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好きとキャラ変


「理想をもっているかどうか」で、仕事の質は大きく変わる。自分の中に「理想とする文章」があるかどうかが、今後の伸び代を大きく決定づけるんや。
そして理想に近づくためには訓練あるのみ。訓練とは、言い換えれば反復練習です。
何度も繰り返し練習することで、実力が磨かれていく。

「一冊でゼロから達人になる「書く力」の教室」
直塚大成さん 田中泰延さん


「理想の先輩」とか、
「理想の上司」というのは会社員をしてて
ありますが、
「理想の文章」というものにびっくりしました

すっごい大雑把にいえば、
「文章は文章」(日本語として整っている)
と思っていた(思うまでもなく当たり前に)
のですが、
そういえば、「好きな文章、表現遣い」
ってありますね。
「文章は、その人そのものを表す」
って、ここでも何度か書いてきましたが、
その意味がさらに、リアルに感じられました。

たとえば、自転車に乗れるようになるのは、訓練の成果でしょ。乗り方を習っているときはグラグラと危うくて、「左右のバランスを取って」「右のペダルを踏み込んで」「次に左のペダルを踏み込んで」・・・・・って練習するけど、乗れるようになったら、もういちいち考えない。しばらく自転車に乗っていなくても、またがってしまえばスイスイ漕げる。


そしてそれはまた、磨かれるものでもあると。
感性やセンスみたいなものかと思ってましたが
生き方も、生まれつきのままではなく、
変わっていくように、
文章もまた変わっていけるのは、
変えようと思えば変えられるという希望。

上達するには訓練あるのみで、訓練とは理想に近づくための反復練習。となると、まず、理想を見つけなくてはいけませんね。どうやって見つければいいですか?

同上

それは素直な「好き」に従えばいいんじゃないかな。「好き」に貴賤はない。「理想」にも貴賤はない。くだけた文体が好きなら、それを理想とすればいいし、美しい日本語が綴られた文章が好きなら、それを理想とすればいい。それと、師匠みたいな人に出会うかどうかも運命みたいなものだから、鼻息荒く「師事すべき人」を探す必要もない。

同上

好きにも、理想にも貴賤はない。

そうなんですよね。
そうなんだけど、
「こういう人の文章が、良いとされる」とか
「著名な人の文章でないと」とかを
どこかで思ってしまう。

そのためには、いろんな人の本を読んで、
あ、好きだな、とかうまいこと言わはるなとか
自分もこんな文章書けるようになりたいな、と
思い描くイメージをもつことから。

文章を書くこと自体を好きになり、
さらに、こう書けたらいいなって思えたら
書く暮らしがより豊かになりそうです。

当たり前ちゃあ当たり前ですが、
どこかで、
「上手に書く」「認められる、評価される」
ことが目的になっちゃいそうだったことに
気がつかせてもらいました。

さてSTEP2の最後に、初仕事を終えた君が、「息長く活躍できるライター」になっていくために、今のうちから知っておいてほしいことを話しておこう。
プロのライターは基本的に、ひとつの媒体に所属しないフリーランスであることが多いです。すると、どこからどんな依頼が来るかわからない。

同上

そこで重要になってくるのは、書く仕事ごとに「自分的にしっくりくるキャラクター」を設定することなんです。直塚大成という人間は一人だけと、「生身の直塚大成」と「ライターの直塚大成」は別物。そして「生身の直塚大成」のキャラは変わらないけど、「ライターの直塚大成」のキャラは、そのつど変幻自在でええねん。
ある仕事では「ギャグが冴えているライター・直塚大成」として書き、またある仕事では「ふざけずに、人の心を動かすライター・直塚大成」として書く。こんな風に、書くものによってキャラを変えるというのも、ライターの仕事のうちなんや。

同上

「しっくりくるキャラクター」
は、自分の中で、好きな自分のキャラクターを
複数持ち、
お相手のニーズや状況によって変えていける、
ということでしょうか。

逆に言えば、
「好きじゃない自分、嫌いな自分を演じる」
ということなく、書けることが、
永く、自分にもお相手にもハッピー!と。

どこか、ブレない自分、変わらない自分を
保たねば!と思ったり、
相手に合わせて変え続けることで、
苦しくなる、ことがあるのですが、
そうでなくていいんだ!という安心。

「多重人格」のススメ!

書き手としてのキャラは一貫性があったほうがいいのかと思ってました。そうでないと「作家性」がブレませんか?

うーん。「作家性」って何やろうね?一貫したキャラも作家性かもしれないけど、「キャラ変できる」っていうのも、その人らしさといえるんちゃうかな。

同上

「書くものの幅が広い=引き受けられる仕事の幅が広い=より稼げる」っていう現実的な話でもあるけど、何より、いろんなキャラに変化して、いろんなものに向き合うことができるのって、めっちゃよくない?
ただしキャラは変えても、決して変えてはいけないことがあります。テーマに向き合う際の「誠実な姿勢」です。誰の目から見ても真面目に扱わなくてはいけないテーマでも、世間から「アホちゃうか」と思われそうなテーマでも、そのことについて書くことを仕事として引き受けたからには、誠実に向き合わなくちゃいけないんです。

同上


キャラ変は、
「いろんなものに向き合うため」
と思うと、しっくりきます。

相手に合わせるでもなく、
いろんな自分に自覚的になり、
さらに、「応じて変えられる自分も自然体」
なら、最強にハッピーです。

「これは自分には合わないから無理」
ではなく、
「向き合えるという誠実な姿勢」。

これはお相手に対してもだし、
なによりも自分自身に対して誠実であれる

というのが何よりすてきです。

きょうも、誠実に。
お読みいただきありがとうございます

きのうは、バックムーン、という満月が。
すべてを晒しているのも綺麗だけど、
雲から顔出しているのもまたかわいらしく
いとをかしです。
月も、キャラ変!

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