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エイトリング史入門

謝辞

 本記事は〝ジャグリング Avent Calendar 2022〟という企画の12月18日分の記事です。そちらの関係からお越しになった方が多いとは思いますが、一応企画全体のリンク(ジャグリング Advent Calendar 2022 - Adventar)も貼っておきますので、よろしければご確認ください。また、このような素敵な企画を立ち上げて維持されてこられた姉さん、みーさんのお二方には、改めて感謝申し上げたく存じます、ありがとうございます。

 本題に入る前に、軽く自己紹介させていただきます。私は、2017年の春に信州大学のjuggling cycloidに加入したのをきっかけにエイトリングをはじめまして、今年で6年目になります。前後に居並ぶ方々のような輝かしい経歴はございませんが、申し訳程度に自分のエイトリングの動画を置いておきますので、よろしければご確認ください。(https://www.instagram.com/p/Clcz6V5BxQM/)

 本記事では「エイトリング史入門」と題しまして、エイトリングの歴史について概説いたします。と申しましても、当方はただいま絶賛受験生期間でして、とても長大な文章を拵える元気がありませんでしたので、9カ月ほど前に作成したものの公開には至らなかった「エイトリング史を物語る」という記事に多少の改訂を加えたものを公開させていただきます。では、よろしくお願いいたします。

はじめに

 ここ数年で、エイトリングは大きく広がったように思う。それは、主には、Eightrings Artist ∞ PerformerのPESTRiCA氏の活躍により、エイトリングがパフォーマンスの1つとして普及したためだろう。結果として、エイトリングのプレイヤーが増えたのみならず、「見て楽しむだけ」という新たなエイトリングとの関わり方の可能性が開かれることになった。

 だが、他にも、nora氏のエイトリング情報室、アフィン氏のエイトリングメモランダとエイトリングの解説サイトが複数誕生したこと、ジャグリングの競技会におけるエイトリンガーの活躍が珍しいものではなくなった(※1)こと、エイトリングの技術的な革新性が注目を集めるようになったことも、その拡がりの一部として無視できまい。

 悲しいかな、拾う神あれば捨てる神あり、である。この数年で、草創期の功労者の多くがエイトリングから離れてしまった。そのため、交流会に行きさえすれば簡単に出会うことのできた彼らの口から語られていた「エイトリングの歴史」が、徐々に失われ始めているのだ。

 私自身も、来年度から社会人に進むわけで、いつまでエイトリングを続けていられるかはわからない。そこで、このアドベントカレンダーを機に、間近で見ていたあるいは直接かかわった一人として、エイトリングの歴史についての考察を書き残しておくことにした。 

 本稿は、タイトルを「エイトリング史入門」とした。それは、エイトリングの過去を振り返って考察しその知見を未来に繋げていくというエイトリング史の営みに、この記事をきっかけになじみを持ってもらい、読者諸賢にも自分なりのエイトリング史を確立してほしいという思いを込めてのことである。

 以下、第1節ではエイトリングの誕生とその背景を、第2節と第3節では現代エイトリングの二大要素である「補完的なエイトリング」と「ジャグリング的なエイトリング」のそれぞれの成立と発展を、それぞれ説明する。

 なんとか自説を展開するために、繊細で複雑な部分を切り捨ててかなり大雑把に議論を進めてしまったので、納得しがたい記述が多いとは思うが、よろしければ最後までお付き合い願いたい。それでは、一緒にエイトリングの歴史を振り返っていこう。

第1節 エイトリングの誕生

 エイトリングの正確な初出は、私にはよくわからない(※2)。私の師にあたるnora氏の「人物で見るエイトリングの歴史」という記事でも、一番最初のエイトリングの考案者は明確になっていないとの記述がある。そのため、ここではそれらしい候補を2つ提示しておくにとどめておく。

 米国のジャグリング・サーカス用具メーカーのRenegade社のEight Ringの商品説明には、「エイトリングは2009年に初めてRenegade社によって考案・製作された」との記述がある。だが、それ以前にもリングを繋げたものとして存在していたエイトリングを自分たちが一枚板式で製品化したという意味にも解釈しうる等、どこまでが事実なのかはよくわからない。

