、テレビ、動画、Youtubeなどがあるが、これらは修正・加工されているものが多い。でも、目の前で行われている瞬間に立ち会う、言わば、その空間やそこにある音、発表者の表情や声色の些細な変化、目線、息づかい、立ち振る舞い、言葉のつむぎ方、熱量など本物を目の前にして、自分の五感で様々なものをその瞬間に感じる経験はそれだけで価値があると気付いた。
また、自分の言葉で語る姿を見せる、そのこと自体も誰かに大きな勇気と感動を与える可能性を秘めている。一発勝負なので、間違えることもあるし、上手く言えないこともある。でも、だからこそ伝わる熱さや感動、そこから生まれる発表者を応援したくなる気持ちもあるのではないかと思った。リアルタイムだからこそ、その空間をともに作りあげているという雰囲気を生むのではないかと新しい気付きをいただいた。
私はこのセミファイナルを終えて、自分の思いを言葉にすることの大切さを実感した。言葉にしてみて初めて伝わるものになる。思いを抱いているだけでは、忘れてしまうし、形に残らない。言葉という形にすることで記録として残るし、誰かに知らず知らずのうちに影響を与えているのである。
また、自分の感情に素直になった言葉で語ることが「自分の言葉で語る」ことなのではないかと思った。自分の言葉で何かが変えられる。自分には何かを変える力がある。少しでもそう思わせてくれたこの経験に感謝したい。だからこそ、自分のことや自分の言葉をもう少し信じてみようと思った。自分の分かりにくい表現や自分のことを少しだけ好きになった気がした。だって、こんなにも応援してくれる、私のことを支えてくれる人たちに囲まれた私なんだと思えたから。
今まで、応援して支えて下さった皆様、本当にありがとうございました。私にはこんなにも私を気にかけ、支え、応援してくれる方々が周りにいるんだと思ったら、本当に幸せ者だと思いましたし、そんな私自身であることを誇りに思いました。
そして、このDREAMで芽生えた出会い。人が人をつなげる。人のあたたかさとやさしさが人をつなぐ。そのあたたかさとやさしさは人からしか感じられないと思いました。
私の周りにいるすべての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。これからも皆様とのつながりを大事にしながら歩んでいきます。
本当にありがとうございました。
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