世界史A No.10 日中戦争

導入(前時までと本時の関係性・復習)

わた:なんか急に日本になりましたね。
なっしT:実はNo.6,7の東アジアの民族運動と共通するとことが多いし、今後の太平洋戦争とかとも絡むので大事なところよ。そして日本もファシズム的な政策を行なったと言われるので、No.9とも関係しているのだ!
わた:結構大事じゃないですか!復習もします!どこすればいいですか??
なっしT:当時の中華民国と満洲ってどんなだった?あと、日本が結んだ条約で軍からの不満が溜まったものってなんだったっけか?
わた:任せてください。中華民国は蒋介石の北伐後、南京国民政府が米・英・浙江財閥に正式に認められていました。満洲は張作霖が日本に爆殺されてしまったあと、日本が利権を持つ地域と息子の張学良が支配していた地域があったと思います。軍が不満を持って離反したのはロンドン海軍軍縮条約です。陸海軍の指揮権(統帥権)を政府が破ったとして浜口雄幸内閣が統帥権干犯問題にぶち当たってましたね。
なっしT:かしこすぎじゃない????それがわかってればよし!!!!

満州事変

わた:なんか先生の洲っていう字、癖強いですね。
なっしT:実はこっちの字が正しいのよね。よく使われるのが州ていう字だからこれが主流になってるけど。大学で史学科とか考えてる人は気にした方がいいかも。
わた:わかりました。この辺は中学でやったので自分が説明しますね。
1931年、柳条湖事件から日本が満洲で軍事行動を開始します。これが満州事変ですね。柳条湖事件ってのは、関東軍(満洲の日本軍)が奉天(満洲の地域名)で南満州鉄道の線路を爆破した事件です。しかし、この事件は中国軍の行為と報告されます。関東軍は中国に濡れ衣を着せて、この“中国の行為”からの「保護」という名目で満洲を占領したのでした。

なっしT:ないす!その後、満洲国という国家(仮)が建国されるわけだけど、ここの繋がりはわかるかな?
わた:今までの勉強が役に立ちますね。背景としてあるのは「1930年統帥権干犯問題」での軍の離反や、「1929年世界恐慌」での社会不安です。これらを背景に「世界恐慌からの脱出」や「1928年北伐完成に対する自国権益の保護」を目的として行われたのが、この満州事変です。そして、この自国権益の保護の最終手段が「新国家の建国」と考えます。国家として成立させることで中国から切り離し、利益の独占を行なうことができます。
なっしT:そのため、満洲国は日本の傀儡政権と言われるわけだね。傀儡=操り人形で日本の言いなりってことね。
わた:清朝の最後の皇帝:溥儀を持ってくるあたりずるいですよね。ちゃんとして見える。

なっしT:でも、この一連の行動に国際連盟は不信感を持つ。日本はその目を満洲から離すために上海で軍事行動を起こす。
わた:中国が持っていた満洲で柳条湖事件を起こした後、中国の上海で軍事行動?目逸らせてる?
なっしT:その通りなのよ。かえって不信感は募ってしまったのがこれや。
わた:ちょっと…関東軍頼むよ…
なっしT:そうして、国連はリットン調査団を派遣し、この一連の行動に正当性ないと結論づける。
わた:こう認められないとなると、日本は国際連盟にいる必要ないですね。だから脱退ですね。
なっしT:国連の制約が無くなった日本はさらに満洲権益を保護・拡大する目的で中国北部に攻めていく。先に言っちゃうけど、当時、蒋介石は日本との戦いより、共産党との戦いを優先していたために日本には譲歩する政策をとる。「ごめんけど、万里の長城までならあげるわ、これ以上こないでや」って感じね。

長城線(マクロ)
長城線(ミクロ)

国共内戦

わた:それが「安内攘外」策ですね。「内を安めて、外を攘う」
先に国を安定させて、その後外国の侵略に対応するってことですな。じゃあ国内の敵は共産党…?
なっしT:そうだね。上海クーデタ以降も田舎で勢力を拡大している共産党を追っかけ回した。逃げて共産党が都を移したことを長征っていうよ。都は瑞金から延安に移された。
わた:共産党はやられっぱなしですね。

