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どしゃぶり 


「線状降水帯」の5/27。
一昔前はきかなかった、この帯に、
怯え、昨夜は眠れなかった。

大阪→東京出張へ、
東海道新幹線は「60mm/h」を超えると
止まる
とのことで、早く起きて早く行かないとと
7時前の新幹線にのりことなきを得た。

「台風がくる」と言われると
備えるし、その規模感や荒れる具合は、
子供の頃から体感しているので、
想像がつく。

ある人が、「名前変えたらいいのに」と、
「線状降水帯」を指して言っていて、
ああ、たしかに想像を働かしても頭に
浮かんでこないから、
「過度の不安」と「見えない恐怖」
はたまた、
「なんてことない」矮小化してしまうことも。

そういえば、

「五月雨」

は、
「さみだれしきにすみません」などと、
めっきり仕事でしか使わなくなったけれど。

「降り続く雨」
「つゆ」
なんですね。

つゆは、鬱陶しい。
とか言われがちだし、
「五月雨」は、仕事ではあまり喜ばれずに
謝りの言葉とセットだから、
なんだか可哀想。

ふと、新幹線の窓の外を覗けば、
田植えの季節。

この時期の、「新幹線の世界の車窓」は
結構好きだ。

JAPANを感じずにいられない田風景に、
「ビジーネス」な荒れた心も洗われるよう。

川でも海でも池にもない、その田の
水面は、短髪の小学生のように初々しく、
どこか
遠慮がちに伸びた稲の子たちで溢れてる。

ところで、

「どしゃぶりの雨」は、

「土砂ぶり」って書くから、
てっきり
「どしゃが降るように、大小入り乱れた
 激しさ」
を指すのかと思ったら、

「どしゃどしゃ」

という擬音の当て字だそうな。


表現の世界は自由だ。

自由だから表現できる世界。

でも制限があったほうが、
自由だ。自由が生まれるともいえるから
不思議だ。

魅力的な仕事場は避けるべきである。
部屋には眺めなど要らない。
そうしておけば、想像力は暗闇の中で記憶に出会うことができる。

「本を書く」アニーディラードさん

今日は七月四日で、私は広い空間も歴史的な時もすっかり忘れていた。ブラインドを瞼のようにほんのわずか開けてみた。するとすぐさますべてが私の上に炸裂しながら降り注いできた。ああ、世界。

同上

ああ、世界。

といって次のページに行くことに
想像を超えた衝撃を受けた。

「本を書く」ためのバイブルとして、
「創作講座」で勧められた。

描写がとにかく、ディテールに深く、
まるでそこにいるかのような隠喩の世界。


「雨」は、
この感じの見た目からしてもそうだし。
おと、におい、触感、あじ。

五感をかきたててくれる。

そう思うと、五月雨のつぎの
六月雨も楽しみだ。

今日もお読みいただきありがとうございます。

明日は東京は晴れみたい。
雨上がりの空はまた、面白い。

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