会って話したい。書いて交わしたい。
コロナ禍に書かれた著書。
「会えない時間が愛を育てる」ことを
全人類が体感したあの頃から1年すこし経ち、
「会える」ことは再び日常となった。
「会って話すこと」の意義は変わったのか?
「会って話す」頻度や、密度は、
コロナ前に「戻った」くらいか。
ただ、少なくとも私の中では
「会って話す」という自然な行為が
不自然になったことで、
「会って話すということを考える」ように
なった。
当たり前すぎて、考えることもなかったんだ。
っていう。
「会って話す」という発明。
そして、
「会いたい」という感情の再発見。
満員電車に揺られて30分、
通勤してまで会わなくてもオンラインで
「済ます」
んではなく、
「会って話したい」と、
伝えることに意味が生まれた。
「会いたい」と思う、思い方が変わった。
伝え方も、受け取り方も変わった。
なんだか理屈っぽくなっちゃったけど、
会って話したいなあ。という気持ちが生まれた
で、いざ、会って、どう話すか?
もまた変わった。
会って話すことが再定義され、
お互いに、意味を持たせることが
求められる。
これでもう、会うのはまた何年後か。
肩に力がはいる。
なんてことは、考えずに、
普通の話をしたらいい。
聞きたいことを話せばいい。
コロナ前と後で、
違うことがあるとしたら、
より「正直」でいたい。
はぐらかさず、
遠回りせず、
かしこまらずに、
猫被らずに、
言葉を交わせばいい。
あ、そうだったと、
言ってもらえて楽になりました。
こんなふうにしてたな、じぶん。
そして、コロナが明けて始めたnoteは
文章で、会ったことのない人とも言葉を交わす
コロナ前は、かぶってた鎧も、
脱いで、言葉でさえも、文章でさえも、
正直に書ける。交わせるようになった。
後世への最大遺物。
大袈裟かもしれないけど、
それくらい、みんな辛かった分、
それくらい、会って話すことも、
書いて交わすことも、大切にしたい。
生きたい。
きょうもお読みいただきありがとうございます
写真のアラジン雲、ふたたび。
願い事は、ただひとつ。
「会って話してたい」
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