Apple Store vs 祇園
吉田修一さんもスマホで、LINEで、スタンプ
送るんだ。って当たり前なんだろうけれど、
「偶像」は時に、偏見を生み、
固定化してしまうからなんとももったいない。
小説家やエッセイストにある日常の感度を
しるたびに、親近感と圧倒的な敗北感が、
滲んでみえてたのしい。
いつの間にか自分のやりたいことができている
というのはスマホ操作に限らず、
車の運転、進学した学校先での生活、
海外旅行先でのシャワーの使い勝手など、
当たり前にできていることに
知らぬ間に導かれていることに、
時に怖ささえある。
その怖さは、
ありがたみを忘れること。
疑いなく信じすぎること。
「みんなもきっとそうだ」と幻想を抱くこと。
「自分だけでなく、みんなもそうだから」
というのはまるで、
赤信号 みんなで渡れば 怖くない
のような、集団心理が働く。
けど悪い気はしないので、喜んでる自分と、
冷静になると、うわっ!ってなる怖さとが
同居する不思議な気分を味わうことになる。
新品を買う時の、なんともいえない、
自分さえも新品になったような感覚は、
おとなになっても病みつきになる。
その感覚を買うために、高いお金を払ってる
ような気さえする。
その上、赤の他人が、その瞬間を
祝福しているなんて、1人ではないこの
喜びをわかちあえて、なんともまた
嬉しい気持ちになるんだろう。
客観的にみれば、怪しい光景でもあるんだけど
体験を買う、モノよりコト、なんていうけれど
さらにはトキを買うなんてことも言われるけど
本当に買っているのは、矛盾だったりもする。
オレンジ色って、矛盾を晴らしてくれる。
いや、矛盾したままでいいんだよ、と
思わせてくれるのは、夕日の大きさと儚さを
秘めた感じをくれるからかもしれない。
旅ではなく、旅情をくれるのはいつも、
人と自然。
闇があるから、灯りがある。
灯りがあるから、闇が映える。
どちらかではたぶん、期待は高まらなくて、
どちらも必要なんだと思う。
線をひかれたくないけど、
線を引くことでよいことも、あるんだなあ。
と、受け入れられる心のゆとりは、
旅情ゆえの豊かな心理状態のときと場所。
壮大だなあ。
Apple Storeと、祇園からくる
壮大さを壮大にみえる吉田修一さんが
壮大だ。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます
そして壮大なことほど、
身近ななかの小さなものにあることを
教えてくれる。
橋のうえのトリと朝焼け。