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技術士第二次試験の受験記 1/n 1年目の敗退から再挑戦へ


1年目(1回目)

 最初に機械部門を受験したとき、必須科目Ⅰは択一問題でした。
 結果は必須科目Ⅰは22/30、一方で選択科目ⅡはB、ⅢもBで不合格でした。
 製造業に勤めていた時の受験で、部門は機械部門でした。もともと建設関係の学科の出身なので、この択一式の範囲の広さに圧倒されながらも60%をとれたのは良かったです。
 肝心の選択科目は全く勉強せず。言い訳なのはわかっていますが、海外拠点の仕事と国内の仕事の両方を受け持っていたので、たとえて言うなら1日に2×8時間労働の日々が技術士試験を挟んで8ヶ月くらい続いていました。
 文章を書く機会は多かったので、ぶっつけ本番となろうとも、とにかく行かなきゃ!で行ったものの玉砕されました。
 やはり甘くない。

 ちゃんと準備しないとだめだな、と感じてセミナー受講を考えたわけです。

2年目(2回目)

セミナーへの参加

 1年目の反省をもとに、セミナーの受講を考えました。
 社内には技術士の資格のお持ちの方はおらず、また資格の存在が知られていない状態なので、教えを乞うにはセミナーに行くしかなかったわけです。
 2社の無料セミナーを申し込んで参加しました。
 1社目は、スパルタ系の雰囲気で、個人的には合わないと感じました。「つべこべ言わず、とっととやれ!」「寝ないで勉強しろ!」に近いご説明の内容と口調だったと記憶しています。聞いていて気持ち悪くなり、中間の休憩時間で体調不良を告げてお別れしました。
 2社目は、割合と温和な雰囲気と厳しさの両面を持った感じで信頼できたので、すぐにお支払いしてサポートしていただくことになりました。
 年が明けてからの申し込みだったので、少し出遅れ感がありましたが、業務の整理やキーワードの学習を進めました。また、月1回程度のセミナーで同じ部門を受ける方とのワークショップがあり、情報交換をすることができました。これはモチベーションを保つ意味でもいい環境を与えていただきました。自律的に自学自習を応援し、節目で担当の講師の方が整理し、ときとして導いてくださる流れです。
 最初の区切りは業務経歴書の作成です。自分なりに書くのですが、鋭いフィードバックが入ります。そして書き直し。技術的なポイントを書いたとしても、新規性や困難さなどで表現が伝わりにくい面があり、あと一歩踏み込んだ表現にするといったメリハリのつけ方が仕上げ段階のハードルでした。720文字制限の難しさもありましたが、終わった時には一安心でした。
 受験申請が終わった後は、論文の作成に入りました。講師の方ごとに10名くらいの参加者を受け持ってくださりました。私を担当してくださった講師の方は、論文の添削が遅れていた時には、「どうしているかな~?」くらいの柔らかい口調で電話してきてくださったこともありました。
 試験の全体像が見えてきたことと、自分の強み・弱みが見えてきたことはセミナー参加の良かった点です。

まさかの高熱

 海外拠点と日本を往復する仕事が続いており、この年も7月の受験日直前まで海外で仕事をしていて、試験日の2日前くらいに帰国しました。
 帰りの機内で少し調子が悪いなと思いながら、帰宅すると39℃台の高熱になっていました。(COVID-19の時期ではありません)
 すぐにかかりつけ医に伺いましたが原因はわからず。おそらく「何か悪いもの食った」的な感じでしたので、抗生物質と解熱剤をいただきました。
 試験会場には行ったものの、結局熱は下がらずに思考は低迷状態です。
 試験結果は択一式で不合格。ですので論文は採点されていません。
 セミナーの講師の方にも結果をご連絡しましたが、驚かれていました。講師の方は合格ラインを超えるとみてくださっており、「まさか?」だったようです。
 体調管理の大事さを思い知らされました。

セミナーでの一場面

 これはセミナーに限らずですが、業務経歴を複数の方に見てもらう場合、意見の相違の狭間で受験生が困るパターンです。もちろん、主役は受験生本人なのですが、会社の方とセミナー講師の方の両方に相談すると、特に会社の仕事に対する見方の違いで困る場面を見かけました。
 こういった相違があると、会社の補助を受けてセミナーに参加している方は心の置き所が困りますね。物事の白黒をつけようというわけではないのですが。

 さて、少し長くなりましたので、いったん筆をおきます。