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NYCにLet's Go!!(1月31日~2月9日)

1月31日(火)のスケジュール


①5時26分 二条駅発の伊丹空港へのバスに乗り込む
②7時半出発 伊丹空港→羽田空港
③10時35分発 羽田空港→14時間フライト→JFK空港(1月30日の10時半頃)
→セントジェームズホテルへ移動(バスと地下鉄)
④タイムズスクエア周辺の散策
⑤ディズニーストアで買い物
⑥大きなスーパーで夕ご飯調達(私たちは天満屋・高島屋と呼んでいた笑)
⑦ブロードウェイでアラジンのミュージカル

15時間のフライトでの話

 15時間の飛行機の旅は初めてで、最初はすごく不安だったけど、本を読んだり、映画を見たり、お菓子を食べたりして過ごした。映画は、ミュージカルの予習でファントムと大好きな7人の秘書の最新作を見た。機内食に選んだ鶏のおこわ。お米を食べられなくなると思っているからこそ、お米が最高に美味しく感じる。
 機内で働くスタッフの方々が美しくて、英語も堪能で、心底かっこいいと感じた。働く先輩方が「どんなキャリアを描いてこの仕事を選んだのか」についての話を聴いてみたいと思ったのは、森岡 毅さんが書いた、著書「苦しかったときの話をしようかービジネスマンの父が我が子のために書きためた『働くことの本質』」を機内で読んだからだろう。先輩方は自分の「好き」や「やりたいこと」を仕事に選んでいるのだろうか。「強み」や「得意」を活かして生き生きと働いているのだろうか。そんな思いを抱きながら先輩方を見つめた。その目線の先にはあたたかいまなざしと笑顔で飲み物を提供する姿があった。このまなざしと笑顔がお客様の安心感につながっていると考えると、教師の卵としても人としても学ばせていただくことはたくさんあると思う。
 JALの社長が雑誌に「好き」だからこそ届けられる「夢」があると記事に書いていた。確かに、機内でのサービスは私たちに快適な旅=ひとときの夢の空間をつくっていると思う。様々な理由で航空機を利用するお客様がいるが、機内では心を許して一息つけるようにとの思いがサービスやスタッフの方々から感じられる。
 「好き」だからこそという言葉に、改めて、ディズニーワールドで働く夢が頭をよぎる。「自分は何がしたいのか」、「どう生きたいのか」という問いが頭をグルグル。この答えに近付く旅になるような気がしてならない。
 食べ物や飲み物を運んでもらえる。好きなものを選んで食べられる。どんなときも笑顔で対応してくれる。飛行機が無事に離陸する。たくさんのあたりまえだとされていることがある。でも、それはきっとあたりまえではなく、すごく幸せなことなんだ。そのあたりまえを守る人がいるんだ。あたりまえではない幸せをつくることは簡単ではない上に、そのための苦労や努力は気付かれにくく報われにくい。でも、「好き」という感情はその苦労や努力を夢中でやってのけてしまうエネルギーを持っている。
 日付変更線が変わる外の光景はオレンジ色と白色、紫色の三色が層になっていて、何とも言えない美しさだった。理科や社会で緯度と経度、日付変更線、時差とか色々勉強したけど、ここで初めてその言葉の意味と現象が少しだけ一致した。本物を見ることは実感と経験を伴って学習するということだとも思う。星もきれいだった。電球が少ないとこんなにきれいな星が見えるのだと驚いた。前澤友作さんの「地球を大事にしようと思った」という言葉を思い出す。私もこの美しさを守りたいと思った。

NYCに到着!! 

 JFK空港に到着したのは30日の昼の10時半頃。睡魔に襲われていたが、日本語がほとんど聞こえない状況に興奮した。何か分からないけど心がドキドキ、ワクワク。自分の英語がどこまで通用するのかと不安になるけど、話してみたくなる。カナダ留学を断念してから2年半、DMM英会話で培った「できないことを認める勇気」は話しかけることに迷う私の背中を押した。上手く話せなくてもいい。話しかけることで何かが始まる。その一歩の勇気を多くの場面で奮い立たせていこうと強く思っている。
 セントジェームズホテルでは愉快な支配人が待ってくれていた。京都を知っていると言う。すごいスピードで話しかけてくれるので、分かったように振る舞いたくなるが、そんな適当なことはしたくない。何度も聴き返す。それでも彼は優しく話しかけてくれた。

