日本史004 弥生時代の日本と大陸の結びつき(史料読解)

なっしT:わたくん、前回までの内容は覚えているかい?
わた:はい。弥生文化が成立する中で貧富の差や身分の区別が出現しました。そして王とか国ができたところで終わりましたよね。あ、でも王とか国ってどうやって決まるんですか。
なっしT:王って言っても支配者というより、その地域や国の代表っていう意味がある。
わた:なるほど。っていうと、ついに他の国との関わりが…
なっしT:正解!主に中国との結びつきが起こる。
わた:その記述も副葬品から…
なっしT:それは違う!中国では文化がもう進んでいて、文字や史料がすでに残っている。今日はその史料の内容について見ていこう。

小国の分立と大陸との関係

『漢書』地理志

なっしT:まずは漢について書かれている『漢書』の中に残っている日本の記述を見ていこう。

夫れ楽浪海中に倭人有り、分れて百余国と為る。
歳時を以て来り献見すと云う。

『漢書』地理志

わた:ほほぅ…楽浪海中ってなんですか?
なっしT:楽浪ってのは楽浪郡を指すよ。「漢」が朝鮮半島に置いた入国窓口みたいなものだね。その周辺の海ってことだね。倭人はわかる?
わた:昨日教科書で見ました!日本人のことを指すんですよね。ということは、前半は

「楽浪郡の周辺の海に倭人(日本人)がいて、日本列島は100と少しの国にわかれている。」

『漢書』地理志 前半翻訳

になりますね。
なっしT:さすがだね。「歳時を以って」は「定期的に」って意味だよ。
わた:じゃあ後半は

「定期的に来て、貢物を献上していた。」

『漢書』地理志 後半翻訳

という文章ですね。
なっしT:その通り。この史料からわかることは、①日本は「倭」と言われていたこと②統一された国ではなく100余りの小国が乱立している状況だったこと③楽浪郡に定期的に貢物をもってきていたこと、と考えられる。
わた:こんな短い文でそんなにいろいろわかるんですね。

楽浪郡に貢物をもってくる使節


なっしT:じゃあ次にいくよ!

『後漢書』東夷伝

建武中元二(57)年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以てす。
安帝の永初元(107)年、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐して歴年主なし。

『後漢書』東夷伝

なっしT:『後漢書』東夷伝で代表的なのはこの部分ですね。翻訳しちゃいましょう。

「建武中元二年(57年)、倭の奴国が朝貢した。使者は自ら大夫と称した。奴国は倭国の最南端にある。光武帝は印綬を賜った。安帝永初元年(107年)、倭国王の帥升らが百六十人の捕虜を献じ、天子にお目にかかることを願い出た。桓帝と霊帝の間、倭国は大いに乱れ、互いに攻撃しあって年月をすごし、主導する者がいなかった。」

『後漢書』東夷伝 翻訳

わた:印綬…?天子…?桓帝霊帝…?
なっしT:印綬は「紐のついた印」だね。印はみなさんご存知、漢委奴国王の金印だ!
わた:福岡県の志賀島で農夫が見つけたやつですよね!
なっしT:うむ。天子ってのは皇帝を指すよ。桓帝・霊帝は後漢の皇帝のことで桓霊と霊帝の間は146年から189年のことだ。
わた:じゃあわかることは、

①57年に倭の中の奴国が中国に朝貢し、光武帝から印綬を授かったこと②107年には倭国王の帥升が奴隷160人を漢に献上し、皇帝への謁見を願い出たこと
③桓帝・霊帝の間(146年〜189年)の倭国は統一的な支配者がおらず、戦が頻発して国が乱れていたこと

『後漢書』東夷伝 要点
カエル(光武帝)が印を授ける様子

と考えられますね。
なっしT:完璧だ!最後頑張ろう!

「魏志」倭人伝(『三国志』『魏書』東夷伝 倭人の条)

なっしT:「魏志」倭人伝は有名だけど、実は『三国志』の一つである『魏書』の東夷伝倭人の条のこと。内容はかなり長いので抜粋して説明していくよ。

倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す。…倭国乱れ、相攻伐して年を歴たり。乃ち共に一女子を立てて王と為す。
名を卑弥呼と曰う。鬼道を事とし、能く衆を惑わす。
…景初二(239)年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣し郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。
…その年十二月、証書して倭の女王に報じて曰く「…今汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮授せしむ。…」と。
…卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。
…更に男王を立てしも、国中服せず、更々相誅殺し、当時千余人を殺す。
復た卑弥呼の宗女壹与の年十三なるを立てて王と為す。国中遂に定まる。

「魏志」倭人伝

なっしT:全部訳すと大変だから、要点を抑えよう。

①倭人は帯方郡の海の向こうにいたこと
②倭国が乱れていた頃、呪術を使う卑弥呼が現れたこと
③239年に卑弥呼は難升米を遣わし、魏の皇帝への朝貢を求めたこと
④その年の12月に魏の皇帝から「親魏倭王」の称号と金印を与えられたこと
⑤卑弥呼が亡くなり、男の王が立ったが、国の中で戦が起こったこと
⑥卑弥呼の娘である13歳の壹与が王となると、争いがおさまったこと

「魏志」倭人伝 要点

が大事かな。

呪術で政治を行う卑弥呼

わた:そのほかに弥生時代の日本の生活も描かれていますね。家族が皆、寝床を別にしていることに驚きました。

別々に寝る弥生人

なっしT:先生は大人・子ども全員が顔や体に刺青をしていることが想像しづらかったな。
わた:というか、そもそも邪馬台国ってどこにあったんですか?
なっしT:近畿説九州説があるけど、近年では古墳の存在から近畿説が有力になっているよ。
わた:近畿説ならヤマト王権との繋がりもありそうです!