泥濘に足を取られて

何度となくハマったことがある、一度ズボッとそこに足が取られると、まるでそのまま汚れた泥が身体の中に染み込んできて、芯から動けなくなる。

分かっているのに覗き込んで、その状態までまっしぐらだ。

世の中を単純なものだと思いたいのかもしれないが、自分という個人だって、あなた自身が複雑に色んな人生経験を経て確固たる、あなたでしかないものを作り上げているのではないのか?

他人の安くて簡単に使える言葉に惑わされる前に、たくさん考えてたくさん言葉にしてみて、ああでもないこうでもないと、もがいて苦しんで見つけ出すあなたでしかない、あなたにしか考えつかない発想や、気持ち、感情、それを見つめてはいないのか。

ぐったりする。何も変わってない。コロナ禍直後、誹謗中傷を苦に命を絶ってしまった著名人のことについて、深く傷ついた自覚がある。
その時に、人が死ななければ変われないのか、そう思い、このnoteにも書いていた。

今また、女性支援団体が苛烈な誹謗中傷に晒されており、連帯を示すハッシュタグを使った支援の言葉すら、それを掻き消そうと敢えてタグを使った罵詈雑言が並んでいる。

本気で具合が悪くなった感覚がある。あまりにおぞましい。
そんなインスタントに自分の感情すらも無視して、一個人すらも飛び越えて誰かを傷つけることに躍起になる。全く理解不能です。

もし、そういった言葉を、至って冷静な判断の上で、例えば社会的意義のあることと思い発しているのだという自覚でいるのならば、何もかも間違っていると言わざるを得ないですよ。

世の中の複雑さの理解、社会への参加を放棄しているし、他者の人権を気安く踏み躙る行為だと思う。
それはつまり自分自身をも傷つけているよ、自分のことに向き合えないから、誰かの言葉を自分の言葉だと思い込んでしまっているんじゃないの?

他人に優しくする余裕がないのなら、自分自身をもっと大切にして欲しいです。

こうなることは分かりきっていたのでわざとその話題が目に入らないようにしていたものの、やっぱりつい見てしまい、改めてなんて酷い人たちがたくさんいるんだろうと打ちのめされ直しました。


世界はあまりに残酷なので、私が表現するものでちょっとでも良くしたい。そういう気持ちもまだギリ折れてもない。つらいですが。

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