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会って話したい。書いて交わしたい。


世界が平穏な日常を取り戻すことを願うが、そんな世界で、「人が人と会うこと」は困難になり、顔を突き合わせて話す機会は激減した。
しかしわたしたちは、人と会えない現実を嘆く。人と話せない毎日を悲しむ。なぜだろう。そこで、あらためて会話することの意義と、臨み方、考え方を問い直す本をつくりたいと思ったのだ。

「会って、話すこと。 自分のことはしゃべらない。
相手のことも聞き出さない。
人生が変わるシンプルな会話術」田中泰延さん


コロナ禍に書かれた著書。

「会えない時間が愛を育てる」ことを
全人類が体感したあの頃から1年すこし経ち、

「会える」ことは再び日常となった。

「会って話すこと」の意義は変わったのか?

「会って話す」頻度や、密度は、
コロナ前に「戻った」くらいか。

ただ、少なくとも私の中では
「会って話す」という自然な行為が
不自然になったことで、
「会って話すということを考える」ように
なった。
当たり前すぎて、考えることもなかったんだ。
っていう。

「会って話す」という発明。

そして、

「会いたい」という感情の再発見。

満員電車に揺られて30分、
通勤してまで会わなくてもオンラインで
「済ます」
んではなく、

「会って話したい」と、

伝えることに意味が生まれた。

「会いたい」と思う、思い方が変わった。
伝え方も、受け取り方も変わった。

なんだか理屈っぽくなっちゃったけど、

会って話したいなあ。という気持ちが生まれた

会話とはなにか。辞書を引くと「二人あるいは小人数で、向かいおって話しあうこと。また、その話。」(「広辞苑」第七版)、「〔日常生活において〕意志の疎通を図ったり用を足したりするための話のやりとり。」(「新明解国語辞典』第八版)などと定義が書いてある。
要は、生活の中でだれでもやっていることが会話なのだが、その会話をどのように進めればいいのか、話し方をどうすればよいのか、悩んでいる人が多い。

同上

で、いざ、会って、どう話すか?


もまた変わった。

会って話すことが再定義され、
お互いに、意味を持たせることが
求められる。

これでもう、会うのはまた何年後か。
肩に力がはいる。

なんてことは、考えずに、
普通の話をしたらいい。

聞きたいことを話せばいい。

そこで、結局『読みたいことを、書けばいい。」で伝えたかった、文章を書く時の最初にして最後の心構え「正直であること」が、会話においても同じように重要ではないかという考えに至った。
辞書にあるように、会話が「向かい合って話し合うこと」であるならば、向かい合った相手に対して、正直でいたほうがいい。それは誠実に接するということだ。

同上

コロナ前と後で、
違うことがあるとしたら、
より「正直」でいたい。

はぐらかさず、
遠回りせず、
かしこまらずに、
猫被らずに、
言葉を交わせばいい。

興味もないのに相手の話を聞くふりをしたり、聞いてもいないのに相槌を打ったり、理解してもいないのに相手の言葉を反復したり、そんな会話術が人間同士が正直に向かい合う態度といえるだろうか。

同上


あ、そうだったと、
言ってもらえて楽になりました。

こんなふうにしてたな、じぶん。

そして、コロナが明けて始めたnoteは
文章で、会ったことのない人とも言葉を交わす

コロナ前は、かぶってた鎧も、
脱いで、言葉でさえも、文章でさえも、
正直に書ける。交わせるようになった。

後世への最大遺物。

大袈裟かもしれないけど、
それくらい、みんな辛かった分、
それくらい、会って話すことも、
書いて交わすことも、大切にしたい。

生きたい。


きょうもお読みいただきありがとうございます

写真のアラジン雲、ふたたび。
願い事は、ただひとつ。

「会って話してたい」

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