光と音と煙に囲まれたタイムズスクエア

 NYCで最初に訪れたのは、『タイムズスクエア』。明るい、臭い、汚い、狭い、うるさい、クラクションとサイレンの音が耳に響く…。ガヤガヤ、わちゃわちゃしている。「何じゃこの町は…」と言葉を失う。気持ちがそわそわして、ここに来たことを既に後悔した。ブランドの店が軒並みに集まって、大きな買い物袋を持った方々が前を横切る。その傍に扉を開けてくれる明らかに身なりの乱れた男性。片手には空き缶。頭を下げている。チップを求めてることを悟った。他にも、ミッキーやミニーの着ぐるみを着て、写真を撮ろうと近寄ってくる方々がいる。その方々は写真を撮るとお金を要求しているようで、観光客と口論していた。異様な光景に心がざわざわする。目を背けたくなる現実。
 ディズニーストアにはテンションが上がったが、私に買える値段のものなどなかった。有名な高級ブランド店ばかりで、学生の私ではウィンドウショッピングもしがたい状況。
 騒々しさやが無駄な明るさは隠したい何かを見えなくしている気がしてならない。いや、わざと見せないようにしているのか。

NYCでの初めての買い物🍎

 大きなスーパーマーケットに行った。目の前には1週間毎日通っても全部食べきれないであろうお惣菜の数々。量り売りのようだ。残ったらどうなるのか、コロナ禍での衛生管理はきちんとされているのかとついつい考えてしまう。会計を済ませてないのに既にお菓子の蓋を開けて食べる女性。結果的にお金を払うので、いいという暗黙知らしい。これが文化の違いであるからと納得してもいいのだろうかとモヤっとした思いを抱く。(この気持ちは帰国後も抱えたままである) 
 私にとっては高すぎて手が出にくい商品でも、次々に買い物かごに入れる方々。口が開いてふさがらない。夕ご飯も少ししか食べてないのに、あっという間に考えられない金額に。物価の影響だけでは説明できない。そもそも賃金が日本と比べて圧倒的に高い。一蘭でのアルバイトが時給21$(約2760円)。なるほどと思う。
 アメリカは食材の価格が高騰した影響を、量を増やして価格を上げるという方法で対処したと考えた。それだからか、飲みさしのドリンクが路上に並べられている。量が多すぎて残すことは本人の自由だからそれでいいとしているのだろうか。もったいない精神を大事にしている私にとっては見て見ぬふりをしたくなる光景だった。
 ゴミ箱がそこら中に置いてあるのに、ゴミ箱の中に捨てられていないゴミがある。これを片付ける人がいる。それで仕事が得られる人がいる。
 プラスチックのカトラリーや紙の量り売りの入れ物、無駄に街を明るくさせているディスプレイや電球、たばこや地下鉄、車の排気ガス…地球温暖化を加速させるとされている要因が多すぎると感じた。便利や幸福感を満たすにはここまでしないといけないのかと苦しくなった。

初めてのミュージカルをブロードウェイで

 夕ご飯の後は、アラジンのミュージカルを見た。そもそも日本での劇団四季によるミュージカルも見たことがなかったので、驚きと感動で心が忙しかった。とにかく、一人ひとりが一生懸命演じているからこその美しさやかっこよさ、魅力がある。何よりも歌唱力が素晴らしかった。生の声と演奏であったのが驚きだった。自分も踊りたい!って気持ちになった。
 ジーニー役の方の動きをみんなが応援しているように感じた。息が上がっているのを隠すような全力の笑顔と歌声。この舞台で演じるまでにどれほどの努力があるのだろうと想像すると盛り上げずにはいられない。
 歌い終わるたびに歓声が巻き起こる。最後はスタンディングオベーション。本物だぁ~。慌てて立ち上がった。
 老若男女問わずお客さんでいっぱい。子どもの姿も多かった。幼少期から、これほどの文化的資本に触れられる機会と余裕がここにはある。飲み物とお菓子を手にする人々。華やかなドレスを着た方々がいたので、「今日は特別な日ですか?」と尋ねてみる。「これはいつも通りのスタイルよ」と笑いながら言った。お金持ちの娯楽なのか…と思ったけど、これが”普通”のようだ。公演時間は20時から22時30分まで。明日も学校だろうに遅くまで起きてて大丈夫…と疑問に思ったが、ミュージカルが終わった後も外のタイムズスクエアは大騒ぎだった。

一日目を終えて

 あまり寝ていない上に刺激的な一日だったので、変なアドレナリンが出ている気がする。修学旅行以来の初めての海外旅行。正直、もっと調べてくればよかった。知らないままにして来るんじゃなかった。「分からない」という感情は分かりたいという感情を生むきっかけにもなる反面、無関心やどうでもいいを許容することにもなりうる危うさの両面を持ち合わせていると感じた。明日は何をしようかな…。とにかく英語が楽しい。もっと話したい。それだけは分かっている気がする。今日は無事に到着してよかった。感謝の気持ちを胸にお休みなさい☆彡

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