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努力性の高い上肢・手指への介入アイデア:初期評価から自主トレ提案まで

今回は脳卒中の上肢・手指の評価と介入について書いていきます!

上肢・手指も、下肢同様に人それぞれに抱える問題は異なります。評価上のスコアは同程度であっても…。そこが臨床の難しさであると共に、患者・利用者さんの前進をサポートする僕たちセラピストが力を発揮する場面と言えるのではないでしょうか?

運動麻痺が軽度な人=問題も軽度?

今回は比較的随意性のある方ですが、随意性があるから問題が少ない、とは限りません。

まさにこれ↓

これは様々な程度の麻痺の方に関わったセラピスト目線ですよね。
今まで見てきた人の中ではあなたは軽い方です、という。

でも初めて脳卒中になり、自分の身体が思うように動き、感じることができなくなってしまった方にとっては、客観的な評価による麻痺が軽度であれ重度であれ、病前に比べたらやりにくさしか感じないわけですから、「軽い」はずがありませんよね。

セラピストの皆さん、言動には気をつけましょうね。

麻痺が重度で、少しでも動かすことが難しい方はもちろんですが、随意性があるからこそぶつかる問題もあります。


さて、どんなことでしょうか?


随意性があるからこそぶつかる問題とは?

運動麻痺が軽度と言われる方…
今回は「ぎこちなさはあるも、日常的な生活の中である程度、麻痺側の参加が可能」なレベルの方をイメージしますが、そのような方々がぶつかる問題とは何でしょうか?

僕のイメージとしては、

・代償的なパターンの強化と定着
・やりにくい場面への遭遇回数の増加

といった問題にぶつかることがあります。


⬛︎ 代償的なパターンの強化と定着

随意運動がある程度できることで、日常生活においても麻痺側の参加機会が増えます。それはもちろん患者・利用者さんにとっても、

「麻痺側の手を動かして〇〇(発症当初はできなかったADL)ができるようになった!」

という喜びにもなります。またこれまで関わった方でも「たくさん使えば良くなる」と考えている当事者さんは少なくありません。
もちろん廃用(筋力だけでなく神経ネットワークも使わないネットワークは弱くなると考えられていますね)の予防、関節可動域の維持・改善という面からはメリットもあります。


ただし、考えられるデメリットとしては、「代償的なパターンの強化と定着」が考えられます。患者さんは、動くようになった喜びや、動かさないと良くならないという思いから、やりにくいのを無理しながら、努力的にでも何とか使おうとしてしまいがちです。

家事などの時間のかかるADLなどでは、炒めるなど調理の関係で代償的なパターンが出たから、疲れてきたから一旦止める、ということが難しい場合もあります(こげちゃいますしね)。性格的にも掃除や皿洗いなど、もう少し頑張れば(我慢すれば)終わる、といった場合にも、休憩はいれず何とか片付くまで辞めなかったります。

そうしたことの毎日の繰り返しの中で、徐々に代償的なパターンが定着する可能性があります。


でも僕はそれ以上に、
不動・不使用による、
・残存した運動機能(出力ネットワークも含む)の低下
・筋萎縮による筋力低下
・関節可動域制限の進行
などのデメリットの方が大きいと感じます。

そのため、明らかに痛みや過度な疲労で日常生活に支障がでないのであれば、全く使わないよりは、代償的で努力的なパターンであっても麻痺側が参加できるのであれば使った方が良いと思っています。


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