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私が尊敬する(?)メンタリストDaigoさんが、こんな事を言ってます。「人は地位が高くなればなるほど共感能力が落ちる」https://daigoblog.jp/disapproval-authority/
詳しくはこのURLをクリックしてもらいたいのですが、クリックするのが面倒な方に向けて、一言で説明すると、「人は偉くなればなるほどプライドが高くなり、人の意見に耳を貸さなくなる」という事が書かれています。

かくゆう私も長い事生きているだけに一応、会社では役職を与えてもらっていて、役職なんて全く気にしてないぜ、と言いつつも、やっぱり心のどこかでは「俺は〇〇だ」(※〇〇には役職名が入ります)と思っているフシがあります。

その結果、何が起きるかというと、自分の意見が一番正しいと思いこんだり、人の意見に耳を貸さなくなるという事が起こりがちです。また、部下に何かを依頼して、それを「できません」なんて断られたりした日には、二度と頼むか!っていう感じになってしまいます。

なぜ、そう思うかと言うと、一言でいうと「プライド」の問題なのかなと思います。

ここで、やっとタイトルに書いた「犬」の話をします。

私には子供がいて、何年も前から小学生の息子から(妻からも)犬を飼って欲しいとせがまれていました。

でも、犬を飼う合理的な理由が思い当たらないと言って家族の要望を長年にわたり断り続けていました。しかし、現在、ウチには犬がいます。私が犬を飼う事に賛成したからです。

ちなみに犬を飼いたくないと思っていた理由は以下の通りでした。

●そもそも息子が犬みたいに可愛いのでこれ以上ペットは要らない

●街中の犬を見ても可愛いと思えない(柴犬はまあまあ可愛いが)

●どうせ子供は犬の世話をしないので、結局自分がやるハメになる

●餌代、カット代、などのお金が掛かる。特に犬は保険が効かないから医療費が高そう。だいたいウチにはそんな経済的な余裕は無い!

●ペットをお金で買うという日本のペット業界の在り方に違和感がある

●どこかに出掛ける時にいちいち行動が制限される。

などなど。挙げればキリが無いくらいでした。

そんな私がなぜ、犬を飼う気になったのか?

私の心を動かしたのは息子でした。子供としては犬を飼いたい一心で「飼って!飼って!」と繰り返します。

街を歩いてても犬を見る度に「かわいい~!うちは何で犬を飼わないの?」と繰り返します。

小学生なので、論理的にどうこうではなく、とにかく「飼って!」と感情に訴えるだけでした。

でも、犬を飼う事に反対だった私は、いつも話をはぐらかしたり、それでも食い下がらない時は上記のような理由を挙げて、飼う必要性を感じないと諭していました。

そんなある日、テレビで動物番組が流れると、いつものように「犬飼って攻撃」が始まりました。しかし、この日はちょっと違いました。おもむろに画用紙を取り出し、マジックで文字を書き始めたのです。

そこにはこう書かれてました。『犬を飼って』と。

そして、その画用紙をセロハンテープで壁に貼り始めました。一枚だけでなく、それを壁中にペタペタと貼り続けました。気が付くと、そこら中に『犬を飼って』という画用紙で部屋が埋め尽くされていました。トイレの壁にも貼ってありました。

嫁からは「何バカな事やってるの!全部はがしなさい!」と怒られてましたが、結局、息子がその紙をはがす事はありませんでした。

次の日の朝、私は息子に言いました。「その紙は剥がしていいよ。もう犬を飼っても良いから」と。

息子は断られても断られても自分の主張を通す為に、何度も何度も私にクロージングをかけてきました。

そこにはプライドなんてものは存在する訳もなく、ただただ、犬を飼いたいという一心で私に想いを訴えてきました。

決して論理的な主張があった訳ではありません。でも、犬を飼いたいという本気だけは伝わってきました。それだけです。

思えば、私自身もいつしか「そんなに犬を飼いたいのなら飼ってあげても良いかな」と思うようになっていました。でも、散々、飼わない理由を並び立てていた手前、いまさら「飼っても良いよ」と言い出すキッカケがありませんでした。

でも、その背中を押してくれたのは不器用なくらい真っ直ぐな感情でした。

さて、この長ったらしエピソードから私が何を伝えたかったのかと言うと…

最初に言ったように、人間は偉くなると変なプライドが生まれてしまいます。でも、得てしてそのプライドは物事を進めるにあたって邪魔になる事が多いようです。

一度断られたからと言ってすぐに諦めるのではなく、自分の想いを成就させたいのなら何度でもチャレンジする。

そんな当たり前の事を息子から思い出させてもらった気がします。




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