 その説明の続きは「エイトリングはisolation propとしての使用を目的としており、トスジャグリングあるいは通常のリングジャグリングに用いることは意図されていない」となっている。これは、エイトリングが、誕生あるいはそれに非常に近い一時点において、通常のトスジャグリングとは違った使用目的を有する存在だと考えられていたことを示す。

 また、日本におけるエイトリングの初出は、2010年10月のKotaro_juggler氏の"eight" ring manipulationという動画だと考えられている。ご存じの方も多いだろうが、彼はジャグリングの日本大会の決勝に個人とチームでともに出場経験のある由緒正しきジャグラーである。

 このKotaro氏の動画のエイトリングは、静止し(ているように見せ)た円の周囲をなぞるようにもう一つの円を動かして、その静と動の分離の違和感や不思議さを見せる「Isolation」という主張が多用されている。他にも、8の字型の形態を生かしたマニピュレーションや、あるいはパントマイムの要素が見られる。一方で、伝統的にジャグリング的技術の中核を担っている「トス」の要素がほとんど見られないのが印象的である。

 Renegade社とKotaro氏と二つのエイトリングの起源を紹介したが、これらは一つの共通点を持つ。それは、ジャグリングの文脈という背景を持つ人間によって、ジャグリングとは少し違ったことを行うための道具として、エイトリングが生みだされたと解釈できることである。この出自は、後々のエイトリングの発展に無視できない影響を与えることになる。

第2節 補完的なエイトリング

 以後、日本におけるエイトリングの発展は、地道ながら着実に進んでいった。それは、Kotaro氏等の先人によってジャグリングイベントでの布教が行われ、それを参加者が自分のサークル(※3)に持ち帰って練習し、興味を持った仲間に伝えていく、という継承が主であった。インターネットで知ってエイトリングを始めたという人も少数いたが、彼らもジャグリングの関係者であることが多かったため、いずれにせよエイトリングは「新しいジャグリング道具」として広まっていくこととなった。

 そのため、初期のエイトリンガーは、まず自身の専攻するジャグリング道具があり、加えてエイトリングも練習しているという場合が多かった。そのため、ジャグリング的な運用をするメイン道具との差別化として、エイトリングは、誕生時と同様に、ジャグリングの文脈とは少しずれた、いわばジャグリング補完的な意味合いを求められることになっていった。

 例えば、先述のKotaro氏による布教活動の1つに、JJF2012で行われた「∞ハチリンで学ぶフシギな動き論∞」と題したワークショップがある。紹介文によれば、エイトリングを題材に、不思議な動きやそのコツについて一般的に考えるWSだったらしい(※4)。これは、エイトリングが、不思議さという役割をジャグリング補完的に担っていた好例であると言えるだろう。

 一般に、ジャグリング補完的な要素としては、不思議さに代表される固有の形状を生かした独特な視覚的主張を持つこと、トスの不在によりドロップによる演技の中断リスクが低いため演出等が損なわれにくいことが代表的である。また、自室等の縦あるいは横に狭い場所での練習が可能である(※5)ことも重要な補完的要素だと言えるかもしれない。

 結果として、エイトリングはその要素を活かすように、低リスクゆえに可能な「パントマイムやコスプレ等の異種のパフォーマンスを取り入れた濃い目の演出」を背景に「Isolation等の不思議で独特な質感を主張するように操られる」パフォーマンスとして確立されていった。そして徐々に、ジャグリングとはどこか異質なその在り方が、エイトリングらしさと捉えられるようになっていった。

 また、後には、ジャグリングサークルに入って最初にエイトリングを選ぶ者も現れた。だが、彼らは、先達によって補完的に確立されたエイトリングらしさに何らかの憧れあるいは共鳴を持ったためにエイトリングを選択する傾向があり、それはエイトリングの補完性を、薄めるよりもむしろ濃くする方向に働くこととなった。