なっしT:いや、ここからが本領発揮だ。長征途中の遵義(ジュンギ)で会議を開催し、コミンテルンからの独立、毛沢東の指導権の確立が行われる。
わた:コミンテルンって?
なっしT:ソ連主導の各国の共産主義者の集いのことだよ。東南アジアでも共産党って出てきたと思うけどそれらは全て、コミンテルンの中の組織なんだ。だから指導権はソ連にあるわけ。
わた:そこから独立だから指導権が中国共産党の指導者:毛沢東に渡ったってことか。
なっしT:そそ。そして毛沢東は八・一宣言を出す。「(内戦を)もうやめましょうよ!!いのぢがも``っだい``な``い``!!」そして日本を倒すために抗日民族統一戦線をつくろうって宣言だね。
わた:なんかシャンクスが来てくれそうな気がしたけど気のせいだったみたいです。
なっしT:一応シャンクスみたのがくるよ。それが張学良だ。自分の父を殺した日本が未だ侵攻してきているのに、譲歩して内戦をしている蔣介石を見かねて、逮捕・拘束して抗日を迫る。(西安事件)それでは聞いてください。張学良で「日本国を倒そう」
わた(蔣介石):わかったよ〜〜〜。そして共産党の周恩来と会談をするわけですね。

国共の対立と日本の侵攻
張学良の出現と西安事件

日中戦争

なっしT:1937年、ついに日本軍と中国軍の軍事衝突が起こります。それが盧溝橋事件。地図で見れば、柳条湖事件と盧溝橋事件間違えないから是非チェック。現地はすぐに休戦したのだけど、軍や世論に押されて当時の内閣は 軍の増徴を決定してしまう。
わた:てか、そもそもなんで盧溝橋事件って起こったんですか?
なっしT:それはやはり満洲国の権益の保護なんだよ。でもそんなこと公言できないから、名目として共産主義の拡大から日本や中国を守るための緩衝地域としての華北5省の中国からの分離作戦(華北分離工作)をしていたためだ。これは成功するんだけど、中国からの反発は大きいよね…
わた:なるほど…緩衝地域といえば東南アジアでタイが独立していたことを思い出しました。

柳条湖、盧溝橋の位置と満洲国、華北5省の範囲
引用:https://www.y-history.net/appendix/wh1504-046.html#:~:text=%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%93%EF%BC%95%E5%B9%B4%E3%81%AB%E5%BC%B7%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F,%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%8C%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82&text=%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%93%EF%BC%95%E5%B9%B4%E3%81%94%E3%82%8D%E3%81%AB%E8%A1%8C,%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%99%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%B7%A5%E4%BD%9C%E3%80%82

なっしT:日本は北京・天津・上海を占領し、南下を進めていく。すると1937年9月ようやく、中国の国民党と共産党が手を組む。それが第2次国共合作ね。今回は対等な立場で合作を行う。結成したのが抗日民族統一戦線だ。
わた:第1次国共合作は国民党に共産党員が個人で入る仕組みでしたもんね。この党内合作に対して、今回のは党外合作と言われるみたいですよ。
なっしT:よく調べてるね、えらい!だけど、日本の攻撃は止まることを知らない。ついに国民政府のある南京まで占領・陥落されてしまった。そして新日の汪兆銘政権を南京に作るんだよね。

わた:その目的はなんですか?
なっしT:これはね「東亜新秩序」ってものを作ろうとしたんだ。簡単にいうと、日本と満洲と中国(汪兆銘政権)で盛んに貿易をできる体制を作ろうとしていた。だから日本に従ってくれる親日政権が良かったというわけ。
わた:ブロック経済みたいなものですね。じゃあ南京国民政府にいた蔣介石は何処へ?
なっしT:基本的に首都が陥落したら戦争終了なんだけど、蔣介石は重慶に首都を移して戦争を継続する。英・米・仏らはこの蔣介石を支援し、その支援した道は援蔣ルートと呼ばれるよ。じゃあなんで支援したと思う?

わた:これも復習が役に立ちますね。まず1つ目に「アメリカは日本の中国利権の独占が許せない」というのがあると思います。第一次世界大戦後、九カ国条約を結び中国利権の獲得を目指したアメリカは日本に反発したのだと思います。2つ目に「ヨーロッパの植民地が南アジア〜東南アジアに多い」ということが挙げられると思います。日本は南下してきて南京まで落としていますので、これ以上南下されればフランス領インドシナやイギリス領インド及びビルマの利権すら危ぶまれます。この2つの目的で蔣介石を支援したと考えます。
なっしT:上出来!!!

余談

わた:でも、アメリカって中立法で武器の供出できないですよね。武器の支援はしてないのですか?
なっしT:していたよ。直接武器は輸出できないので、資金を援助していたよう。
わた:ほぼ違反してるやん…
なっしT:日本はアメリカから武器を直接支援されていたからなんとも言えないね…
わた:え、どうやって…?まさかこれが戦争じゃないなんて言わないよね…?
なっしT(アメリカ):勘のいいガキは嫌いだよ。