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植えない苗は稲穂になれない


人生初の田植えをしました。

幼稚園の敷地内に、
幼稚園とおなじほどの広さの田んぼがあり、
空の雲が映り込むくらい水が張ってあります。

基本、親も子も靴下着用なんですが、
わたしは裸足でいきました。
そんな人はわたし一人でした笑

泥々の土の触感。
張った水の6月初旬の水の冷たさ。
たにしや石や木を踏んだら痛いかも、
というドキドキを求めてー。
幼児のように童心な42歳。

世間は今みんな仕事をしている。
その時間に午前半休をとり、
土、水、風、光、どろのにおい。

デスク、会社、パソコン、スマホ。
から離れてみて気づけるのは今しかない。

そんな自然体験は、
もうこの先も一生ないだろうと想うと、
一生に一度のこの機会を逃すまい!
と。(大袈裟かもしれませんが)

苗って、こんな形をしてるんだ。
誤解を恐れずに言えば、
道端に生えていそうな雑草のような緑の葉。

根は茶色く細く、ちょっと長い。
水に浮かべれば風に吹かれて流れていって
しまいそうなその、か弱さ。

泥に奥深く、根づかせる。文字通り。
縦一列に、泥棒があとずさりするような
姿勢で植えていく。

カエルが飛ぶ。
子供達が追いかける。
大人たちは、せっかく植えた苗を心配して
悲鳴をあげる。
子供達のはしゃぎ声と混ざる。

動じない苗たち。

弥生時代から2000年と続くこの営みを、
空高く遠くから見守られているような平和。

そんなことをぼんやりと思いながら、
足の小指と薬指の間さえ、くぐりぬけていく
こんにゃくのような泥を慈しみながら、
にやけながら、楽しみました。

この苗が、稲になるとき、
子供も大人もいまより、成長している秋。

でも、
この苗を植えなかったら、ただの草。

植えない苗は稲穂になれない。

きょうは自分は、何を植えただろう?

垂れるほどのこうべで、
稲穂を拝み、お米をきょうもいただく。

だれひとつどれひとつ欠かせない、
つながって生きて、
だれかの植えた苗の上に、いきているわたし。

合掌。

今日もお読みいただきありがとうございます。

あ、写真のように写せてる、ってことは、
スマホは片手にしてました。。
苗を撮るって難しい!

カメラは、撮っているひとを映してるんだ。

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