 現在、最もこの流れを色濃く受け継いでいるのが、冒頭に述べたPESTRiCA氏である。彼は、補完的なエイトリングの洗練されつくした姿であると思う。彼はその魅力ゆえにジャグリング界を飛び越えて遍く人気を博し、ここ数年のエイトリングの革命的な広がりの立役者となったのだろう。

 現在、PESTRiCA氏に憧れてエイトリングを始めた「ペストリカチルドレン」(※6)が急増している。その多くは、彼らをその魅力で引き付けた、ジャグリング補完的なエイトリングの道に進むだろう。こうして、補完的なエイトリングは再生産され、これからもエイトリングの大きな流れのひとつであり続けると思われる。

第3節 ジャグリング的なエイトリング

 先に、エイトリングの発展は、主にジャグリングサークルという場で行われてきたと述べた。また、後には、エイトリングをメイン道具とするジャグラーが出現するようになったと述べた。彼らの中には、ジャグリング補完的なエイトリングではなく、エイトリングでジャグリング的な価値観を実現するという方向性を目指したものがいた。

 なお、ここではとりあえずジャグリング的な価値観というものを、扱う道具の数を増やす、難しい技を実行する、道具を素早く操作する等のジャグリング的な凄さとして界隈で暗黙の承認を受けている価値基準をぼんやりとまとめたもの、として理解しておく。議論としては不正確だが、実際の多くのエイトリンガーあるいはジャグラーの心の中にあるジャグリング的な価値観も、その程度の解像度であろう。

 ジャグリング的な価値観は、ジャグリング界を席巻している。そのため、ジャグリング界においてエイトリングを練習する者がその価値観に沿ったエイトリングを行うようになるのは、当然の成り行きである。例えば、ジャグリングの競技会にエイトリングで出場する場合、ジャグリング的な正義によって規定される審査項目に沿ったエイトリングが求められるだろうし、サークルの仲間との互いの道具についての議論もジャグリングの文脈に則ることが多かろう。

 このようにしてジャグリング的なエイトリングが誕生するわけだが、その発達にも2つの段階が見られた。初期には、ジャグリング的な価値観を持つ他のジャグリング道具の技をそのままエイトリングに輸入するという手法が主であり、後には、技の模倣を経ず、ジャグリング的な価値観を直接エイトリングに導入して実現することが試みられるようになった。

 初期の他道具からの輸入については、ながじゅん氏によるポイを模倣した「振り回す」エイトリングが代表的である。後には、3ウィンドミルを基底としたトスジャグリング等も展開されるようになった。彼らは、わかりやすいジャグリング的正義として評価されることもあれば、補完的なエイトリングをエイトリングらしさと考える者により非難されることも多かった。

 2段階目の、他道具の模倣ではないジャグリング的な正義を狙った技としては、テルノルドやヌークラシック(※7)が代表的である。彼らは、エイトリングの技として創出されるため、isolationとトスを同時に実現する等、伝統的な補完的なエイトリングらしさを持ち合わせる技が多く、エイトリンガーとジャグラーの双方にとって受け入れやすいものとなった。

 なお、冒頭にジャグリングの競技会におけるエイトリンガーの活躍が増えたと述べたが、これは、エイトリングによるジャグリング的な正義の実現が進んだこととによるとは限らない。それは、むしろ、審査項目のうち、ジャグリング補完的なエイトリングが得意とする安定性や演技構成の項目を武器としている場合も少なくなかった(※8)からである。

 このように成立したジャグリング的なエイトリングも、これからのエイトリングの大きな流れのひとつであり続けるだろう。それは、ジャグリング界の道具の1つとしてのエイトリングが保たれると思われるからである。また、意外にも、補完的なエイトリングに惹かれた「ペストリカチルドレン」からも、ジャグリング的なエイトリンガーが育ち始めている。

おわりに

 以上、エイトリングの歴史を、その誕生から「補完的なエイトリング」と「ジャグリング的なエイトリング」の2つの軸が立ち上がっていく様子として振り返った。かなり2項対立的に書いてしまったが、実際のところは、この2軸は任意のエイトリングに含まれていて、その割合の濃淡が表現型に影響を及ぼすと捉えた方が正確であるだろう。

 こうして振り返ってみると、エイトリングの歴史に対するジャグリングの影響力の大きさには改めて驚かされてしまう。エイトリングの歴史は、その誕生からはじまって現在の発展に至るまで、常にジャグリングの影響下にあったと言っても過言ではない。それは、ジャグリング道具の1種類なのだから当たり前のことであるとも言えるが、ジャグリングによって支配され続けた歴史であるとも解釈できるのである。

 私自身は「こんなエイトリングはジャグリングじゃない」と伝統的なエイトリングへの反感からジャグリング的なエイトリングに身を投じた身であるがゆえに、その両者が実は同じジャグリングの文脈によって産み出された存在でしかないということに気づいてとても驚いた。結果として、その2軸の相対化を経て、2軸が両立しながらのエイトリングを志すようになった。

 あるいは、エイトリングの未来への展望の1つとして、ジャグリングの文脈から脱した純粋なエイトリングらしさを確立するという方向性が考えられる。今を生きる我々からは思いもよらぬエイトリングらしさとの遭遇は純粋に興味深いので、熱意と才能に満ちた誰かがその革命を成功させてくれることを楽しみにしている。

 なかなかに極端に偏った内容だったので驚いてしまった方も多いかもしれないが、エイトリング/ジャグリングを見る/考える上での新たな視点を手に入れてしまったぐらいに考えていただけると幸いである。あるいは、ここで抱いた違和感を原点に、自分なりにエイトリングの歴史を読み直す作業に取り組んでほしい。以上だ。

注釈集

※1)Jumpei Nagata氏のジャグリング世界大会の決勝戦への出場、2019年の第2回北海道東北学生ジャグリング大会において、出場したエイトリンガーの2名がジュニア部門優勝と審査員賞とともに何らかの賞を受賞したこと等が、活躍として指摘できる。

※2)エイトリングの起源がはっきりとは明らかになっていない原因の一つに、商売の問題がある可能性がある。つまり、道具会社やパフォーマーにとってはエイトリングは商売道具であるため、彼らの商売にとって不利になるような情報は明らかにされていないと考えられるのだ。

※3)エイトリングが根付いているサークルとしては、同志社大学マジック&ジャグリングサークル Hocus-Pocus、三重大学ジャグリングサークル ジャグリアーノ!、信州大学ジャグリングサークルサイクロイドがある。

※4)JJF2012のWS一覧によれば「ハチリンの技を覚えるワークショップというよりは、ハチリンをベースにしてフシギな動きってどんな動きか? その動きを不思議にみせるコツって何?みたいなことを考えるワークショップにしたいと思っています」とのこと。WSの内容が非常に気になってしまう。

※5) エイトリングは狭い室内でも練習できるといわれることが多いが、あまり賛成はできない。天井が低い、あるいは左右に少し歩いただけで物にぶつかってしまうような空間で練習を続けると、左右のスペースや高さを活かす動きから遠ざかってしまい、のびのびとしたエイトリングができなってしまう印象があるからだ。狭いところでの練習は、あくまで補助ぐらいにとどめておくのが望ましいと思う。

※6)「○○チルドレン」という言葉にはどこか揶揄するような嫌な響きがある気がするので、あまり使わない方がよいかもしれない。だが、Twitter上では自称を含めた好意的な用法を見かけることが多いので、問題ないと判断した。

※7)テルノルドについては、かなり時代遅れではあるが、こちらの記事を参考にしてほしい。ヌークラシック(New Classic)は、Isolationを軸とした伝統的な不思議コンタクトジャグリングとしてのエイトリングに、その質感を損なわないままトスの要素を組み込もうという方針の技の一群である。そのトスの導入は、ジャグリング的な価値を併せ持つためとも、伝統的なクラシックの可動域や質感の拡張のためとも了解できる。

※8)新人生西日本杯女子個人部門で二年連続でエイトリンガーが優勝したことなどは、この文脈で了解したくなる。新人戦は比較的難易度点の配分が低く、代わりに安定性・構想力・表現力といった補完的な項目の比重が高いからである。

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